「出会って気付いておにぎりぽん」

 9月3日。私は自室でひっそりと目を覚ました。8月の私に声を掛けてみる。今日は、大人しい。先日とある者と約束を交わしたおかげか、己の死を強く願うことはなくなった。然し、その分思考力が鈍ったような気がする。
 ガーデンの方はといえば、次は『クラス対抗PGP』が始まるらしい。予め決めた競技を他クラスと行い、勝敗を決めるのだそう。あまり詳しいことは分からないが、相手を見つけた際には試してみよう。……扨本来であれば授業の始まる時間だが、クラス対抗PGPの開催期間は授業が開かれないとのこと。じっとしていても仕方が無いので、軽く身支度を整え、目覚まし序でにLDKへと向かった。
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「……はぁ……」

 台所で淹れたお茶を片手に、私は椅子へ腰を下ろす。……LDKに来たのはいつぶりだろうか……折角ならば、誰かと出会ってみたいものだが。其の者と競技の約束も取り付けたい。
 何をするでもなく呆けていたところで、微かに扉の開く音がした。何となく、其方へ目を向けてみる。

「……ぁ……お、おはよう!」

 入ってきた者は、初めて目にするドールであった。肩の辺りまで伸びた髪の一部は側頭部に2つ、顔の横に2つほど括り、前髪は片目を隠している。服の色を見る限り、どうやらイエロークラスの者のようだ。

「どうも、おはようございます。……お初やろか?」
「昨日ここに来たばかりなんだ。ワタシの名前はニチカ。センセーから名簿を借りてきた。キミは……イヌイだな! ……べ、別に仲良くしてほしいわけじゃないからな!」

 ニチカと名乗った其のドールは、手に持った名簿から私の名前……を読み上げる。言えば名簿を貰えるという事実は、頭の端で覚えておこう。紹介と照会が終わるなり、彼女は交流を拒否するような言葉を放った。他クラスであるが故に誘ってみようかとも考えたが、諦めよう。

「仲良ぉしたらあかんのです? しゃーないね。ほたらまぁ……昨日からやったら慣れんこともあるやろし……困ったら他の子頼ったって。ここは優しい子多いさかい」

 嫌だと言う者と無理に関わる心算は私には無い。其れこそ何かしらの目的がない限りは、視界に入らないよう努める。彼女の気分を害しても仕方が無いので、他のドールを勧めてみたところ、彼女は少し驚いたように息を吸った。

「イヌイ……キミの気持ちはよく分かった。でも遠慮しないでくれたまえ! 身を引くことはない! 誰かを好きになることは止められないのだからな……」

 遠慮をするな、とは。先の言葉は撤回されるのだろうか。とはいえはっきりと否定された訳ではないので、一度訊ねてみることにする。

「ぅん? あんさんが嫌なんとちゃうのです? あんさんこそ、そない無理して話さんでもええのよ、ね」
「べ、別に嫌なんて言ってないんだからな! 勘違いしないでくれたまえ! それにワタシは責任をとらねばならない。イヌイ達の心を奪ってしまった責任を……!」

 どうやら私は勘違いをしていたようだ。而して、其れは彼女も同じである。……ただ、今の私に訂正する気は無い。鈍った思考力の所為だ。どちらかと言うなら、後の言葉を広げた方が良いだろう。

「あたくしの早とちりでした? そら堪忍ね。ほんで、責任いうのは?」
「そう、ワタシはどうやって責任をとれば良いか分からないんだ……すまない……」
「…………」

 成程、彼女は存外無計画だったらしい。言いだすからには案の1つ出るかと思ったが……否。深掘りをすれば何か出てくるのではないか。

「責任って、どういうモンやと思います?」
「ぇ、ぁ……すまない、今のワタシには答えられない。イヌイはどういうものだと思っているんだ?」

 投げた質問が其の侭返ってきてしまった。責任、とは。答えが無いわけではない。然し其れは他に強制するものでもなければ、仰々しく掲げるものでもない。どうしたものか……と。
 少し、鈍る頭に悪戯心が浮かんだ。

「そう。……ほたら、責任いうモンについて教えたろ」
「ああ、よろしく頼む」

 湯呑を置き、椅子から立ち上がり、1歩1歩、彼女との距離を縮める。警戒心か戸惑いか、彼女も少し後退した。

「ええです? 責任いうのはねぇ……お相手の言うとること、ぜ〜〜んぶ聞いたることなんやよ」
「相手の言うことを、聞く……? それが責任なのか……?」
「そうです、そうです。これ作ってやとか、あれ欲しいやとか、どんなこと言われたって、聞いたらなあかんのよ……」
「そ、そうなのか……でもワタシは責任をとらねばならない! ワタシにできることなら何でもする!」

 簡単に受け入れられてしまった。……流石に之を鵜呑みにされても困るので、後ほど訂正はしておこう。然し其の前に、少しだけ、試してみたいことがある。申し訳ないが彼女には協力してもらう。

「へぇ……なんでもねぇ」
「べ、別に教えてくれてありがとうなんて思ってないんだからな! 勘違いしないでくれたまえ!
さあ、まずはイヌイの望みを聞こうじゃないか!」

 特に、願いを叶えてもらう気はない。寧ろ叶えられてしまっては困る。……其れは彼も同じなはず。

「そやねぇ……ほたら、台所にある包丁で刺してもらおかね? あたくしを」
「……え!? わ、ワタシに人格コアを捧げても良いということか……!?」
「……人格コアねぇ」

 返事を聞いて、少しハッとする。が、其方に思考をやるよりも先にLDKの扉が勢いよく開かれた。扉の壁に当たる音が大きく響く。

「待ってくださいなのですよ!!!」
「あら、教師さん。どないしたんです?」

 成程。

「その獲物はオレちゃんのものなのですよ〜〜〜!!!」
「他人のこと獲物言うな〜〜〜〜〜」
「それにドール殺しは罰則がつくからダメなのですよ」

 乱入してきた彼、アルゴは両腕で自身の前にバツ印を作っている。……獲物になった覚えはないが?

「あぁ、罰則……そういやそうやったわ。堪忍堪忍……で? どないです? 教師さん。取られそうですけど」
「イヌイさんはオレちゃんのものなのです!イヌイさんにオレちゃんの名前書いとかないといけませんなのですね〜‪‪」
「いらん、いらん、書かんでええて……今日はあかんのやね」
「気が早すぎなのです!まだ約束してから数日しか経ってませんなのですよ!!それにせっかくなら夜景がきれいな場所とか、特別なところでやりたいなのですよ〜」

 流石に数日で叶えてもらえることではないらしい。あまり生存の時間が長くなると、少し、考えないといけなくなってしまう。

「ほほほほ、そない綺麗なとこでやるモンとちゃうやろあれは。べつどこでやったってええんよ。ねぇ? 6期の方?」
「え!?!? よ、よく分からないが……生徒と教師でそんなことして良いのか……!?」

 果たして彼の約束が許されるのかは、私にも分からない。けれど、1つだけ言えることがある。

「教師さんやさかい、頼んだのやよ」
「オレちゃん1回ヤってますから任せてくださいなのです!」
「そ、そうか……ワタシはそろそろ部屋に戻るとしよう」
「いつあたくしにはしてくださるのやろねぇ。……あら、もう帰るのです? ほたら最後にこれだけ聞いたって」
「な、なんだ?」

 彼女の気力を奪ってしまったかもしれない。少し疲れた様子のニチカが開け放たれた扉の方へと歩いていくので、其の前にと私は引き留める。

「さっきの責任云々のお話……あれ全部冗談やよ」
「…………え?」

 数秒、振り返った彼女の表情が固まるのが見えた。そう、冗談。彼女が守る必要は全く以て無い。私さえ守っていれば良い。いつか彼女にとっての「責任」を見つけてほしいと、私は思う。

「べ、別に冗談だって分かってたんだからな!!! 失礼する!!!」

 其れだけ叫ぶと、彼女は逃げるようにLDKから出ていった。

「おもろ……」
「………………いや、だるくない? なのです」
「んっふふ。あんさんがそれ言うのです??」
「オレちゃんほど親しみやすいハンサムはいませんなのですよ!?」
「いやどこが!?」
「えっ?」
「あ??」
「それよりイヌイさん! 次は運動会なのですよ! 運動会も一緒に楽しみましょうなのです! じゃ、バイバイなのですー!」
「あ、こら。……逃げたな……」

 私が呼び付けた台風も去ってしまい、再びLDKに静寂が訪れる。

「…………」

 空になった湯呑を眺めながら、不図、先程までの会話を思い起こした。

「……人格コア、なぁ……」

 もし。彼の言葉が嘘だった場合。之以上長く生きる場合。私は、屹度進まねばならないのだろう。でなければ、再び誰かの道になることは永遠に叶わない。先ずは追い付く必要がある。……然し其の為には、最終ミッションとやらを熟さねばならない。内容は、……

「……1番て、言われてもねぇ……」

 詳細は伏せるが、其の内容には、自分にとって『1番傷付けたくないドール』が関わってくる。ドールでなければ達成不可なところが面倒だ。其のような者が果たして今の私に居るのかと、湯呑を洗いながら、考えた。

「そもそもその定義てなんなのやろな……好き合うてる子やとか、お友達やとか……」

 何を以て『傷付けたくない』とするか。矢張り関係性が重要なのだろうか。とすれば、ほとんどの者と平等に関わる私は、進めなくなってしまうのではないだろうか。

「……。……や、ちゃうか……?」

 考え方を変えてみる。
 傷を付けたくないということは、即ち失いたくないもの。つまり、失ってしまうと困るもの。損をするもの。私にとって其れは……何かを守る強さを、持ち合わせたもの。而して強くあるには、力だけでなく、優しさも必要である。それらを持ったドール。……私には1人、心当たりがある。少し半端なところは直っていないが、其れでも、私は彼の強さを知っている。未だ報告はしていないが、彼と拳を交えた私は、僅かながらに理解をしている。

「……ほんでも……」

 先に述べた通り。彼は『失うと困る者』だ。手を、出してしまって良いのだろうか。……否、手を、出さなければ。彼に殺される其の日までは、役に立つドールで居なければ。

「………………」

 矢張り、もう少しだけ、考えよう。そうだ、グラウンドで何か競技をしている者は居ないか。元より其の心算で此処に足を運んだ。相手を探そう。既に始まっているなら、観戦でもしようじゃないか。
 湯呑を片付けた私は炊飯器を開き、塩むすびを5個ほど握る。其れらを手頃な箱に入れれば、どうにか気を紛らわす為、グラウンドへと出ていった。

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