2章12話 其れは黄金の聖槍

 どうするべきか?
 ウィルは二人を観察していた、オーフェンとメイファンは共に濁った瞳をしており、しかしそれ以外の振る舞いや言動に矛盾や違和感があるワケじゃない。     
 本当に彼らはウィルがイレイナを殺害した騎士殺しだと確信している様子で殺気立っていた。

「どうして俺が騎士殺しだと?ただの学者なんだがね」

 オーフェンが鼻で笑って背に担いだ特大剣を構えた。

「誤魔化せると思ってんのか?一緒に遺跡に入った冒険者はどうしたんだクズ野郎、それなりに腕の立つベテランだったはずだろ」

「……チッ」

 俺の行動はどこまで魔女に読まれている?何をしても後手になっている現状を覆すことができない。
 この二人も魔女の洗脳か、あるいは強力な暗示を受けてしまっているんだろう。
 呪詛破りの短剣に込められた神秘には限りがある、使うならまずラムに使いたい。
 最優先すべきはラムの洗脳を解くことだ、どうにかしてこの場から、この二人から逃げなくてはならない。
 地面を蹴って加速する、どこからともなく現れた黄金に輝く聖槍を握ってオーフェンを蹴り飛ばし、そのまま駆け抜けようとしたが、メイファンが行手を阻むように拳で殴りかかり、それを聖槍で受け止めた。
 聖槍から伝わる衝撃が身体を通って足から地面に流れていく、ウィルを中心として地面がバキバキとひび割れる様は、非力な見た目の少女の拳によって発生したとは思えないだろう。

「……君は!」

 ウィルは気がついた、この少女が誰なのかを。
 メイファンが持つ力の源流は5年前にウィルが渡した物だ、気がつくのは当然と言えば当然だったがメイファンは魔女の洗脳によってウィルが自らの恩人ウィリアムだと気付けない。

 「下がれメイファン!『フレイムエンチャント』!」

 メイファンと入れ替わるようにオーフェンは特大剣に炎を纏わせてウィルに斬りかかった。
 特大剣と聖槍がぶつかって火花を散らし、炎と黄金の残滓が周囲を彩った。
 オーフェンの特大剣を槍先で打ち上げ、隙だらけの胴体に蹴りを入れようとすれば、メイファンが滑り込んで蹴りを防ぎ、拳を撃ち返してくる。

「『インパクト』」

 黄金の双眸を前髪から覗かせるメイファンの拳は、それに込められた黄金が解き放たれて爆発を巻き起こす。
 ウィルがそれを避けるために後ろに大きく下がれば、メイファンの背後から天に向かって聳え立つ魔力の暴風が巻き起こっていた。

『エンチャント』

『ストーム・フレイム・サンダー・アンチマジック・エア』

 オーフェンの持つ特大剣に込められた魔力が解き放たれ、最大出力で剣の内側から外界に向かって暴力を吐き出していた。
 天をも貫く暴威が振り下された。
周囲の遺跡群を粉々に砕きながら迫るそれをウィルは避けなかった。

 黄金の聖槍を眼前に構え、深呼吸をする。
全身の気の流れがただ槍先に集中し、ウィルに宿る黄金の加護がゆらゆらと身体から立ち上り、やがて覚悟を決めたように片足で地面を踏みつけた。

 踏みつけられた地面はクレーターのようにひび割れて陥没し、その衝撃が迫り来る暴風を少しだけ和らげ、ほんの少しの隙間から刹那に見えたオーフェンの立ち姿。
地面を踏みつけたのは、あくまでも強烈な踏み込みであり、そこから繰り出される神速の一撃は黄金の閃光を煌めかせながら暴風を撃ち貫いた。

「オーフェンッ!?」

 右肩が抉れて鮮血が飛び散るオーフェンの姿に動揺したメイファンは、腹を蹴られて遺跡の壁に叩きつけられた。

「終わりか」

壁にもたれ掛かってぐったりとした様子を見てそう呟いた。

「まだ、だ!」

 メイファンはなおも立ち上がった。
 黒い獣耳が生え、両目が黄金に輝き、全身から黄金の光を溢れさせながら。
 メイファンの内側で主神の祝福が再び花開いていた。

「黄金の権能を集中させろ、主神の加護が君の中にあるなら少し意識するだけで魔女の洗脳を解けるはずだ!」

 本来ならそもそも主神の加護がある限り俺のように洗脳や暗示を拒絶できるはずなんだが……。
 メイファンに訴えかけながらも、何故洗脳を受けてしまったのか、ウィルはそう考えていた。

 本来ならメイファンは主神の加護によって守られ、洗脳を受けたりはしなかっただろう。
だがしかし、小隊長の死に続いて友人でもあったイレイナまで死んだ出来事は15歳の少女には辛すぎた。
 心にできた綻びを魔女につけ込まれ、まんまと洗脳を受けてしまった、5年前のラムのように。

 顔を上げたメイファンの憎悪の込められた拳と眼光を見てウィルはため息を吐いた。
 洗脳は解けていない。

 「『チャージ』

 メイファンの両手両足に主神の力が宿っていく、黄金の燐光を纏いながらジリジリと間合いを詰める。
 ウィルも聖槍を構えメイファンの一挙手一投足に警戒していた、メイファンから感じられる主神の加護はウィルに決して劣らないモノになりつつあったからだ。

 静かに睨み合う時間はそう長くはなかった。
砕けた瓦礫の少破片が地面にコツリと落ちたと同時にメイファンが飛び出した。
爆撃の様な音を鳴らしながら加速するメイファンに対して聖槍の突きを放つも、超人的な見切りを発揮したメイファンは身体を猫の様にしならせながら空中に翻し、ウィルの脳天めがけて垂直に蹴りを放った。

 「『インパクトッ!』」

 たとえ蹴り一つでも至近距離で防ごうものなら込められた黄金が爆発し、ただでは済まない。
それでもウィルはそれを片手で防いだ。
爆撃によって服の裾が破れ、腕の皮膚が焼けて焦げ付いていた。
 だが、それだけだった。

メイファンが驚きで目を見開くよりも速くウィルの膝蹴りが深々と腹に突き刺さり、投げつけたゴムボールのようにメイファンは軽々と跳ね飛んで転がった。

「メイファンっ!くそ!『エンチャ...」

起き上がったオーフェンが剣を構えるより速く、ウィルの蹴りが剣を吹き飛ばし、首を掴んで地面に叩きつけた。

静けさを取り戻した遺跡群の中でウィルは深呼吸した。
空を仰ぎ見れば、まだ夕焼けですらないはずの空が暗く深い闇に染まっていた。
爛々と輝く巨大な月と星々がどんどんと地上に目掛けて降り注いで行くのが見える。
神秘的だとは欠片も思えなかった、それが何であるかをウィルは分かっていたからだ。
神秘とはかけ離れた冒涜的な輝きを纏うそれらはウィルの周りに降り落ちた。

朧げに月の光を纏う邪悪の化身、月の神が産み落とす使徒。
魚のような顔にヒレと鱗を持ち、猿の腕に獅子の脚、蛇の尾を持つ複合体、キメラと呼ばれる怪物たちが地上に数千数万と降り落ち、邪悪と暴虐を振り撒き始めていた。

「これが、これが、お前の望む世界なのか?星詠みの魔女」

返答は無い。返ってくるのは耳障りなキメラ達の嘲笑だけ。
彼らは嗤っている、人間の脆弱さを、醜さを、自分たちこそがこの星に相応しいと心から思い、先住民である人間をムシケラだと嗤っている。
血と肉の詰まった水風船のように弾けるまで、彼らは嗤っていた。

「ラム、こんな世界を見てもまだ何も思わないのか?何も考えないのか?
英雄になろうって言ったろ、これじゃ……悪者だぜ?なあ」

目を凝らして凝視しなければ分からないほどに希薄な気配が木々の間で揺れ、その手に持つ片手剣の刃が月光を吸って鈍い光を帯びていた。

「分かるんだね、やっぱりウィルは凄いや」

ピチャピチャと先ほどまで異形の怪物であった血溜まりを踏み、暗闇から歩いて出てきたラムの姿は最後にみた5年前とは違った。

幼い頃は短く切り揃えられていた鮮やかな赤い髪も、今では暗く深い赤色になり、伸び続けた髪を乱雑に一纏めに縛っている。
背丈もウィルが190ならラムは180といったところだ、5年前までの幼さを残す背丈から考えれば急成長したと言えるだろう。

「ラム、お前は魔女に洗脳されている。」

ウィルは懐に隠している呪詛破りの短剣を握り、宿した神秘を確かめながら話を持ちかけた。
時間が欲しい訳じゃない、少しの隙を見つけることができれば良い。

ウィルとラムは円を描くように間合いを取りながら、ゆっくりと動いた。
お互いにお互いの隙を探しているからだ。

「ウィル、君は黄金の主神に洗脳されている。」

鏡写しのようにラムもそう答えた。

「口からの出まかせだな、なんでそんな風に思う?確かに俺は主神の祝福を受けて生き返った、一度死んだ身でも、この身体に宿す魂は俺だぜ」

「それを証明できるの?自分の思考や記憶、人格が主神に都合の良い改竄がされていないって証拠があるの?主神を信じる信仰心はどこから来たの?
今のウィルは、まるで英雄アウリクスみたいだよ

「……主神の祝福を受けた戦士はアウリクス以外にもいるぜ、俺が祝福を受けた存在だからってなんでアウリクスみたいなんだよ。」

「盲目に信仰している所がよく似てるなって思うんだよ、ねえウィル、主神は本当に信じるに値する神様?」

「少なくとも、俺を救ってくれた。もう一度チャンスをくれた、それだけで十分だろ」

槍を握る手に伝う汗が気になった、手汗で槍が滑るかもしれないと不安が過ぎる。
相対して分かるのは、ラムはもう未熟な剣士なんかじゃないってことだ。
ウィルは内心驚いていた、それはラムの構えからは一切の隙を見つけられずにいたからだ、感じる圧迫感と研ぎ澄まされた剣気は常人とはかけ離れていた。

「……そうだね、それで十分なのかも」

ラムの剣先がほんの少しズレた。
剣が見えた訳じゃ無い、ウィルは本能のまま槍を立てて首を守った。
それと同時に槍から火花が散り、ラムの姿が数瞬だけ見えてまた消えた。

ウィルは槍を構え、静かに息を整えた。

「強いな、ラム。ガキの頃の俺は勘違いしてた、俺は天才で生まれついての強者だってな」

ラムの纏う小さな蒼のローブが木々の間でチラつき、鈍く輝く銀閃が直線を描く様にウィルの心臓目掛けて飛び、すかさずウィルは槍で銀閃を弾いた。

地面を踏み締める、槍を強く握りしめて暗闇に目を凝らす。
自分の深呼吸の音と上がり続ける心拍音が嫌に響いて聞こえている。

「……でも違った、本当の天才は、剣の天才ってやつが今俺の目の前にいる。
俺は天才じゃなかった、生まれた時から主神の祝福を授かってただけだった」

暗闇から伸びる二度目の銀閃を最小限の動きで避けた。
背後の土が弾けて、ウィルの後頭部目掛けて弧を描く様に銀の剣が閃いた。
背後に振り向くのと同時に薙ぎ払った槍には微かな手応えだけが残り、ウィルの右肩に浅く切れ込みが入って服に血が滲んだ。

「一緒に王都に行って英雄になろうって言葉は……気持ちは嘘じゃない。
ああ、でもラムがこんなに強くなるなんて思ってなかった」

独楽の様に回る刃がウィルの腕や足を浅く斬りつけても、ウィルは待った。

「凄えよラムは、最初は兎を斬るのも大変だったのに、天才が努力するとこんなに凄えんだな……」

再び銀閃が地を走ってウィルの足を斬りつけた。
たまらずよろけた様に見せたウィルの首目掛けて暗闇からラムが飛び込んだ。
殺せるという確信を宿した銀剣が弧を描くように真正面から迫った。

強烈な地震がラムを襲った。
大地が、遺跡群が、木々が、ガタガタと揺れた。
地面がバキバキとひび割れた、ウィルを中心に。

銀剣が黄金に輝く槍で打ち上げられた。

「それでも!俺は!ずっとお前のカッコいい幼馴染でいるって誓ったんだ!」

槍を手放してラムの身体を掴み、地面に叩きつけてウィルは呪詛破りの短剣を、覆い被さる様にラムの胸に突き立てた。

数分の間、バチバチと黒い稲妻がラムの胸から迸り、それはやがてゆっくりと収まった。
呪詛破りの短剣が小さな無数の蛍火になって虚空に消えて、束の間の静寂が遺跡群に流れた。

「……ぼく、ごめん、どうしていいか分からなくなっちゃったんだ」

静寂を破ったのはラムの震えるような声だった。
ポタポタと、血がラムの腕を伝って地面にシミを作った。

「俺も…この五年間は現実にどう向き合ったら良いか……分からなかったさ」

ウィルの懐に深く突き刺さった小刀から、ラムは震えながら手を離した。

「ウィルが殺されたって、オルカ師匠が死んじゃったって、戦禍で村のみんなが焼かれて、セレーネが王都で斬首刑にあって……ぼくはどうしたら良かったの?どうしたら……なんでぼくはわるものになっちゃったの」

ウィルは立ち上がって懐に刺さった小刀を抜き、手のひらで傷口を押さえた。
そうして、ほんの少し息を整えれば一際強い光が傷口を覆っていき、光が収まった時には傷口は消えて無くなっていた。

「そうだな、俺もそうだったよ……。
アウリクスにあっけなく負けて殺されて、主神の祝福を受けて生き返った時には村は焼かれて無くなってた。
紅蓮の勇者が、オルカが負けたって聞いてから必死で王都に走って辿り着いた俺が目にしたのは………
セレーネの首が斬首台から転がり落ちるところだった、あと一歩速ければ、俺なら救えたかもしれないのに……
結局、俺はセレーネを救えなかった」

「……僕も王都に行ったよ、そこで腐敗した首の山と、セレーネの首飾りを見つけたんだ、ウィルとはすれ違いだったのかな」

仰向けになったままのラムが目を瞑ってセレーネの笑顔を思いだそうとして、ふと、もうどんな表情だったか思い出せないことに気がついてしまった。

「セレーネの顔、思い出せないや……」

「そっか、俺は覚えてるぜ。ラムの事が大好きって感じの顔だ、そんでラムの隣に居る俺が心底邪魔だなって思ってる態度を全く隠す気のない女だったぜ」

「そうだっけ?今でもそういうのはよく分かんないや……。

ねえウィル、この空から降ってきてる月とその眷属は魔女と魔導老公が協同で召喚したものなんだ。
この後は、帝国が対帝国の連合戦線を月からきたキメラたちと死霊にさせられた帝国兵の軍隊で滅ぼすんだよね、一網打尽にできるだろうって算段みたい。

でも二人の利害が一致してるのはそこまで。
キメラ達と月の神の支配権は魔導老公が持ってるって思ってるみたいだけど、時限式で魔女に渡る様になってるんだ。
死霊魔術は魔導老公の独壇場みたいだけど、召喚術式に関しては魔女の方が一歩先に進んでるみたい」

「なるほど、あいつらって連合国の戦線に向かってるのかよ。
連合国が滅ぼされるのを黙って見てるわけにはいかないから、俺はもちろんキメラ達を全部ぶっ倒して回るけど……ラムは?どうするんだ?作戦とかあんのか」

槍をクルクルと回して身体の調子を確かめながら、なんてことのないようにラムにそう尋ねた。
まるでそれが当たり前だと言わんばかりで。
ラムは呆気に取られて口をパクパクとさせ、言葉が出なくて短いため息だけを吐いた。

「なんだ?神秘の短剣は物理的な傷は付けてないと思うんだが、違ったか?」

「違うよ……そうじゃなくてさ、僕、悪者だよ?いいの?」

ウィルはフッと鼻で笑って座ったままのラムに手を伸ばした。

「まだ…まだ間に合うと俺は思ってるぜ、ここからでも俺たちはやり直せるはずさ、魔女と魔導老公に教えてやろうぜ、誰を敵に回したのかってな」

「……本当に、まだ僕たちは二人で英雄になれるかな」

「なれるさ」

「……ウィルはずるいや……僕が刺した傷ももう何ともないの?」

「ん?ああ、平気だぜ?ちょっと落ち着いて深呼吸すりゃ大抵の傷は治るんだよな、すげーだろ」

「本当にずるい!やっぱり僕の幼馴染は最強だよ!」

「わはは!まあな!」

笑うウィルに釣られてラムもクスリと笑った。
少しの間だけ、幼き日に走り回ったあの山の空気が戻ったようだった。

「ウィルはキメラ達を倒して、僕はリーメルの騎士達を動かして帝国軍を倒すよ」

「問題ないとは思うけどよ、リーメルの銀騎士達は動くのか?」

「動くよ、僕には彼らを動かすだけの大義名分があるんだ。
ただ一つ懸念があるとしたら、オルカ師匠の身体は帝国、もとい魔導老公に回収されてる可能性があるってことかな」

「死霊魔術があるんだったな、もしそうなった時にラムは戦えるか?」

「……戦えるよ、いや、僕が戦うべきだと思ってる」

「そうか、じゃあ任せるぜ」

「うん、ウィルも頑張ってね」

暗く深い闇に包まれた空と巨大な月が今世紀で最も長い夜を作り出している。
その夜の中でラムとウィルの二人の英雄譚が今から始まろうとしていた。

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