ディストピア2-12

夕食を食べ終わると、入浴の時間が迫っていた。クラスごとに大浴場を使える時間は限られていたため、大浴場に向かう前に担任がクラスの人間が全員集まっているかということを確かめるために点呼をしなければいけなかった。我々はホテルの廊下に班ごとに整列していた。エレベーター付近の部屋に泊まっている班から順番に、服田が点呼をしていった。私は富岡と共に奥の方にある部屋に泊まっていたため、他の班の点呼が行われるのを観察していた。クラスメートと入浴から帰ってきた他クラスの生徒たちによってもたらされた喧騒がホテルの廊下を包み込んでいた。
突然、意味もなく周りの景色を眺めていた私の眼の中に信じられない光景が入り込んできた。
服田が酒谷の班員を次々とビンタしていたのである。私は戸塚ヨットスクール事件から40年近く経った、この時世において体罰を振るう教師がいるという現実に驚愕した。また、それと同時に友人がビンタされている光景が面白いなとも感じた。
「あっはははははははは」
横にいた富岡は甲高い笑い声をあげていた。周りを見渡してみると、彼のほかにも笑っている男子生徒がいた。
服田の平手打ちは、つぎつぎと男子生徒を襲った。一人、またひとりとビンタされていったビシッ、ビシッ、という音は聴こえなかったものの、ビンタされた生徒の顔が振動しているのは遠目からでも確認できた。そんな中、ある男子生徒だけは、ビンタをされると同時に床に倒れこんだ。私は男子生徒も方を凝視した。すると、気づいたことがある。担任教師の手がいつの間にかパーではなくグーになっていたのだ。
じゃんけんでもしていたのか?酒谷がチョキを出したから、服田はグーを出したのかと思ったが、真実はそんな生易しいものではなかった。
なんと、酒谷だけビンタではなく殴打だったのである。彼の顔には手のひらではなく固く握りしめられた拳が打ち付けられた。
(なんでなんだ!?)
私は、酒谷だけ何故殴られたのかということを考えた。私や富岡と違って彼はこの修学旅行において勝手な行動はしていない。誰かに迷惑をかけたわけではない。それなのに、何故彼が殴られたのか。どれだけ、頭を回転させてもその理由は分からなかった。
翌日、バスの中で私は酒谷に昨日、どうして殴られたのかを本人に直接聞いてみた。
「なんで、酒谷だけグーで殴られたと?」
「おれもわからん」
答えは意外なものだった。他の班員がテンポよく平手打ちされていく中、教師は酒谷と目が合った瞬間、拳を握りしめたらしい。
「俺が班長だからじゃないかな」
「え!?」
連帯責任。日本の五人組制度のような悪しき風習がこの学校にも触手を伸ばしているのだという事実に嫌気がさした。迷治学園は思春期の中高生に恋愛を禁止する時代錯誤な、自民党のような学校であるから、ある程度の理不尽は覚悟していたが、それでも、私は彼の答えを聞いた時は多少戸惑った。
「中岡たちが勝手な行動をしていて、俺がそれをちゃんとまとめられなかったからだと思う」
「だとしても、かわいそう…」
私は彼に憐憫の言葉を笑いこらえながら投げかけた。理不尽に殴られたという事実に対して、一種の哀れみも感じたが面白さも感じていた。行き過ぎた理不尽というものに対しては「かわいそう」とか「つらい」という感情より、「おもしろい」という感情が湧き上がってくる。それがどうしてかはわからないが、私にはそう感じた。
「おまえ、中岡にもボードで殴られたのにね」
私の横にいた富岡が話を突っ込んできた。言っていなかったが、昨日、服田に殴られる前に酒谷は班員の中岡にプラスチックのボードで頭部を殴打されていたのである。これに関しても正当な理由もなく、理不尽な暴力であった。
かわいそうだけど、おもしろい。
私が彼の不遇なシーンに対して抱く感情はやはり、この二律背反とした不思議な感情であった。このときの私は後に、自らが抱く「行き過ぎたり理不尽はおもしろい」という思考に苦しめられることになるとは知らずに…

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