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8起業した農業に付いて

《漬物製品原料の確保の為の試作開始》
上記画像は、10aの一枚とその一段下の8aを苦土石灰を散布し、牛糞堆肥を総量2トン車満載4台分を散布して、深耕して土壌を膨軟に仕上げる事を目指してトラクター作業をした後の画像である。
そもそも、このような手技は、先祖代々、すぐき漬の生産者であって、作業の様子を見る機会が多かった事に起因するが、何よりも別に、亀岡市曽我部のお年寄りグループに漬物製造に使用する、私が指定する形状と品質の白菜と聖護院かぶらの生産を依頼した時に、助っ人として農作業で作物の成長進展に合わせた段階ごとに協働した経験が生かす事ができた。
実際、独自に単独で農作業に取り組んだのは、京都府経済連(現・JA全農京都)に漬物製品の卸売りを始めた頃からである。京都市卸売市場からの原料調達を主として行っていたのであるが、冬場の白菜と聖護院かぶらの価格相場の変動が激しく、大量に手に入れたい時には高値になったりするので、度々に利益率が変わる事によって、卸売価格の設定が難しくなるのがおもしろくなくて、自己単独で原料野菜の生産が出来ないものであろうかと、試験的にJA園部(現・JA京都黒田支店)に同居する園部農業公社で、体験農場(家庭菜園より少し広い)のわずかな2畝の耕作地を借りようとした時から始まる。しかし、準備されていたのは広すぎる約12a(1反2畝)の水田。いたしかたなく、持て余すのは判り切ってはいたが、行う前から無理という結論は持たない事にして、この面積を年間契約有償で借りる事にした。と、なると、漬物事業での売り上げに加えて、農産物の売り上げも期待できるのではないかと欲が出てきた。この発想が大きな間違い。漬物を作り、販売の営業を行い、農作業で原料を作り他の流通を構築して販売する。根本、一人で事業を行う事で利益を一人占めする事に、快感を得ていたので、身体的に辛い状況に陥る事は予想はしていなかったし、又、体力的にも無理ができる年齢であった。約3年間をその地で原料野菜を生産した。冬野菜は聖護院かぶら・白菜、夏は茄子(千両)と自分が食べる為の賀茂茄子と水茄子を少々。滋賀県を中心にドミナント展開をする大手量販と広島資本の大手量販、高知県を中心に四国全域に展開する量販の取引が開始して、農業に費やす時間が無くなり結局は投資した什器備品の償却が終わるまでに、園部での農業は廃止する事にした。夏の茄子収穫最盛期は朝3時起床で収穫作業に京都市内を出発して、収穫を終えて工房に帰着するのがお昼前。そこで少し仮眠を取り、漬け込みと製品の完成作業を行い物流会社の引き取りまでに出荷作業を終了させるいう、とんでもない仕事量をこなしていた。これに、月一回、それぞれの量販店本部へ商談サンプルを携えて向かう。ケチケチ性分ゆえに宿泊は車内。高速道路も使わずひたすらに我慢を強いる出張であった。しかし、効率良く無駄の無い営農方法と時間の使い方、量販店バイヤーとの優位的商談の方法と総合食品流通商社(伊藤忠・アクセス・旭食等)を帳合(総合食品商社に問屋業務をしてもらう。)にして、各量販物流センター向けの冷蔵物流を構築するノウハウは勉強をさせていただけた。

右の白菜は京都市中央卸売市場から調達した一般的な白菜。
左は亀岡市曽我部地区でお年寄りお百姓グループに生産を依頼した、
漬物原料に最適な私がお気に入りの品種。
この品種は私自ら、園部町船坂で試作を行った。

《移住先で何もせず空を見ていて、突然に決意》
当然、量販の物流量と原料調達のバランスが良好化すると京都府内で原料野菜を生産してくれる農業者さんを探しそこからの原料調達が主になり、京都中央卸売市場からの原料調達は契約栽培分が不足した量だけを調達するだけになった。しかし、その漬物製造事業に嫌気がさしてきた。漬物が乳酸菌発酵が体に良いとか、【京漬物】が登録商標されて使用に制限が生じた頃である。疑い深い私は、その文言の使用に関して否定的な考えを持っている。
調べて知識を深め、発酵とは?の真を知る為に見聞と知識を得て極めれば、乳酸菌の存在すら本当であろうかを理解できないようになってしまうような脳内混線が解けないでいた。京漬物と名乗る漬物を登録商標としてその名称を保護し、ブランドを強化しようとする漬物製造業者に関する定義(例えば、福岡産の高菜漬を京都の漬物事業者が樽詰めの状態で購入し、その袋詰めを香川県で行い、京都から出荷されれば京漬物の表記が可能である。またそのような製品が多くある。)が嘘だらけ。今も関わりたくない世界だと辟易としている。先述したが、嫌になった原因の一つであるが、今までを振り返ると、ハッと気付いたのは、東日本大震災の被害状況が目に触れた時の衝撃である。如何に無意味な欲を希求する時間を費やしてきたのかに自己嫌悪が激しくなり、とにかく、現実から逃避してリセットしたい気持ちがいっぱいになって、欲の希求と、本来、好きでは感情や行動を合わせる人付き合いから離れたくて一気に廃業し移住した。そんな移住後、陸送員で貨物車を長距離回送するアルバイトをしていて、色々な地方の特産農業を見る事ができた。帰宅すると何もせずに空を見ていて、パッとひらめいた。「そうだ!私には農業経験と習得した技術が有る。」で、以降、農業に専念する事が今に至る農業を本格的に構築開始する決意をした根源である。

《農業者登録=農業実践経験を農業委員会は問う》
農業者としての登録が無いと、農地の利用権の設定や農地の購入はできない。よって、先ずこの登録作業が必要になる。
農業者登録申請の書式には農業の実践的経験を問われる項目が有った。
では、全くの農業素人が農業を開始するにはどうする?
ベランダや庭でプランターで花や野菜を観察しながら育て、愛でる事でも自己満足の小さい農業を経験できるとは思う。しかし、この項に於ける農業者登録に関して、農業者登録申請の書式中には農業の実践的経験を問われる項目が有った。家庭菜園の経験だけでは、農業者登録に関して説得不足を感じる。できれば、圃場を借りて営農して、収穫物を販売するところまでは経験しておきたいものである。しかし、正式に農地利用権の設定や圃場購入ができないので、俗に言う【闇耕作】の状態での営農なので、黙認されるかと思うが、農地法的にはアウトである事に注意が必要である。
私は、登録時に正直に漬物事業を行っている時に営農実践していた、南丹市園部町での、営農実際を証明する事でその経験を問う事項を埋める事ができた。その時の農業実践に費やした全ての経費(機械・機器・什器・肥料・種苗・農薬・燃料等)の領収書と原料使用した記録簿と圃場写真を添付した記憶が有る。

《国・行政への相談=新規就農者育成支援》
国・行政は新規就農者の育成に熱心な取り組みをしている。門戸は広く説明も親切で、関して様々な事業紹介会や制度説明の会合が度々行われている。
京都府では、就農の機会や相談部所は親切な説明が受けられるであろう。又、全体的な就農までの流れを理解する上で新規就農知識として就農に関する催しや講演会等に参加し耳を預けるのは有意義であろう。その制度に従い就農者育成期間中に生活を保障する給付金を利用し、制度に従う事で新規就農は円滑に行える助力となるのは確実である。
しかし、その過程で移住場所近隣の実践農場で農業作業を行い経験値を築く事になるが、その実践農場が米作オンリー農家であったり、単一品種の周年作(1年中作る)農家であれば、機械作業の補助と圃場草刈り作業等の圃場管理作業や同じ作業の繰り返しをひたすら強いられる研修環境である事も辛い事であろう。しかし、この事例は稀では無い。自身が思う営農スタイルに合致した農業を経験する事は出来ない我慢期間になるように思う。
一つの重大な関門は制度に参加できる年齢制限が有る。
育成期間終了後の農業での生活基盤構築の難しさが有る事に注意が必要である。有利な資金融資を持ちかける内容も盛り込まれているが本質は重たい借金である。更に独立営農開始までに少し期間を要する。何より最終期に於いて、時代遅れ思考の農業委員会の老齢委員の意地悪で時代遅れの根性や努力文言の質問を受けたり、この育成事業に関係の無い地元JA新規就農担当職員との面接で全うな発言を強いられ、新規就農研修者としての熱意と人格を判断されて、「農業仲間に入れて良い。」事になる。だからと言って、決して円滑な農業を行うように助言や助力で新規就農を補助する立場になる仲間では無い事を先に知っておく必要が有る。

《圃場の確保》
京都市右京区京北地区に移住したので近隣で圃場を探す事にしたのであるが
きっかけを探す手段として【京北ふるさと公社】に相談を持ち込んだ。
早速、農地利用権設定のできる場所と農業者登録に関する手続きに関して
働いてくれたので、その権利設定までは納得して記名・捺印だけで苦労は無かった。できるだけ、効率良く移動時間を短縮できて、且つ、一人で営農するだけのまとまった面積が確保できるのを望んだが、近隣場所に約8a(8畝)の1面と約6㎞離れた地域で連なる2面の約10a(1反)と約8a(8畝)で両地域で合計約26a(1反6畝)を確保できて盛夏~秋にかけて耕作を開始をした。

私が管理する圃場周辺の取り付け道の傾面にへっちゃらで、圃場の周りに除草剤を均一でなく高い位置から時代遅れな慣行農法を正当化して地区の耕作者に強要し、下手くそな方法で薬剤散布する農家組合長が居る地区で圃場を利用権を設定して白菜と聖護院カブラの栽培をスタートした。
薬剤のドリフト(周辺から飛散して必要としない作物に降りかかる事)に
気をつけて栽培管理をしていたのであるが、とんでもない事を行う。
この組合長は作業を始めるとあれこれと指図をしに来る。よってそのたびに手を止めざるを得ない。邪魔な存在で何ら有益では無い人物であるのは直ぐに分かった。
過去の職歴(米国検査員)の態度を維持したまま、三体の品種と経営と言う事に無知で、
家族全員が地域で威張る事で他世帯を従属させている事で自己保身を見出し暇でバカすぎる
男だった。本来、草刈り機で短く刈り込めば、ガードレー足下から取り付け道の緑色であるべき傾斜面が薬剤で茶色に枯れてしまっているのが見て取れる。

《干渉と妨害》
先にも述べたが、陰湿且つ意地悪を経験した。除草剤を散布されたり、
水利を生育に必要な時期に止められたりした。
対策=徹底的に対抗した。
除草剤を散布した本人を行政を仲介者にして呼び出し、散布理由を聞いた。
散布理由=「タンポポが咲きそうだったから。」・・・・。私は暴れてしまった。そして、更に凶暴な男だと認識を与えたようだ。その後、私に対する接し方に少しの軟化が見られたが、今度は大切に育てた白菜苗の定植後の根の進展を促しその後の生育に水分が影響を及ぼす時期に、農業用水の使用中止を強いられた。私が使用する事によって、翌年の米作に使用する用水池の水位が下がり渇水に至るというのが理由。
だから、圃場の一部範囲に圃場内の降雨水や地中水分が集まり排水対策を行ってもジトジトヌルヌルで水気が抜けない部分が有ったので自然湧水がその下にあると判断をして井戸を掘った。
結果=「あたり!」
圃場整備前の用水跡が地中2メートルの位置にそのまま隠れていてその用水跡から自然湧水が圃場に流れ込んでいたので水がその部分に集中して抜けずに滞留していたのである。
コウコウと水が湧き水位が下がらない素晴らしい設備ができた。

約2メート四方の範囲で的を絞り掘り下げていくと予想通り畑土の下の基礎土壌の深部直ぐにその水脈を見つける事ができた。で、画像のように約2メートル四方を約2メートル掘り下げ樹脂製フレキシブルパイプを垂直に立てて周りを砕石で埋めた。井戸パイプに導けなかった水は砕石部位に貯水し、また、圃場内からの排水が砕石部位に貯留されて砕石部位でオーバーフローした水は別に
設けた排水路から圃場外に排出されるように整備した。
この井戸の設置と排水溝の新設によって圃場の湿土壌状態は好転し乾くようになった。

この井戸を巡っては、その後、痛快な事件がある。その地域で渇水が起こったのである。圃場周辺の耕作者が利用を求めてきた。当然、井戸の使用を認めて応じた。
しかし・・・・・。
地区の水利責任者で用水利用を止めた農家組合長も、私の井戸の水を求めてきた。
この時点で、厚かましく無能すぎるが、私は、「あなただけは、有償で水を分ける。」と発言した。この時の痛快な気持ちは忘れる事は出来ない。

今回はここまで、次回もよろしくお願いします。

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