ディストピア2-10

修学旅行は素晴らしいイベントだ。私の学校では中学二年生に沖縄へと平和学習の目的で行くわけだが、友人と旅行をするというのは人生の中でも五本指に入るくらい楽しいイベントである。我々は朝、学校からバスに乗り、福岡空港に到着するとJALを利用して那覇空港に向かった。機内では友人と話している者もいたが、私は機内の音楽サービスの中にあったX JAPANの「ENDLESS RAIN」を聴いて暇を潰していた。
沖縄に着くと、さっそく手配されていたバスに乗った。いよいよ修学旅行が始まったのだという実感がわいてきて、胸の鼓動が高まっているのを感じた。旅のしおりを見ると、主に訪れる場所は首里城や国際通り、ひめゆりの塔、摩文仁の丘、旧海軍司令部壕、沖縄平和祈念資料館、美ら海水族館などであり、平和学習を目的としたものだということが分かった。
バスの席は班ごとに分かれており、私は前の方にある席に富岡と共に座っていた。一日目ということもあり、我々の気分は高揚していた。ひめゆりの塔や摩文仁の丘などの太平洋戦争に関連する場所にいるときは心が沈むことはあったものの、それはそれとして、楽しんでいた。途中、佐喜眞美術館で基地問題について語っていた男の言説が若干、保守的であることに衝撃を受けた。福岡という基地問題にはあまり親しみのない学生たちが現地の人間の生の声を聴いたことによる衝撃は数年たっても忘れられないほどのものであった。修学旅行に行く前に授業で沖縄戦について映像資料を用いて学んだが、実際に資料館などでみる遺体の写真は簡単に形容することができないような凄みがあった。
平和学習が終わり、夕刻になった辺りで我々はバスに乗って、ザ・ビーチタワーという北谷地区アメリカビレッジ内にあるホテルを目指した。バスは沖縄在住の女性ガイドが乗っていたため、我々はコーラスコンクールのときに自分たちが選んだ「HEIWAの鐘」という沖縄の、戦争反対を訴える、合唱曲を披露した。クラスメートが一丸となって、ガイドをしてくれたこと、明日からもお世話になることのお礼も含めて歌った。
「よみがえれあの時へ 武器を持たぬことを伝えた 先人たちの声を永久に語りつぐのさ~」
女性ガイドは我々が歌っているのを静かに聴き、歌い終わったときには感動の拍手をしていた。
歌った甲斐があったな
私はそう思い、交差点の信号待ちに見える、夕刻の橙色の景色を観ながら感傷的な気持ちになった。

ホテルに着くと、夕飯までの間に自由時間が与えられた。各々、着替えを整理したり、明日の予定を確認したりして過ごしていた。私は同じ部屋だった富岡と共にテレビをみて過ごしていた。しかし、時間帯が18時だったということもあり、バラエティ番組も放送されておらず、ニュース番組くらいしか放送されていなかったため、私は部屋のカーテンを開けてベランダに出た。
すると、そこには絶景が広がっていた。海の水平線の真上に太陽があった。海面には黄色い陽光が反射しており、その光景は私の心を奪った。
「すげぇ…」
横でその景色を観ていた富岡も息を呑んでいた。
「インスタ映えしそうな景色やなぁ」
彼は景色に感動するとともに、それを写真に収められない現実を暗に悔やんでいた。私も、彼と同じような気持ちになっており、目の前にある絶景を一生懸命、記憶のフィルムに焼き付けようとしていた。すると、ふと私の横で衣ずれの音がした。
なんだ、何の音だ。
そう思って、横をみると、富岡が股間を露出して立っていた。
「**********」
何を言ったかは覚えていないが、彼は急にホテルのベランダで下半身を露出して叫んでいた。私は富岡の奇行に腹を抱えて笑った。
どういう生活をおくったら、この状況で股間を露出しようという発想になれるんだ。
疑問を抱くと同時に、憧憬の念を抱いていた。
富岡は露出していた股間をしまうと、今度はベランダの柵をよじのぼった。原島や神本、里田といったいつも仲良くしている人間のいる部屋に廊下を通らずに入る方法を彼は探していたのである。というのも、夜は部屋を出ることが制限され、他の部屋に行ったことが見つかっては翌日の行動に支障がでるため、教師にばれないように他の部屋に行く方法を探さなければいけなかったのである。
男子生徒はかなりの高さがある部屋と部屋の間を、ベランダを通して渡り、原島のいる部屋に行けることを確認すると、私の許に戻ってきた。
「お前よくいけるなぁ」
「楽勝」
私の言葉に対して、特になんとも思っていないような口調で富岡は答えた。景色を楽しんだりNHKのよくわからないロボットのアニメをみたりしていると、夕食の時間になっていた。私は富岡と共に体操服に着替え、部屋の鍵を手に取ると、他のクラスの人間と共にエレベーターに乗り、夕食会場へと向かった。

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