「カガリと!徒競走篇」

 9月。ドロシーとの玉入れを済ませた数日後。イヌイは次の相手を探して再びグラウンドへと赴いていた。否、正確には探してはいない。確実に居るのを確認してから、グラウンドに移動している。
 寮に設置されたイヌイの部屋は、窓から校舎やグラウンドの様子を見ることができた。其処で9月に入ってからは頻繁に自室から外を眺めるようになったのである。其の際、何度か他の生徒達が競技を行っているところを目撃したが、イヌイは積極的に参加しようとは思わなかった。相手の居ない状態……1人の者に声を掛けた方が、より深く観察ができるからだ。
 今日、グラウンドに居た者は、黄色と赤紫色の髪をツインテールに括ったイエロークラスのドール、カガリだ。徒競走を行うようで、スタートラインに立ったまま誰とも言わない相手を待っている。イヌイが隣へと歩み寄ってみれば
「わ、一緒に走るのイヌイさんかぁ…!」
 と反応を示した。前回のドロシー同様、カガリはあまりイヌイとの交流が無い。其の為か、内心イヌイのことを読めないと思っている節がある。

「どうも。あんさんも走るのやね?」
「そだよ! …イヌイさん普段のんびりしてるけど…実は運動得意そーだよね!

…ま、かといって負ける予定はないけど〜!!」

 そう言うとカガリは軽く屈伸を始めた。競技の結果が何に影響するわけでもないが、勝負事は確り取り組む心算らしい。

「まぁ、苦手ではあらへんね。ふふ……お手柔らかにお願いします」

 合わせてイヌイも身体を伸ばしていると、端末型教師が1台近付いてくる。開始の合図を出す為らしい。2人がラインに立ち直したことを確認し、更に其の隣へ端末が移動する。

『位置について…よーい』

 パァン! と近くで聞くには少々大きな、何かの破裂したような音が端末から流れた。

「びぇ!!!!」

 少し離れた場所に居たイヌイは問題なく走りだしたが、より近い位置に立っていたカガリは驚いた様子を見せる。然し、直ぐに気を取り直し、イヌイを追って駆け出した。
 徒競走のルールは実に簡単、約50m程の距離を早く走り切った者の勝利。
 先に出たイヌイは順調に走っていたが、全速力で追い掛けるカガリの姿が後ろに迫る。

「!! んん~~~~っ!!」

 其の侭イヌイを追い越したカガリは失速することなく、ゴールテープを切った。

「ぃやったぁ!! ボクの勝ち~~!!」

 両手を上げて喜ぶカガリが自身の走った道を振り返る。数秒の間も無く、イヌイもゴールに着いた。

「やぁ、速いねぇ……負けてもたわ」
「おつかれ~!! …でもイヌイさんぜんぜん息あがってないね?」

 自分が張り切り過ぎてしまったかと、カガリは目の前のイヌイを眺めて思う。確かに、50mを走り終えた後もあまり様子が変わらないように見えた。

「ふふ、出さんようにしとるだけやよ。あんさんの方は大丈夫です?」
「ん~、まぁそこそこいい汗かけたかな!」

 少々疲れ気味だったカガリも、直ぐ普段通りの呼吸に戻る。矢張り只の個人差であろうか。

「なんならもうちょっと遊べるよ? 他の種目もやってみる~?」

 未だ元気な様子を見せるカガリが然う提案すると、イヌイは軽く両眉を上げた。

「他のん? かまへんけども、疲れません?」
「あと一種目ぐらいならやれちゃうよ!
イヌイさん神出鬼没だからこんなに一緒にいられるタイミングってなかなかないしさ~? 普段どこでなにやってるの~?」

 箱庭に住む生徒は基本自由に過ごしている為、現在地が把握しずらい。中でもイヌイはかなり外出する時間が長かった。図書室に居ることも多いのだが、カガリは普段図書室に向かうことの無いが故に、更に遭遇頻度が下がっている……というわけである。

「普段、ですか? えー……と、いろ~んなとこお散歩してますえ」
「ふ~ん……??
……じゃ、やっぱりここで会えるのはレアなんだ!」
「まあ、そやね。今のうちにいっぱい遊んだって」

 妙な返事の間に一瞬眉を顰めるカガリであったが、直ぐ気に留めなくなった。

「ね! ね! イヌイさんはやりたい競技とかないの?選んでいいよっ!」
「やりたい競技、て言うてもなぁ……騎馬戦? とか。馬なんて居るんけ?」
「用意された馬でかけっこするのかな? でも馬なんて見当たらないし…」

 お知らせの中にある競技の一覧から選び読んでみるが、騎馬戦なるものがどういう競技なのか、イヌイもカガリも把握していなかった。おそらく馬を使用するのだろうと予想するも肝心の馬が居ない。

「……あ! わかった!!」

 どうしたものかと2人して頭を捻っていると、カガリが大きく声を上げる。

「イヌイさんが馬になればいいんだよ!!
グリーンクラスだもんね?」
「あほ!!」

 カガリの突飛な提案に思わず突っ込んでしまったイヌイは、一瞬己の口を塞いだ後に顔を寄せ小声で話した。

「ほんまになったら罰則やろに……!」
「名案だと思ったのになぁ…」

 今回開催されているクラス対抗PGPなるものは、基本的に一般生徒ドールも観戦している。然して、一般生徒を脅かしてしまうと、ガーデンのとある校則に反してしまうのだ。校則に反すれば、罰則ポイントなるものが付与される為、できるだけ避けねばならない。
 では具体的に何をすれば脅かしたことになるのか。例の1つとして「一般生徒ドールの前での魔術使用」がある。彼等は魔術の存在を認識しておらず、其れを目にすれば混乱を招くのだそう。
 今回カガリの提案した「イヌイが馬になる」というものだが、実際になろうと為るなら、グリーンクラスに所属するドールが持つクラス魔術、獣化魔術を使用しなければならない。一般生徒でも使用できる変装魔法もあるのだが、あれは幻影を乗せるのみで、貌が変わるわけではない。故に、実現するならば獣化魔術が必須なのだ。
 そのようなことをさせてたまるかとイヌイはカガリを制止する。口には出さなかったが、自分が馬になるならどう戦うのかという疑問もあった。

「ねーねー! センセー! 騎馬戦ってどういう競技なのー?ウマいなくてもできるー?」
「騎馬戦というのは、このようにして4人1組で行う競技です」

 近くに残っていた端末型教師に聞いてみると、教師は説明と共に画面へ騎馬戦の編成を映し出す。

「上に乗っている騎手がハチマキを奪われる、または騎手が騎馬から落下したら負けです」
「ふ~ん……4人でやらなかったら罰則になる?」
「4人以下でやっても問題ありません」
「うん、よし! じゃ1人ずつで騎馬戦やろ、イヌイさん!」
「いやできるか〜〜〜〜〜い」

 またも飛び出す妙ちきりんな発言に再びイヌイは突っ込む。僅かながらに、アルゴと同じ気配をカガリに感じた。

「よにんでやらなきゃいけないという先入観をぶっ壊すんだよ! 騎馬役に担がれてるイメージをしながら頭についてるものを奪い合えばいいんだ!」
「乗ってなくて騎馬言えへんやろ!」
「……なるほど。乗れればいいんだね? ちょっと待ってて!」

 謎の発言の絶えないカガリが何をするのか、イヌイは一抹どころではない不安を抱えながら其の場で待つ。競技用の備品がまとめられた所へ向かったカガリは__大玉転がしに使用する玉を2つ、転がしてきた。

「ん。今からこれが馬です」
「もうちょいマシなんなかった??」
「え~~~??
そんなに言うならイヌイさんがなんか持ってきてよぉ~~~」

 不貞腐れたように頬を含まらせるカガリを見て、イヌイも溜息を1つ零す。

「あたくしがぁ? ……センセーはん、あたくしら乗せて飛べません?」

 大玉よりマシとでも思ったのだろうか。当然「無理です」と返答が来た。

「ちょっと表面積足りなかったかもねぇ……
やっぱり大玉に乗るしかないと思うんだここは」
「センセーはんでしたらこれくらいできると思たのやけど、しゃあないね……ほんでなしてそない乗りたいねん??」
「え?だって乗らないと『騎馬』にならないって………」
「これに乗る必要はないやろに??」
「2人だけでやろうと思ったらそうなっちゃわない? 全く動かないものに乗ってもつまんないし〜……」

 此の侭話を続けても埒が明かないのを察したイヌイは、強引だと思いつつも別の手段を考え、カガリに投げる。そうまでして乗りたくないのか。

「……わかった、わかった。あんさん1回乗ってみ」
「おっけ~!」

 あっさり引き受けたカガリは持ってきた大玉の片方に乗ろうとするが、大きさ故に、登ろうとしては落ち、登ろうとしては落ちを繰り返し、上手く乗ることができない。

「あれ、意外と難しい…んん………あ、そだ」

 不図カガリは大玉に手を触れると、基本魔法の1つである縮小魔法を使用し、大玉を3分の1程の大きさに縮める。然して其の上に座ると、掛けた魔法を解除し元の大きさに戻した。

「よし」

 暫くの沈黙の後、カガリは一言。一見上手くいったように思えるが、バランスをとるのに精一杯な様子だ。

「…………」

 勿論其れを逃すイヌイではない。どうするんだと言わんばかりに、玉をちょいと突いてやる。

「ん? あれ?」

 辛うじて保っていた均衡を崩されたカガリは、ゆっくりと後ろへ倒れて行き……

「あわわわわわわわわわ」

 其の侭転がりだす大玉の上で、落ちないようにと必死に動き回るカガリが誕生した。バタバタと走ったり意味も無く逆立ちをしたり等、かなり滑稽な動きをしている。軽く突いただけの筈が此処までになろうとはと、罪悪感を上回る愉快さでイヌイの口から小さく笑いが溢れた。
 散々転げた後、カガリは漸く大玉の動きを止めることができ、之で一安心__かと思った次の瞬間、反対の方向へとまた勢いよく転がりだした。

「あ゛~~!!!! イヌイさんとめて~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!」

 何故降りるという選択肢が無いのか。兎に角彼女は玉の上で必死に足を動かして、愉しげに観察していたイヌイに猛進する。が、イヌイもイヌイで止める気がなかった。寸での所で2、3歩ほど隣へずれ、過ぎ去るカガリを見送る。

「ええええええええ!?」

 転がり続けた大玉は何時しか校舎の壁に当たり跳ね返った。あれが大玉でなく大岩であった時には、罰則だったろう。

「びぇ」

 暴れ玉から解放されたカガリは地面に投げ出され数秒ほど突っ伏していたが、軈て徐ろに起き上がり、一言。

「ちょっと、うまくいかなかったかな~~……」
「はいはい、ちょっとな、ちょっと」

 誰が見てもちょっとどころではなかったはずだが、イヌイは否定せず、然う為ることにした。彼女がすっきり懲りたことがわかったのだ。

「折角大玉転がしと騎馬戦が同時にできると思ったんだけどなぁ。難しいねぇ」
「1個にしんさい。……そや、せっかく持ってきたのやし、やります? 大玉ころがし」
「そうしよっか。そっちの方がふたりですんなりできそうだしね~…」

 此の侭カガリをむくれさせたわけにもいかないので、少しイヌイが提案してやると、彼女も渋々了承した。次なる競技、大玉転がしの行方や如何に。

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