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A病院での不妊治療②/どん底の時期

こんにちは。

数年前のことを授乳の合間に思い出しながら綴っているので、文章がおかしかったらすみません🥺
今日は不妊治療の続きです*

そして文章を書く前に、、今日4/23は特別な日。
今の息子が私のお腹にきた日です。
ちょうど1年前の4/23の14時10分に体外受精で私のお腹にやってきました🌱
1年後にこんな可愛い息子に会えるなんて思ってもなかった🥲❤️この治療の詳細についてはまたいずれ書いていきたいです*


では本題へ(`・ω・´)!


今日の内容

1.排卵誘発剤での治療、タイミング法
2.治療に疲れ一時中断
3.部署異動と離婚危機


1.排卵誘発剤の内服薬の服用(クロミッド)
   +タイミング法

基礎体温表で観察しながら継続的に通院し続けました。

前回の不妊治療で記載したような、時間もお金も無駄にしたような通院が約1年半くらい?ずっと続きました。

いい周期の大抵の流れは、
①月経開始日から2週間前後に受診→
(②ここでもう少し発育を見たいから何もせずまた2日後に受診ということも→)
③卵胞の育ちが良くないからクロミッド5日間内服→
④その後4〜5日後に受診です。
⑤そこで順調に主席卵胞が発育していれば、hmgの注射投与!
⑥そしてここ3日はタイミングをとってくださいという指導でした。
こういう周期は稀で、私の記憶では何回あったかなーくらいです。

しかし、クロミッド内服後も卵胞の大きさが微妙な時には副作用もあるため薬は使えません。
うまく育たない時には、
前述の①→②→③→④→とりあえず⑥という指導
のパターンか、
ひどい時は①→②→②→②→とりあえず⑥か、
①→②→②→②→黄体ホルモン剤(強制的に生理をこさせる)の投与でした。

ここで問題だったのが、医師によって治療方針が違うこと。院長先生に当たると、いい周期の流れor①②③④⑥という治療ができました。

自分の体は自分が一番理解しているつもりです。
私の身体は卵胞期がすーごくゆっくり。
そのため、②を繰り返すことでうまく育つ時もあったり、様子を見ながらクロミッド投与でうまく育つことも。

しかし、医師によっては②を繰り返すこともなく、「今周期は妊娠が難しいから黄体ホルモンを使って強制的にこさせましょう。次の周期でまたチャレンジしてみましょうか。」という医師がいたり。

ある医師は2〜3日ごとの受診を繰り返して、自分の感覚的にはこれクロミッド使える感じだな!と思ったときにも黄体ホルモンを処方されたり…。


文章力がないのでうまく伝わっていないかもしれないですが、私も看護師。一般的な治療方針のガイドラインはあるけど、それに沿っていれば個人に合わせたパターンで安全であれば治療できるはず。
現に院長の時はうまくやってもらえていた。
外来がすごく忙しいのはわかりますが、特に女医2人くらいは「◯◯ですね。こうしましょう」と言ってあまり患者の話を聞かないし、カルテや基礎体温表を見ていてこっちもあまり見ない。

2ヶ月に1回とかでやっと受診できる貴重な周期。
なのにテキトーにみられてるのが、産婦人科領域が無知な私でもすごくわかりました。
これが2019年くらい。結婚3年目。


2.治療に疲れ一時中断

私より後に結婚した人たちがどんどん妊娠していく。しかも気を使われているのがすごくわかる。
気を使われすぎて、周りには妊娠報告してるのに私にはしてこない子も。

1番辛かったのは、職場の後輩。
その後輩が最近彼氏と別れたって話をして聞いているうちにその延長で少し仲良くなって、ある日ご飯を全然食べなかったから気持ち悪いの?大丈夫?と聞くと、「別れた彼氏との間に子どもができちゃったかもしれなくて」と。「まだ誰にも言ってなくて。できてたらどうしよう。病院行ったほうがいいですかね?」って。
確かに私はよく色んな人から相談されやすい。でも親や看護師長さんに言う前に一番最初に私に相談してきたのが1番辛かった。

産婦人科でもうまく治療が進まず、そのうち妊活の何もかもが嫌になり、しばらく基礎体温もつけられなくなりました。
月経がきても、病院に通う気力がなく行きませんでした。


…と同時に私の部署異動が決まりました。
このタイミングで部署異動なんて。
でも7年ずっと同じ部署だったので、そろそろ異動って言われてもおかしくない時期でした。

しかも病棟勤務の私に異動命令が出たのは手術室でした。
患者さんとの関わりが好きだったのにそれが出来なくなるのと、全分野の手術があるので覚えることが多いと聞いていたのと、1番は人間関係が最悪と有名だったため、色んな意味で1番行きたくない部署だった。地獄でした。



3.部署異動と離婚危機

ここから下は仕事と離婚危機の話なので、妊活の話は遠ざかります。自分の備忘録として。



さて、いざ部署異動。
手術室は一通り出来るようにならないと夜勤が出来ないため、勤務形態は月〜金の5日勤のみへ。
そして夜勤手当がつかないため、毎月初任給と同じ額になり給料10万以上ダウン。

人間関係は聞いていた通りでした。


"手術室はみんな行きたくない場所=新人や育休明け等でやむを得ず入る人以外は異動を断る=断らずに病棟から異動してくる人は変わり者か、よっぽどできない人"

という謎の噂があります。
私は異動を断ることなんて出来ないと思っていたので、当初オペ室の人たちに変な目で見られてることは知らず🙄

今では笑い話ですが、、、
最初はどんな変な人が来たんだろう??ってみんなに思われていたらしく、姑息でいじめみたいな感じで手術室スタッフは接してきました。
本当に本当に嫌でした。

看護部にすぐに異動願いを出すと、異動させてもらえず、ここで頑張りなさい、と。。
業務的な仕事だし、私の病院は大きい病院なので全科の手術をしてます。器械とか手順とか病態とか本当に覚えることがありすぎて頭がパンクした。

勉強してもしても勉強することだらけだし、24時間じゃ時間が足りなさすぎるくらいで勉強が終わらないし、でも覚えなきゃいけないし、手術は一回一回が本番だから中途半端な状態で出勤できないから毎日徹夜で通勤中もご飯中もずっと勉強して参考書見て、分からないことはスタッフにきいて、、生活が一変した。

ぶっちゃけ今思うと病棟は勉強ある程度してれば雰囲気で働けます。ある程度の医療行為を実践する技術さえ身につけちゃえば、あとはコミュニケーショでなんとかなる。
でも手術室は雰囲気では働けない。

ある程度の医療行為は一通り経験して、病棟ならどこでもやっていけるくらいの技術は磨いた中堅看護師ですが、手術室に行ったら何もできることがなくてプライドなんてズタズタでした。

同じ医療なのに、全く違う職業に転職するくらいやることが違くて。
しかも手術室の独自のやり方も沢山あって。

でも手術室スタッフは自分たちはできるから、なんでそんなこともできないの?みたいなスタンスで関わってきて、本当にいじめみたいで地獄だった。
一昔前の新人時代、パワハラがひどかったんですが、それが手術室は残っていました。
パワハラだらけ。

医療行為でできることはやるけど、あとは初めて見る光景でわからないからメモとって見学してたら、なにぼーっとしてるの?手伝ってよ!って先輩から言われることもあれば、
手伝おうとしたらしたで、触らないで!とか。

いや、手術室にある患者の術野を照らすライト分かりますか?あれ無影灯って言うんですが、素人目線ではただ当てればいいと思うと思いますが、実際はあれ意外と思った方向にすぐ動いてくれなくて動かすの自体難しいし、当てる場所もやんわりじゃなくてココ!ってところに正確に当てないと医者に術野が見えん!って怒られるんです。

頭の手術は頭のやや上の左右からで、お腹の手術は大きいライトが真上からで小さいライトが下から当てるとか。婦人科の手術は真下からとか。
そんなこと実際に手術に入ってないと知らないのに。

泣きながら異動願いをまた出しに行ったら、看護部に部署内での出来事を探られた。
でも変なこと言うと師長の耳に入って働きづらくなるから嫌なことたくさんあるけど詳細は言えるわけないよね。

看護部からすると、辞めたい人が多発しすぎる部署だからどうしても聞き出したそうだった。
私にも聞いてきた。でも言わなかった。

すると、看護部の面談時に
「〇〇さんがここの部署を変えてってよ!影響力があるって聞いてるよ。後輩の指導も嫌いじゃないんでしょ?スタッフを巻き込んでいい方向にしてって」って。

それを聞いた時、あー私はそのためにここの部署に異動させられたんかって悟った。
悔しかった。

辞めたかったけど、、悔しくて辞めなかった。
むかついてスタッフにどんな嫌味を言われようが、何をされようが、顔見知りの医者を味方にして頑張った。そしたら医者が褒めてくれた。
そしたらみんなの見る目が変わった。

そしたら部署の人たちが頑張りを認めてくれるようになり、なんか雰囲気がかわった。

部署内の雰囲気が悪すぎて辞めていく人はたくさんいましたが、なんか少しずつ雰囲気が変わっていきました。


だいぶ話が逸れてしまいましたが、出来ない・認められないことが悔しくてがむしゃらに頑張って、辞めてく人が可哀想でとにかくこの部署を変えてやろう!って必死になって、妊活どころではなくなって、気づいたら異動して1年半ほど経過してました。笑
その頃に燃え尽き症候群みたいな感じで何もかも嫌になり無気力になりました。




そして離婚危機の話。
部署での壮絶な話はほんと一部なのでもっともっと苦労しましたが、、
家では勉強ばっかりになってしまい帰宅してもご飯は時短で作れるもの、お風呂も前は毎日一緒に入っていましたがその時間が勿体無かったので別々になり、夜も徹夜だったので主人との会話も減り、私の給料も減り、息抜きもできずストレスフルの状態になりました。

そんな時、子どもの話に。
主人に話を持ちかけると子どもはいらないと。
そして人生は一度きりだからお金は自分の好きなことに使いたいと言われました。この頃主人は生活費を一切私に渡してくれませんでした。
(主人の方が給料が低い上、また浪費癖があり給料は全部自分のことに使ってしまうような人です。趣味は熱帯魚、新しいもの好きで携帯は新しいものが出たらその度にローンを組んで買い、車もローンを組み、タバコも1日2箱くらい吸う。)

え、、この人は私の給料で生活していくつもりなのか。なんで私だけ我慢してるの?あなたの給料や浪費癖のおかげで仕事が辞めれないのもあって、今給料下がっても色んなことをすごい我慢してこの先不安だから毎月貯金まで一応してるのに。自分中心すぎんか?そしてこっちはタイムリミットあるのに、簡単に子どもいらないって。
(あと、周囲から言われますがうちの主人は完全にモラハラだそうです。)
って、色んなことに腹が立ってきた。


普段、喧嘩というよりも、モラハラ夫のためどっちが悪かろうが言いくるめられてしまい、いつも主人が私を叱りつけるような感じでした。言い返すと3倍くらいになって返ってくるのが正直面倒くさいのもありました。
しかしこの時ばかりはムカつきすぎて、言い返した。そしたら収拾がつかなくなりました。
夜喧嘩が始まり、朝までずっと話をして、いつも何も言わなかったのですが、もう離婚してもいいと思って全て不満を言いました。
私の両親にも遠慮なく怒鳴りつけるような主人。両親とも不仲なので、それも嫌でした。

そしたら、わかったと。
それが2020年の年末。
離婚の手続きを始めようと行動し始めました。
すると主人が何を思ったのか、子どものことについて話し合いたいと言ってきて、続けるためには何をどう改善すればいいのか聞いてきました。

どうやら主人にとって、犬が子どもみたいになってしまったから離婚する親の気持ちになったみたいです。この子達には親が1人だと寂しがる。親はやっぱり俺たち2人じゃないと、可哀想…と。

本当に離婚しようと思っていたので、心が揺らがないように連絡も無視したりしましたが、今まで子どものように可愛がっていた犬たちのことを言われると涙が止まらず…


話し合いを重ねた結果、

モラハラは気をつけて直してくれる、
お金のことはストレスがたまらない程度に少しは使わせて欲しいけど生活費はちゃんと入れる、
子どものことは出来たらいいねくらいの気持ちで妊活を再開しよう
…と、色々と話し合って続けることになりました。
文字では簡単にしか書いていませんが本当にこの離婚危機の時は大変でした。


こうして離婚危機を乗り越え、
2021年の1月から妊活を再開することになりました。

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