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9.夜が明けても暗い日々

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」

【今回の登場人物】
  薬師太郎 元旅行会社の社長 アルツハイマー病と診断される
  薬師通子 太郎の妻 太郎の認知症状に疲労困憊している
  薬師淳子 二人の娘 旅行会社に勤務

9.夜が明けても暗い日々

 立山麻里と滝谷七海が「とまりぎ」で飲んでいた頃、途方に暮れた薬師通子は、娘の淳子に連絡をとった。
 淳子は急ぎ退社し、母通子と共に警察に捜索願を提出した。
 警察への届け出は二度目だった。
 その後も淳子が運転する車で太郎を探した。通子の眼は太郎を必死に見つけ出そうと見開き、充血していた。
 「お父さんは山が好きだから、きっと山が見える方向に歩いて行ったと思う。」
 淳子は自分の勘を頼りにゆっくりと車を走らせた。

 一方、薬師太郎は途方に暮れつつも、これまで一人で頑張ってきたプライドからか、自己解決しようとひたすら家への道を探しながら歩き続けていた。
 「山でも迷ったことはないのだから、街で迷うわけがない。」
 太郎は何度もつぶやいていた。
 最初は通子を探しに出た太郎だったが、途端にその目的記憶を失うとともに、方角の感覚も不明瞭になっていた。
 しかし、なんとか自分で解決したいという思いが自分自身を支え、それが歩き続ける原動力になっていた。
 とは言うものの、さすがに半日以上歩き続けた身体は休息を求めた。

 コンビニの駐車場でへたり込んでいる老人を、腕にオレンジのリングをつけたコンビニ店員が不審に思って声を掛けた。
 彼にはすぐに道迷い人だとわかり、警察に連絡した。
 太郎は名前をすんなりと言えたので、届けが出されている行方不明者だとすぐに分かった。

 深夜の車の中。
 「最初の行方不明の時に、やっぱりスマホGPSで探せるようにしておけばよかったかな。」
 淳子は自分が行動しなかったことを後悔しながら運転していた。
 「でもお父さん、必ずしもスマホを持ってくれないから。今日も持って出てないし、登山靴履いていくなんて思わなかったしねぇ~ 」
 「お父さん、山へ行くつもりで出たのかな・・・ 」
 その時、助手席の通子の携帯が鳴った。深夜の2時だった。
 向かっていた方向とは真反対のかなり遠方の警察署からだった。

 疲れと不安で織り交ざった顔で警察署の片隅のソファに太郎は座っていた。
 そこへ通子と淳子が現れた。
 太郎は嬉しそうに笑うと、
 「なんだ通子、そんな疲れた顔して。どうしたんだ。」と言った。
 憔悴しきっていた通子はその一言に、思わず太郎をひっぱたきたくなった。

 三人が家に帰ってきたときには夜が明けていた。
 さすがに疲れたのか、太郎はすぐに寝てしまった。
 通子と淳子はリビングのソファにへたり込んで、大きなため息をついた。
 「認知症だから仕方がないとわかっていても、こんな事いつまで続くのやら… 私が持たないわ。」
 そう呟いた通子の横顔を淳子はしげしげと眺めた。
 「頼れるのは介護サービスだと思うのに利用できないなんて… 」
 淳子は消極的な介護関係者に憤りを感じていたのだ。
 「昨日も電話したんよ。何とかしてほしいって。でも返事をもらう前に、お父さんいなくなっちゃったし。」
 通子はうつむいてしまった。
 「ケアの人たちも、お父さんのような面倒な人はあまりかかわりたくないのかもしれない。今度私から強く言ってみる。はぁもうこんな時間… 仕事に行かなくちゃ。今日は大切な案件があるから行かないと… 」
 淳子は大きなため息を吐くと、出勤のための身支度を始めた。


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