11.苦情
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第1話「彼方の記憶」
【今回の登場人物】
立山麻里 白駒池居宅の管理者
滝谷七海 白駒地区地域包括支援センターの相談員
薬師太郎 要介護1 デイサービス行きを拒否
薬師通子 太郎の妻
薬師淳子 二人の長女 旅行会社勤務
介護者の時間の感覚と、ケア側の時間の感覚とは違うのです。
11.苦情
立山麻里はフェイスシートの続きを読んだ。
薬師太郎の家族のことが書かれていた。
妻の通子は、元々都内の出身だが、山や花が好きでなんとなく太郎が勤めていた旅行社に入社した。
ハイキング程度の経験しかなかった通子は色々と山のことを話してくれ、また連れて行ってくれた太郎と自然に心が通い合い結婚することになる。
しかし太郎は仕事に没頭していたため、通子は家事と子育てに追われた。 そのため自分がやりたいことはずっと我慢していたが、子育ても終わると、少しずつ女友達とハイキングを楽しむようになっていた。
また太郎が引退後、一緒に旅行に行くことも楽しみだった。
しかし、太郎の発病後、好きなハイキングもやめ、太郎に付きっきりになってしまったのだ。
一人娘の淳子は、太郎と通子の間にようやくできた娘だった。
女性登山家田部井淳子から名前をもらったらしい。
子どもの頃から忙しい仕事の合間をぬって、太郎は淳子をよく山に連れて行った。太郎からすればかわいくて仕方のない一人娘だったのだ。
しかし淳子自身は登山の経験は積んだものの、それ程山にのめり込むようなことはなかった。
むしろ世界の様々な国の特徴や生活、景観などを調べることのほうが好きだった。そのため旅行社への入職は必然と言えた。
入職したのは父太郎が設立した旅行社だったが、一介の職員として入職している。
当初から世界各地の情報に詳しかったので海外ツアー部門に入り、日本にいることが少なかった。
しかし、父太郎のアルツハイマー病が明確になり、母通子のしんどさを目の当たりして、国内担当に変更してもらっていた。
「さすが滝ちゃん、めっちゃ詳しく聞き取りしてるな~」
麻里が基本情報を読み終え感心していた時、その滝谷七海から電話がかかってきた。
薬師通子から、「昨夜夫がまた行方不明になって警察に保護された。ケアマネジャーは対応が鈍いし、介護疲労が強くなってきたので何とかならないか。」という電話があったとのことだった。
半ば白駒池居宅事業所への苦情のような内容だったと七海は付け加えた。
昨日は麻里の居宅事業所に電話があったが、今朝は地域包括支援センターへ電話があったことになる。麻里の白駒池居宅への信頼のなさが感じられるものだった。
七海は娘の淳子が休みという明日に、緊急の担当者会議を開きたいと伝えた。淳子自らが会議に参加したいと言ってきたからだ。
麻里には胸が苦しくなるような電話だった。
麻里は担当の徳沢明香と共に参加することにした。
電話を切ると、麻里は大きなため息をついた。
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