釜戸前、半透明なAIと

『█████████……どこまで正しく聞こえた?』
『何を選んだとしても後悔だけはないように。ですよー』
 ————
 煌煌魔機構獣が発生してから、あれは不定期に移動を繰り返していた。ある時は海、ある時は映画館、ある時はどこかのエリア……そうしてあれがグラウンドへと立ち入った時、私達は美術館への避難を命じられた。美術館を避難所として使用するのは、以前にもあった。前回の使用も少し長いものではあったが、ここでは割愛する。とにかく、今回も避難してから数日が経過していた。……今、自身で起こした火の燃える釜戸を前に、何をするでもなく、唯、私は、立ち尽くしている。この釜戸も、以前避難した際に造られたものだ。
「…………にた……」
 己にすら聞こえるかも怪しい、深い、ふかい独り言は、焚き火の音に紛れて消える。虚な瞳は、閉じた瞼に隠され、他の誰にも、確認する術は無かった。
 不図、隣を見ると、半透明に透けた者が立っていた。ドールよりも一回りほど小さく、モノクロのスーツを着た人型の何か。煌煌魔機構獣発生後、私は何度かそれを見かけ、接触したことがある。後ほどこれは新しく導入された人型教師AI、アルゴであることが明かされるのだが、現時点ではアルゴがその名すら明かそうとしないので、着用物を見て教師なのだろうと、私は予想することしかできない。
「……あら……どうも」
 認識はしてしまったので、挨拶を送る。すると彼は笑顔で手を振り返してきた。
 何故彼が半透明なのか。それはガーデンからの正式発表がされておらず、発表までドールにはバレないよう、屈折魔術を行使しているからだ。屈折魔術とは、光の反射等を利用し自身の姿を他者から見えなくする魔術である。……では、何故私には認識できるのか。そちらの話は、また長くなるので省略する。
 特に何も話を振らずに居ると、彼は取り出した手帳に何かを書き込みだした。
『避難所生活、大変なのです。
 オレが
 オレまだ透明なまま避難所にいなきゃいけないのですよ!?』
 どうやら、自身が魔術を使い続けなければならないことに対する文句のようだ。……正直今の私にとってはどうだっていいが、話は合わせよう。
「……っふふふ……そやね。えらい大変なやっちゃで。それ、いつまでなっとるンです?」
 そう聞けば、彼はまた手帳に書き込む。急かす必要もないので、私はじっと待った。
『今回のビースト討伐後、オレちゃん登場なのです!
 正式な出番はまだ遠そうなのですよ』
「へぇ……そういう。倒すまで動くなとか言われたのやろか。ま、ま、はよ出てこれたらええね」
『そんなところなのです。討伐が終わったら、オレちゃんがこの空気をガラッと変えてあげますなのですよ!』
 そんな文章を見せながら、彼は何やら悪い笑みを浮かべている。
「あんさん、何するつもりやねんな。……や、やっぱええわ……そういや、ちょっとよろしい?」
 あまりこの話を広げるのは危険だと察し、私は以前から気になっていたことを聞くことにした。
『なんですか? なのです』
「……その……なんやろ、怒らしたら堪忍ね? 前の方って、もうちょいおっきかった気ぃすんのよ。こう、大きさって、皆ちゃうんです?」
 何となく、本当に何となくだが、私は彼の身長が気になっていた。グロウと同じく教師AIとして導入されたのならば、そのデザインの差は何なのか。果たしてそれは性能の違いなのか。
『体格の話なのです?
 グロウはたしかにドールより大きかったなのです。
 オレちゃんなんで小柄なんでしょうね? なのです。
 でも小さい分、素早いなのですよ!!』
 そう書いた紙を見せるなり、彼はその場で反復横跳びを始めた。成程、確かに素早い。うっかり転けないかが心配だ。
「お、おうおう……怪我しぃなや……?」
 扨、彼にも理由はわからないらしい。ということはあまり深い意味は無いのか。この疑問は一度隅にやっておくことにする。
『運動神経には自信ありなのです! エアロスラスター部の助っ人になるつもりなのですよ。演劇部も気になりますなのです! これから楽しいこといっぱいなのですよ!』
 反復横跳びをやめた彼は笑いながら書き込んでいたが、少し火を眺めて真面目な顔になる。
『グロウがいたらもっと楽しかったのに』
 その文章を私に見せると、彼は直ぐに頁を破って、釜戸の火に投げ込んだ。
「……。そやねぇ……なんや知り合いっぽいし、居ったら楽しかったのやろね。……あんさんらって、どないな感じやったんです?」
『オレとグロウが会って話したのは1日だけなのです。でもオレにとってグロウは憧れの先生なのです。報告書を見て、オレもこんな風に生徒と本気で向き合えたらいいなって思ったなのです』
「……はぁ……そない短いンに、憧れなぁ……そんくらいえらかったのやろな、実習生はんは」
『だって端末のセンセーを見てくださいなのです。あれと比べるのが失礼なくらい、グロウは努力してましたなのですよ!!!』
 そんな文を見せながら、彼は片腕を勢い良く振っている。
「ほほほ……ま、そやね。えらい頑張っとったみたいで」
 端末型に対する憤りを見せるなどして、とても元気な様子だったが、ふ、と彼は肩を落とした。
『1日だけだから、オレ、グロウのこと本当の意味で分かってないけどね、なのです』
「……理解は、それぞれやろ。どんだけ話しとってもわからんモンはわからん。そない気ぃ負うことあらへんのちゃいます?」
 下手に励ましの言葉を掛けると逆効果になる場合もあるが、この時は何も言わないよりはマシだろうと思い、話す。すると俯いていた彼は元気よく顔を上げた。
『イヌイさんいいこと言いますね、なのです!』
『理解が足りないからこそ、オレの中でグロウは聖域なのです。実際のグロウは結構へなちょこっぽいなのですが、オレの中では一番強く輝くぴっかぴかの星なのです☆
 憧れは理解から最も遠いっていうらしいなのです!』
 どうやら今回は正しい選択をしたらしい。……彼が無理をしている可能性はあるが、傍目には正解だ。
「あら、あら、まあ。なんや元気ンなったみたいで良かったわ。……なれたらええねぇ、あの実習生はんみたいに」
『オレちゃん、グロウみたいになれると思いますか!? なのです!』
 撤回しよう、間違いだった。彼は手帳に大きく書き込むとその手帳を私の顔へ押し付けるようにして見せてくる。邪魔だ。とても。
「べっ、ばっ……近い……!!」
 私は彼ごと手帳を振り払い、距離をとる。
『近い!? オレちゃんとグロウが!? いやー照れますなのですよ!!!』
 満足げな顔で手帳を引っ込めると、更にそう書いて私に見せてきた。
「ちゃうわ! 紙が近い言うとんねん! 全く……はぁ……ま、なれるやろ、多分……ええ……」
『ほにゃ? イヌイさんって面白い生徒なのですね~! もっと物静かに本を読んでいる美女…美男…美ドールのイメージだったなのですよ! そういえばフルビ討伐のとき穴に自ら落っこちてましたけど、あれって何だったんですか? なのです』
「!!!」
 こいつは。
 いつ知ったんだ。
 後から考えれば、彼は仮にも教師AI。端末型のAIも、ドールの行動を把握しているように思えるので、同じ機能が搭載されているのだろう。然しこの時の私は誤魔化すよう徹することしかできなかった。
「…………あー…………知らんねぇ、そないなこと……はは……」
『???????
 よく分からないですけど、あの報告書は見てて面白かったなのです! イヌイさん、お笑いに向いてるのかもしれませんなのです。オレと学園祭のステージで漫才やりますか? なのです。オレちゃんツッコミなのです!』
 成功したのか、失敗したのか。私の誤魔化しなど気にも留めず、彼は学園祭の話を切り出す。少したのし誰がやるか。
「や り ま せ ん ! やるにしてもあんさんにそっちは無理やろ……!?」
 私がそう言うと、彼は口をぽかりと開けた。なんだその顔は。意外だとでも言いたいのか。
「なん、なんやのその顔……」
 特に返事は来ない。なんなんだその顔は。
 そんな疑問も他所に彼はまた手帳に何かを書き込む。
『イヌイさんは学園祭、何やるか決まってますか? なのです』
「や、特には……決まってませんけど。皆さんがなんかやるやろて」
『オレちゃんとイヌイさんでなにか一緒に出し物をやるべきなのです。オレちゃんたち、もうこんなに通じ合ってますから、なのです!』
 親指を立てると、彼は満面の笑みを浮かべる。名前は疎か声すら聞いたことがないのに、何を通じ合ったというのか。……否、聞いたとしてもどこが。
「一緒にぃ……?? ……」
 私は眉を下げて考え込む。学園祭の存在自体、言われるまで忘れていた程だ。
『何かやりたいことありませんか??? なのです』
 したい事が無いように見えたのか、彼は瞳をキラキラとさせ見つめてきた。
「やりたいこというたら、パッと出てこんなぁ……ほんでもやるンやったら、他の子がやっとらん種類にしたいわな」
 嘘だ。抑も私は、あまりそれに参加をする気が無かった。……しては、ならない。然しそれを口に出すのも、憚られる。故に、咄嗟に嘘をついた。彼がそれに気付く様子も、少なくとも私から見れば無い。
『お化け屋敷はどうなのです?』
「ぉ、お化け屋敷……なして? おどかすン好きなんどす?」
『オレちゃんホラー好きなのです!!!! でも怖いのは苦手なのです。イヌイさんは怖いの平気なのです?』
「あー、やる側なら平気やろっちゅうあれか。あたくしは、まぁ、大丈夫やよ。びっくりしたりはしますけどね」
『いや、やる側になってもビビると思いますなのです! ギャーって叫びながらこんにゃくを首筋にピトッと当てますなのです!』
「どういう状況??」
 得意気な彼の顔を見て、思わずツッコミの言葉を口から漏らしてしまう。
「それ……楽しいんか……?」
『お化け屋敷は候補に入れておきましょうなのです!』
 結局この言葉にも返事はない。先程から教師らしからぬ言動しか見せないが、本当に彼は教師AIとして来るのだろうか。
『歌バトルとかどうなのです? オレちゃん&イヌイさんVSカガリさん&ドロシーさんとかのグループに分かれて、デュエットで歌って、観客にどっちが良かったか勝敗を決めてもらうなのです! オレちゃん歌は得意なのですよ! イヌイさんはお歌どうなのです?』
「歌ァ?? お歌はちょっと……聞くだけでええわ……あんま、よぉできるとは言えへんし」
 正直なところ、私はあまり歌ったことがない。興味を持たなかった、の方が正しいかもしれない。
『えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 イヌイさんのお歌聞きたいなのですーーーーーーーーーー』
 そんな紙を散らしながら、彼は地面に伏して四肢を暴れさせる。声こそ出さないものの、実に騒がしい。
「あ〜〜〜〜〜〜〜こらこらこら! 暴れんの!」
 それから暫く、暴れる彼を取り押さえるのに、時間を要することになった。この間に他の者が来なくて本当に良かったと思う。攻防の末漸く諦めたのか、不満げな顔でありながらも彼は大人しくなった。
「はあ、はぁ……お歌は、他の子とやっときなね……?」
『イヌイさん、最前線でオレちゃんの歌聞いてくれますか、なのです』
 歌に関しては本気らしい。最前線、となると、参加が避けられなくなる。……返事だけはしておこう。
「ま、まあ、聞くくらいやったら」
『うちわと光る棒振って応援してくれますか、なのです』

『イヌイさんが応援してくれないと歌えませんなのです!!! オレちゃんの歌がないと学園祭は99%の損失が出ますなのですよ!!!』
「そない出るかいな!?
 あ゙〜〜〜もうわかったわかった、持つだけな! 持つだけやからな!」
 勢いに任せて、余計なことまで口走ってしまう。……否、これは唯の口約束だ。破ろうと思えば、いくらでも。
 私の答えを聞いて、彼は大袈裟に跳ね回って喜んでいる。探せば乗り気な者は出てくるだろうに、何故私を。
「全く……元気なやっちゃで……」
『イヌイさんはなんか疲れてますなのです??? 若いのに……なのです』
「誰のせいやと!??」
 ひょっとすると、私の声は誰かに聞かれているやもしれない。1人くらいは居るのだろう。全員眠っていてほしいと祈るばかりだ。私の祈りも疲労も知らず、彼は私の前で惚けた顔をしている。……不図、私の手が彼の顔に伸びた。
「…………なんねその顔ォ…………」
 そのまま彼の両頬を掴み、左右に引っ張る。ドールの肌と同じように造られた彼の顔はよく変形した。
「……ふふふ」
 子供のように痛がる表情を見ては、手を離してやる。すると彼は直ぐに不満を露にした。
『オレちゃんのハンサムな顔面に何するんですかなのです!!!!!』
 何を言っているのだか。
「ほ〜〜ん? ほたらそのはんさむなお顔こうしたるわ」
 また彼の顔を両手で挟めば、そのまま捏ねくり回してやる。何かを手帳へ書き込んでいるようだが、元々乱れていた字が更に乱れ、何を書いているのか読み取れない。
「あ〜らあら、なんや読めへんけど怒ったことだけはわかるわ。堪忍堪忍……ほほほ」
 表情と手つきから察するに、腹を立ててはいるのだろう。私は虐めるのを辞め手を離す……と、瞬間彼の姿が視界から消えた。魔法の類ではなく、彼の身体能力だ。私の後ろに回り込んだ彼は、脇腹を掴み、擽り始める。
「ばっ、ちょ、やめんしゃい!!
 このっ……フ、フ……」
 擽りによる笑いを堪えながら、彼の猛攻を止めようと尽力する。然し後ろに居るせいか、上手く捕らえることができない。
「ニ゙イ゙イ…………こんのっ……!! 知らんからな……!?」
 このまま続けていても埒が明かない。少々乱暴だが、無理矢理吹き飛ばそう。私は瞬間的に獣化魔術を使い、巨大なサイへと変貌する。狙い通り、彼を自身から離すことができた。彼が尻餅をついたのを確認すると、魔術を解いて元に戻る。
「はあ……はあ……全くもう……」
『なんで頑なに笑わないなのですか!!!!???』
「に、忍耐力っちゅーんがあんねん……」
『次は負けないなのです!!!!!!!!!!』
「これ勝ち負けあるんかいな……?? まあええわ」
『まあええわ、じゃないなのですよーーーーー!!!
 いつかイヌイさんをぎゃふんと言わせますなのです!!!!!!』
 どうやら変なスイッチを入れてしまったらしい。何をされるかわかったものではないが、今のところは安全だろう。多分。私は彼を軽く撫でてあやしてみる。
「はいはい、頑張り頑張り。応援くらいしたるわ」
『バカにされてるなのです!!!!!!!』
 そう書きながら震えている。やはり、今は安全だ。
「んなしてへんて。な? ほらお昼食べましょ」
 話を逸らすついでに、昼食の提案をする。とはいえこの避難所にはあまり良い食材が無いのだが。
『昼ご飯? ラーメンなのです?』
「それでもええけど、ここで作れるんです?」
 無論、無理だ。ラーメンについては諦めさせ、私は乾パンの入った缶を2つ持って釜戸の前に戻る。蓋は、折角なので開けておいた。
『乾パンをもそもそ食べるなのです?』
 かなり嫌そうな顔をしている。必要ないのなら、私が食べるが。
「そないな顔したって、今はそんくらいしかあらへんやろに? ほら食べ」
『イヌイさんの乾パンに入ってる氷砂糖くださいなのです。オレちゃんが美味しく食べますなのです』
 と、彼は図々しく手を差し出してきた。
「???? あげませんけど??」
 勿論あげる気はない。そう断っても、彼は両手を出したまま近付いてくる。……私は少し笑って氷砂糖を手に持ち、自分の口へと放り込んでやった。
『イヌイさん、オレちゃんのこと好きなら分けてくれてもいいじゃないですかなのですーーー!!!!』
 また子供のように暴れる彼を眺めながら、私は口に含んだ氷砂糖を噛み砕く。
『ちぇー、じゃあオレちゃんの氷砂糖あげましょうか、なのです』
 彼は自身の持つ缶から氷砂糖を出し、私の前に出す。
「……? や、あたくしはええよ。それはあんさんが食べたらええわ」
 絶対に仕返しだ。そう私は察したので、要らないと突き返した。が、どうしても渡そうとしてくる。
『無欲!!!! 無欲なのですよイヌイさん。良くないなのです。欲を出しましょうなのです。はい、あーん、なのです♡』
 そう彼は私の口の前まで持ってくる。仕方ないので、口を開けてやることにした。すると彼は手を引っ込め、自分の口に氷砂糖を入れる。
『あげませーん、なのです!!!』
 もごもごと口を動かしては、揶揄うように舌を出した。特に悪びれる様子は無い。
「な  ん  や  あ  ん  た……?? は〜〜〜〜〜…………全く……」
 わかりきっていたこととはいえ、少し腹が立つ。彼の行動には触れず、私は残った乾パンを食べることにした。
『乾パンって味気ないなのですよ。デスソースかけてみますなのです?』
「遠慮しときます。あんさんが試したったらええわ」
『イヌイさんがどんどん冷めた対応になってる気がしますなのです……』
「ん〜? 気の所為とちゃいますぅ? ……うん、食べた」
 軽くあしらいつつ、乾パンを平らげる。もう少しあっても良いものだが、おそらく通常はこれで丁度なのだろう。
『褒めて伸ばしますか、なのです。
 いっぱい食べれてえらいえらいなのですよーーー』
 ……何故だろう、異様に腹が立つ。そっと彼の頬に手を添えれば、先程よりも強く引っ張ってやる。痛がっているのか、彼はその場で地団駄を踏んだ。
「よぉ伸びるよぉ伸びる。ほほほ」
 今度は短めにして手を離す。あまり続けておかしなことをされても困るからだ。
『オレちゃんのほっぺたがちぎれたらどうしてくれるんですか、なのです』
「そんときはくっ付けたるわ。だァいじょうぶ、痛ない痛ない」
『イヌイさんオレちゃんをお子様扱いしてませんかなのです??? オレちゃん年上なのですよ!!!!!』
 年上、それは意外な情報だった。否、教師AIであることを考えれば当然かもしれないが。言動があまりにも。
「へぇ、年上。あんさんおいくつなんどす?」
『22歳なのですよ!!!』
「22なぁ……ほたら、そない変わらんな」
『イヌイさんは10代、オレちゃんは20代なのです。ぜんっっっっっぜん違いますなのです!!!』
「ほんでも4つしか違わんがな。それにあんさん、あんま上っぽくあらへんし?」
『見た目は子供! 頭脳は教師AIなのですよ! ナメてもらっちゃ困りますなのです!』
「ほ〜〜〜、そらえらいモンやねぇ。そのえらい教師さんのえぇとこ見たいわァ」
 こう煽ってやれば、何かしだすだろうか。或いは屈折魔術を解くことも期待したが、そんなことはなかった。
『いいところが見たいなのです~~~???
 仕方ないなのです。イヌイさんにこれを与えますなのです。これでオレちゃんを応援してくださいなのです』
 と、彼は『先生がんばれ♡』と書かれた団扇をどこからともなく取り出し、渡そうとしてきた。断る理由も見当たらなければ、先程からの交流で疲弊していたので、抵抗せずに受け取ることにする。
「……今度な。今度」
 私が団扇を受け取るなり、彼は満足そうな顔をして
『じゃ、オレちゃんは他の生徒を見に行ってきますなのです』
 とだけ残し、手を振って去っていった。残ったのは、私と、団扇と、消え掛けている釜戸の火のみ。
「……なんねこの団扇……」
 そういえば、何の為にこの火をつけていたのだったか。何の為にここに居たのだったか。……積極的には思い出さず、私は弱った火を消してその場を後にした。

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