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「パンティ相撲」世紀の誤審の話

高校時代、我が柔道部に伝統として伝わる「パンティ相撲」というものが存在した。
(現在はどうか知らないが)
冬休み合宿最終日の夜に、埼玉の姉妹校「O高校」と行われる。
「パンティ相撲」
名前だけ聞くと、ふざけたものと思われるかもしれませんが、部の繁栄、無病息災を願って行われる伝統的な由緒正しき祭事。(ウチの柔道部とO高校の柔道部内では。)
そして、柔道の神様に「今年一年、無事に柔道をさせて頂きありがとうございました」という感謝を込めて行われる神事ともいえる。(ウチの柔道部とO高校柔道部内では)

「パンティ相撲」を知らない方のために説明すると、一対一の対戦形式。
互いにパンツ一丁の姿で対峙する。
「相手を投げ一本を取る」か、「相手のパンツを破り、大事な部分を出したら(これまた一本ということで)勝ち」で勝敗が決まる。
いたってシンプルなルールである。
これも、柔道の神様に「技」と「大事な部分」を披露することで「今年一年、これだけ強くなりました。これだけ大きく成長しました」と感謝を表す行為で…って、

やかましい!!

柔道の神様も大迷惑だ。
神事、祭事と言えば、どうにかなる話ではないのはわかっております。
今だとコンプライアンスやハラスメントと色々あるだろうが、そんなものはなかった時代のお話です。
本当になかったんだからしょうがない。
言うならば、ケータイ電話のない時代「ない」を当たり前にみんな生活をしていた。
今は「ある」のが当たり前の時代になった。それは大いに結構。
だからって「ある」時代の価値観を「ない」時代に当てはめてはいけない。
「ない」時代は不便だね〜、今はあって良かったね〜ぐらいの感覚で見てほしい。
なぜなら30年前、確かにそこに「そんな青春」がそこに存在したのだ。

「パンティ相撲」の起源は知らないが、10歳年上のコーチの時代にもやっていたらしい。
更に、「パンティ相撲で活躍をした人は柔道の大会で好成績を残す」というジンクスもあった。現に私の1つ上の先輩はパンティ相撲で活躍をした後にインターハイ3位やベスト8になっていた。
恐ろしいジンクス。
なにより、勝てばOBからお小遣いも貰えた。言うならば懸賞金だ。
みんな「パンティ相撲」に燃えていた。
それに、ウチの部は連覇がかかっていた。
たかが「パンティ相撲」
されど「パンティ相撲」

勝負は5対5の団体戦で行われた。

やったことのない人のために、またまた説明するが、柔道の強さとはまた違う。

「投げ」での勝利を狙うか、「破り」での勝利を狙うかで戦い方が変わる。
柔道家としてのクセで、良い所を持とうと、組手にこだわると「破り」の餌食となる。
また「破り」に気を取られていると動きが単調になり「投げ」の「餌食」となる。
意外と奥が深い。
やかましい!

さて、1994年のパンティ相撲大会は均衡していた。
両校譲らない2対2の大将戦となった。
私の出番がきた。
心地の良い緊張が走る。
最高の舞台を用意してくれたチームメイトに感謝である。

やかましい!

相手は埼玉県のチャンピオンS君。
私は千葉県のチャンピオン。
(注釈※パンティ相撲じゃなくて柔道でね)
埼玉VS千葉のチャンピオン対決。
元祖「翔んで埼玉」だ。
互いに相手にとって不足はない。S君とは過去に練習試合をしたが、いつも引き分けだった。(柔道でね)
そろそろ、決着をつけないといけない。
S君に勝ち、今より上のステージに行きたかった。
同年代に神奈川県を制した井上康生(後のオリンピック金メダル)
東京都を制した内柴正人(後にオリンピック2連覇)
という、超高校級がいた。
勝手にライバル視しておこがましいが、更なる上に向かうため、負けられない戦いだった。

自信はある。
なぜなら私は硬めの破れにくいトランクスを履いていた。
パンツ検査をクリアしているので、ルール上は問題なない。(パンツ検査ってなんだ!)
時はきた。
「始め!」
審判の声と共に先手を取ったのはS君だった。
左組のはずのS君が右組で組んできた。
不意をつかれてしまった。
先に良い所を持たれ、パンツを引っ張られた。
私の大事な部分に、硬い布が食い込みまくる。
「痛い!痛いなんてもんじゃない!」
硬いパンツはまったく延びない。遊びがないのだ。
硬いパンツを履いたことが裏目にでた。
心もあそこも、へし折られるそうになる。
容赦なくS君は、得意の内股をかけてきた。
埼玉を制した強烈な内股だ。
「丈夫なトランクス」と「S君の腕力」で、私は股間から真っ二つになっていてもおかしくなかった。
もし、私が真っ二つになってしまっていたら、S君は後に埼玉県警に就職出来ていなかっただろう。
むしろ違う意味で埼玉県警に入ってかもしれない。
人生とは分からないものだ。
私は踏ん張った。とにかく耐えた。
踏ん張れたのは「勝利えの乾きか?」それとも「Mだからか?」
それは、今でも分からない。
互いにバランスを崩し場外に出た。
審判の「待て」がかる。
開始線に戻っている時、ある違和感に気づいた。
私のトランクスの大事な部分が破けていたのだ。
S君の手には私のトランクスの布が。
「ハンターハンター」でいうと、キルアが囚人の心臓を持っている状態だ。
「返せ〜」である。
(誰が囚人だ!)
しかし、審判の「一本」の声があがらない。
何故だ?
私のが小さくて、審判に見えていなかった!
周りも何も言わない。
アントマンもビックリだ!
私も自分から「よく見て下さい!ほら、出てますよ」とも言えない。
JAYWALKの「何も言えなくて…夏 」ならぬ「何も見えなくて…チンチン」だ。
小さいチンチンしてたんだね〜 知らなかったよ〜♪

悲しすぎる。
(ちょうど1994年にヒットしていたのですいません。)

無情にも試合は続行された。
審判は絶対だ。

パンツを破っても大事なものが出てこない私に対し、S君はゾンビとでも戦っている心境だっただろう。
しかし、自身の名誉の為に言わせて頂ければ、きっと硬い布が食い込んだせいで、大事なものが、メリ込んでしまっただけだ。そうだ。そうに決まっている。
いわゆるイソギンチャク方式。私の出身地、千葉県鴨川市の海にはいっぱいいる。
私は動揺しているS君の隙をつき、右手でパンツを握り、片手で背負い投げに入り、パンツを破いた。
柔道部物語でいう三五が飛崎にかけた技だ。
「S君敗れたり(パンツ破れたり)」
平成の「巌流島の戦い」に決着がついた。
S君の佐々木小次郎の物干し竿ばりの長刀が、破れたパンツから「こんにちは」をした。
S君のは大きかった‥‥
私は居合切りをされたと思い仰け反るほどだ。
余談だが、お笑い芸人になってから阿見201さん(身長201センチ)がライブの打ち上げ終わり、居酒屋から暖簾をくぐり出て来た動きを見た時、S君とのパンティ相撲で大事な物が出て来たのを思い出したことがある。)

審判の「一本」が合宿所に響いた。
勝負を分けたのは「サイズの差」であった。
審判がしっかり、よーく見ていれば負けていたのは私だった。
後に「世紀の誤審」ならぬ「性器の誤審」と語り継がれたとか、継がれなかったとか。

パンティ相撲セイキの誤審の話。

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