なんのために
53歳の主婦が大学生になると、「何のためにそんなことやっているのか?」というような意味合いのことを聞かれることがある。地方在住の自分の周りには、同じような人がいないから、「なんか変わったことをしている」と思われるのだ。
ストレートに聞かれたこともあれば、「偉いね」などという言葉の裏に小馬鹿にしている気持ちがみえることもあった。「暇つぶし」とか「ボケ防止」といわれると、ちょっと悔しい気持ちにもなるが、あながち間違いではないので訂正もできない。
でも、なんかちがうんだよなあ。
そして、ピタッとはまったのが、「ジム通い」。
(頭の)筋肉を意識して、時には負荷をかけ、目標をクリアしながら、苦しくも楽しくて気持ちよい。
意外とできることに驚いたり、逆に衰えを自覚したり、現実を体感して己を知っていく。
だから、必要以上に自分を卑下することもなくなったし、おそらく将来にわたって偉そうなヒトにもならないだろう。
今度聞かれたら、「ジム通いみたいなもんよ」と答えようと思ったのだが、新たにそんな機会は訪れなかった。
でも、そもそも、この「なんのために」って、そんなに考えなければならないことでもないような気がする。
「やりたいから」「やれるから」「やっている」それでいい。
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