ディストピア2-14

修学旅行も終わり、二年生という学年が終わるのも、そう遅くはなかった。話は変わるが、我々の学校には開かずの扉というのが食堂の横にあった。その扉は「開けてはいけない」というわけではなかったが、どういうわけか、誰も開けようとしない、不思議な魔力を感じる扉であった。ある日、原島がその扉を開けてみた。中からは腐乱臭が漂っており、それは鼻の粘膜が溶けてしまいそうなほどに強烈なものであった。つまり、開かずの扉というのは単なる生ごみを捨てる場所の扉に過ぎなかったのである。

私は五時間目の家庭科が終わると、さっそく原島や玉木、富岡、里田などと共に、原島が発見したゴミ捨て部屋に向かった。というのも。開かずの扉がある場所と家庭科室はとても近く、目と鼻の先くらいの距離しかなかったからだ。開かずの扉の中は話に聞いていた通り、生ごみが捨てられていた。また、窓もなく、電灯もなかったため、部屋の中の雰囲気は陰鬱なものであった。しかも、床は汚く、歩くたびにベチャベチャという、泥水でも踏んでいるかのような音が鳴っていた。恐らく、ゴミ袋から漏れ出したジュースや食べかすの一部が漏れているのだろう。我々は一通り、異臭に耐えながら、部屋の中を探索すると、教室に戻ろうとした。
「玉木、もう一回、俺と、この中に入ろうぜ」
どういうわけか、原島だけは玉木と共にもう一度、ゴミ捨て部屋の中に入ろうとしていた。次の授業が始まるまで、まだ7分程あったし、次の授業は国語で怖い先生ではなく、遅れてもさほど問題にはならなかったため、里田は教室に帰ったが、私と富岡、原島、玉木はゴミ捨て部屋の付近にもう少し、とどまることにした。
「じゃあ、入ろうや」
そう言って、原島は扉を開けた。先ほどと同じように異臭が押し寄せてきたため、私は息を止めていた。玉木は鼻をつまみ、微笑しながら臭い部屋の中に一番に入っていった。瞬間、急に原島は玉木の背中を思いっきり押し、扉を閉めた。玉木を強烈な臭いが充満する、暗闇の中に閉じ込めたのである。
ドンドンドンドンという扉をたたく音と共に「出してくれ」という玉木の籠った声が微かに聞こえた。しかし、それをかき消すかの如く、原島と富岡と私の笑い声が食堂と校舎の連絡通路で響き渡った。
おもしろい。
異臭のする部屋に閉じ込められ、助けを懇願し、三人の男に抑えられ、決して開くことがなくなった扉を必死になって開けようとしている友人の虚しい反抗が、私には滑稽に思えて仕方がなかった。二月であったため、連絡通路を吹き抜ける北風が体に冷感をもたらし、そのたびに暖房が効いている教室に帰りたくなったが、玉木をもう少し、“相手する”ことの方が我々にとっては優先事項であった。
ドン、ドン、ドン
玉木が腕ではなく、全体重を使ってタックルをすることで扉を開けようとしてきたところで、我々は扉の前から離れ、彼を開放した。玉木は部活動で一試合やってきたかのような、疲労感を漂わせる顔つきで生ごみ部屋の中から出てきた。
「どうやった?」
原島は玉木に向かって、そう言った。自分から玉木を臭い部屋に閉じ込めておいて、開口一番「どうやった?」と言えるような彼の神経を私は疑った。あまりにも鬼畜すぎる。彼のそのときの様子はまるで倫理の範疇を超えたマスコミのようだった。事故や事件で家族を失った遺族に対し、わざわざ家の前まで行き、「今のお気持ちは?」と聞くジャーナリストの姿と原島の姿が重なった。
「いや、別に臭いはどうでもいいんやけど、扉が閉まったら中が真っ暗になるからそれが怖い。臭いとかじゃなくて、暗闇に対する恐怖の方が強い」
玉木の答えは意外なものであった。というよりも、急なアクシデントの状況下で悶えながらも、自分の精神反応を冷静に分析していた彼の姿に私は感銘を受けていた。
さすがは玉木だ。これまで人間ジェンガや落ちる胴上げ、体育教師へのボール当てゲームなどをやってきた彼は常人がもっていないような冷静さや精神力を持っている。彼なら芸人としてマグマ風呂に入り、ダチョウ俱楽部の熱湯ネタを軽く凌駕できる素質を持ち合わせているかもしれない。
と私は思った。
ふと、玉木が時計をみると、授業が始まるまで、残り2分もなかった。我々は下に置いていた家庭科の教科書と裁縫道具を拾うと、両足を全力で動かし、教室に戻った。青空の中で太陽は眩しい光を放っていたが、冬の寒さを忘れさせるほどの熱は北半球には届いておらず、気温は5℃くらいしかなかった。校舎と食堂を結ぶ連絡通路では、どこからか入ってきた枯葉が風に舞い上がり、走っている我々の足許を優しく叩いていた。

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