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「さちこ死ね」

「さちこ死ね」

ご存知だろうか?
怖い話?都市伝説?…そんな類のやつ。
私が聞いたのは30年以上前。
いつ、誰から聞いたか分からないのに、話を聞いたその瞬間から脳裏にベッタリと張り付いている。
あたかも私が経験したかのように鮮明に張り付いている。

私の脳内にある話はこうだ。 

さちこはお父さんとお母さんと幸せに暮らしていた。
そんなある日に悲劇が起きる。 
不慮の事故からさちこを守る為にお父さんが身代わりになって死んでしまう。
それからはお母さんが死物狂いで働き、さちこを養う。
今度はお母さんが体を壊し病気になってしまう。
死を悟ったお母さんは、さちこに「本当に辛い時、これを見てね」とお守りのようなものを渡し、息を引き取る。
さちこはそのお守りのようなものを肌見離さず大事にしていた。

高校生になったある日。
さちこのそのボロボロになったお守りのようなものを見付けた男子生徒がふざけて取り上げる。
「やめてよ!大切なものなの!返して!」
と、必死に叫ぶさちこ。
「汚ねー!中に何入ってんだよー!」
と、ふざけながら中に入った紙切れを見た男子生徒は顔面青ざめて静止している。
「…なんだこれ…」

「…これ、何?…」
と、自分から奪い取ったくせに男子生徒はゆっくりと機械的にさちこに差し出す。
差し出した手は震えている。

古びた紙切れにはこう書かれていた。

「さちこ死ね」

お母さんの字だ…さちこは思った。

こんな話だった。
誰に聞いても、そんな話知らないと言う。

聞いた時、ゾッとした。
まさかのオチ。
この世に存在してはいけないオチだ。
実の母親が我が子にそんな事を考える訳がない。
母親ではない。
その女は悪魔だ。
そうか!本当の母親ではなくて、継母だったのではないか。シンデレラ的なやつか。

当時の私の範囲の狭い常識と知識と感情では理解出来なかった。
「母親の愛情は絶対で、海よりも深く空よりも広い」
そう信じる幸せな子どもだった。
「子ども」側で考えた時、今でも素直にそう思っている。

それが「母親」側になった今、自分でも信じられないし、恐怖すら感じるのだが…考えが変わった。

息子が小学校低学年で不登校になった。
発達障害も分かった。
学校に行かない息子の為に翻弄した。
仕事も辞めた。
息子の特性は変化を嫌う。
「いつもと同じ」でないと安心出来ない。 
私はじっとしていられない。刺激がないと退屈で頭がおかしくなる。
安心出来る自宅にいたい息子と、外に出たい私。
その相反するストレスで不登校や発達障害の不安なんぞ吹っ飛んだ。
結果として、息子は学校に行かないと決め今はフリースクールに通っている。
お陰で外に出られるようにもなった。
理解のある方に出会え、仲間もでき、様々な体験をしながら成長している。
「母」として、最高に幸せなのだ。

でも、「私」は…。
自分自身を全部「母」に出来ない。

遠方のフリースクール送迎の為に以前の職場復帰は出来ない。
一般的に引く手あまたと言われる職種だが、平日の限られた時間や土日限定ではさすがに希望する所は全て断られた。
今、何とか働ける場所があったが全くしっくりこない。
…いや、「しっくりこない」レベルではない、苦痛でしかない。
辞めたくてしょうがない。

でもガソリン代やらフリースクールでの雑費代やら自分の携帯代やら保険やら…それらを考えると、辞めるわけにはいかない。
何より、これ以上夫の負担を重くさせる訳にはいかない。

フリースクールが終わってから公園で運動する事を日課にしている。
「いつもと一緒」が好きな息子は、殺人級の暑さでも寒さでも必ず公園に行かなければ安心出来ない。
一人では行けないので、もちろん私も一緒だ。
鼻水やら汗やらの体液に混じって涙が出てくる。
「もう帰りたい」
そんな思いを押し殺していると憎悪が生まれる。

素直な気持ちを言えば良い…と言う人がいる。
言えないのだ。
頑張ってる我が子を前に言えない。
我が子が安心するのであれば、我が子が喜ぶのであれば、そう思うと言えないのだ。

だって私は「母」だから。
母は我が子の事を一番に考える…のだ。
母は自分より我が子の幸せを考える…のだ。

そう…なのだ。
そうなのだなのだ。

でもそう考えれば考える程に憎しみが湧いてくる。

我が子は愛おしい。
我が子は唯一無二の存在。
我が子は生きがい。

嘘ではない。

嘘ではないのに、何故か同時に相反する感情が秘密裏に湧き上がってくる。
なんか、絶対アカンやつ。

さちこのお母さん…あなたもそんな思いを感じていたのだろうか。

必死になって働いていた。
馬鹿にする同僚がいたり、罵声を浴びせてくる上司がいたり、自分には合わない水の中をもがき苦しみながら働いて生きていた。
もしかしたら死ぬ程恥ずかしい事、自分の倫理に反する事もせざるおえない時もあったかもしれない。
価値観も感情も魂も殺して生きていたのかもしれない。
全てはさちこの為に。

私なんぞより、もっともっと過酷な状況であったあなたは、もっともっと苦しみ悩んでいただろう。
そして抱いた黒いものは、もっと闇を持っていたに違いない。

私は母親。
我が子の為に。

あなたも愛してたんですよね。
分かります。
すごく愛していたこと。

だって、さちこはあなたを一切憎んでいない。
あなたに愛があったことを全く疑っていない。
あなたからの愛を一身に受けて生きてきた。
だから、あなたからのお守りのようなものを肌見離さず大切に大切にしていた。

我が子は尊い。
我が子は愛おしい。
我が子さえ、無事で幸せであれば。
我が子の為なら、何も望まない…はず。

だけど、ふと気付くとあらわれる。
「我(が)」
気を抜くとヌルリとあらわれる。
「我(が)」

本当に?
本当にそれで納得してる?

絶対に言葉にしてはいけない考えが浮かび上がりそうになる度、激しく頭を振ったと思う。

可愛い我が子。
愛してる。
愛してるけど憎い。
憎いけど愛してる。
いや、愛してるけど憎い。
でも憎いけど愛してる。
…でも、やっぱり…。

貧しさと心弱さと衰弱していく身体。
そんな中で、最後に辿り着いたのがあっちだったのか。

そんな事を考えた。
あくまで個人の感想です。
「それ、あなたの感想ですよね?」
そうです。

勝手に思いを馳せてしまっただけです。

マクドでTVer観ながらグラコロセットと三角チョコパイをたらふく食って、息子を待ってるような私なんぞが理解出来る筈もないけれど。

母親になれば無条件で子どもの為に尽くせると思っていたが、実はそうでもないんだと実感する今日この頃。

私の身近にいる母親たちは皆そんな風にみえてしょうがないけれど、実は違うのか。





















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