後悔してること

高校のとき、母は3年間ほぼ毎日、お弁当を作ってくれた。
別に、キャラ弁とか映えとかそういうのはないけど、わたしにとってはすごいおいしいお弁当だった。
毎日、お弁当を食べるのが楽しみだった。

高3の卒業間近の頃、今日でお弁当は最後、という日に、いつもどおりお弁当を開けたら、母からの手紙が入っていた。
「3年間、毎日お弁当を食べてくれてありがとう」というような内容だったと思う。
でも当時のわたしは、そういう「感謝」とか「手紙」とかを家族間でするのがめちゃくちゃ恥ずかしいと思っていた年頃で、
母からの急な手紙にどう反応すればいいか迷って迷って、何かにしまって保存するのも違う気がして、
結局、その手紙はちゃんと読んだけど、保存とかせずに捨ててしまったのだ。
帰ってから母に、あの手紙どうした?と聞かれて、照れを隠したくてあえて平然とした顔で「えっ捨てたよ。」と答えたことも覚えている。母は、「え〜〜〜捨てたの〜〜!」と言っていた。きっと悲しかっただろうな。
(でもたぶん、ちゃんとお礼は言ったと思う、たぶん。お礼言うのもめっちゃ嫌だったけど。)

今になって、
ああ、あの手紙なんで捨てちゃったんだろう、って思う。
あの頃は、まさか母がこんな病気になるなんて思わなかった。今後母といろんな話をする機会はいくらでもあると思っていたし、その機会にあの頃の話だってできると思っていた。
「あのときは恥ずかしくて捨てちゃったけど、本当は感謝してるよ」って伝えることも、いつかできるだろうと思っていた。

でももう、あの頃の話を母とすることはできなくなった。
あのとき母がどんな気持ちで手紙を書いたか。どんな思いで毎日お弁当を作っていたか。
母から直接聞くことなんていつでもできると思ってたからこそ捨ててしまったのだと思う。
でも、もう聞くことはできない。
けっこういろんなことが書いてあったような気がするのに、内容を思い出せない。
あの頃の母の気持ちを知るには、あの手紙を読むしかないのに。もうその手紙はない。

ワンチャンどこかにしまっておいたかも?とか思って実家の自分の部屋を探したりしたけど、やっぱりない。

なんで捨ててしまったかなあ。
後悔している。

病気になって、母は昔とは別人になってしまった。
ときどき、昔の母の面影を感じたくなるのだ。今が別人すぎて、あれ?ママって本当はどんな人だったっけ?ってなっちゃうから。
昔の母がどういう人だったか。人格、性格、雰囲気、そういうのを思い出したくなる。こういうとき、昔の手紙とか、動画とか、そういうのがあると嬉しいね。
幸い、LINEのトークは残っているので、あの頃の母との会話は今も見ることができるけど。
もっといろんなのが残ってたら良かったのにな。

でもまさか、こんなことになるなんて思ってなかったからなあ。。過去に戻りたい。かなしい。

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