2章6話 ローフの樹海

辺境の街ローフの樹海にて。

04小隊の四名は早朝から樹海に入り魔種の捜索を始めて昼になったが、魔種の姿どころか生物の気配が全くしない樹海の状況に警戒を強めていた。

「あ、あまりに静かすぎます、鳥の鳴き声すらも…聞こえないなんて…。」

「…本当に、虫の1匹すらいませんね…。」

イレイナは足元の腐葉土を足先で掘り返してみるも蟻の1匹すらもいない現状にどこか不気味さを感じていた。

「全員、周囲の警戒を決して怠るなよ。
どんな些細な音も聞き逃さないようにな。」

「「「了解。」」」

樹海は背の高い木々によって日光が遮られているため少し薄暗い程度だったが、空が曇り始めたのか更に樹海の中は暗くなり、異様な静けさも相まって不気味な空間を作り出していた。

隊長を先頭に樹海を進む中でイレイナは樹海の様子がおかしい事も含め、視界が悪くなってきているため普通ならば一度町に引き返すべきだと考えた。
隊長ならばそう判断して引き返すはずなのに一向にそんな様子は感じられない。

「…?…隊長、空が曇ってきています。
このままでは視界が悪くなって、樹海の中を迷う可能性があります。
かなり奥まで来ているので今からでも引き返しませんか?」

イレイナは少し迷ったが、隊長に進言した。

「…大丈夫だ、問題無い。先に、進もう。」

「そうですか?隊長が…そう仰るなら…。」

前を進む隊長の顔は見えないが、いつもと変わらない様子でイレイナに対して応えた為、イレイナは何か考えがあるのだろう、と思い引き下がった。

そうして04小隊は樹海の更に奥に進んでいく。
太陽は暗雲によって隠れ、樹海の木々によって日光が更に遮られた今の樹海の中はあまりにも暗かった。
少し離れた木々の間から先が暗くてよく見えないほどだ。

「…た、隊長!流石に灯りも無しにこれ以上進むのは危険です!オーフェン!貴方もそう思うでしょ!?」

「……」

立ち止まって声を上げたイレイナは後ろに振り返ってオーフェンにも声をかけた。
しかし、騎士兜を被ったオーフェンは返事を返さず黙ったままだった

「…オーフェン?」

「ダイジョウブダ、モンダイナイ、サキニ、ススモウ。」

隊長はイレイナに対して振り返らずに歩き続ける。
樹海の奥へ、奥へと。

それに続いてメイファンとオーフェンも隊長の後を追って行く。

「な、なんで、間違っています!理由を説明してください!魔種がどんな力か姿かも分かっていないのに、灯りも無しにこんな暗闇の中を強行する理由は何ですか!?」

立ち止まって声を上げるイレイナを気にも止めていないかのように三人が奥へと歩き続ける。

「…?どうして?ねえ!メイファン!」

イレイナは慌てて3人を追いかけ、メイファンの腕を掴んだ。

ブチリ。

メイファンの腕は、否、身につけていた腕の鎧ごと呆気なく千切れてイレイナの手に残った。

「………え?」

3人の足が止まる。

「め、メイ、ファン?」

全神経が警邏を鳴らしていた。
イレイナの眼が、脳に目の前の異常を訴えている。

呆気なく千切れたメイファンの腕からは血が一滴も垂れていなかった。
イレイナの手にある千切れた腕と腕についていた鎧は、鎧のように見える精巧にできた腐肉だった。

隊長、オーフェン、メイファンの3人が振り返ってイレイナを見る。

兜で顔は見えずとも、イレイナには彼らが自分が知っている存在ではないと理解した。

「ダイジョウブダ、モンダイナイ、サキニ、サキ、サキニススモウ」

3人がイレイナに向かって近寄りだす。

イレイナは千切れた腕を投げ捨てて、来た道を全力で走り出した。

全身に鳥肌が立つ。
いつ?いつから??皆んなは死んでしまった?腐肉になった?どこか可笑しくなった?

違う。

疑いを持ってよく視てから初めて気付く、彼らは自分の知る人間ではない。
腐肉でできた怪物、アンデットだと。

樹海に入る前は……そう、空が曇りだす前までは確かにみんなは一緒だった。
どこかですり替わった。
偽物の隊長、偽物のメイファン、偽物のオーフェン。
じゃあ本物のみんなはどこにいる?

静かな樹海の中を自分の走る足音と息遣いだけが響く。
ふと後ろを振り返るとまるで身体の骨が無いような、歪な走り方で3人が追ってきていた。

3人とも首が据わっておらず、頭がぐわんぐわんと揺れ動きながら追ってくる姿はあまりに異様だった。

「くっ……やるしかないっ!」

徐々に縮まる距離に、イレイナは走るのをやめて長剣を抜いた。

背後に振り返ると同時に振った刃は偽メイファンの首を刎ねた。
偽メイファンの首が飛んだというのに偽オーフェンが構わず特大剣を抜いて斬りかかってくる。
イレイナは斬撃を剣で受け流し、返す刃で偽オーフェンの胴体を真っ二つに斬り捨てる。

「弱い!やっぱり違う!」

偽物の隊長が剣を抜かずに両手で掴みかかってくるが、イレイナは片手で抜いた短剣で偽物の腕を斬り払い首を刎ねた。

「…ハァ…ハァ…。なにが起きてるの?」

活動を停止した為か、倒れ伏すアンデット達が腐った肉塊に変わり果てていた。
アンデットの持つ剣や鎧は全て硬い腐肉でできていて、先ほどまでオーフェン達に見えていたのが嘘のようだった。

「どうしてアンデットが?生者に擬態するなんて聞いたことないわよ…。」

イレイナは自分の眉間を揉んだ。先ほどからズキズキと頭が痛む。眼球の奥が熱い。

「みんなはどこに居るんだろう?合流しなきゃ…。
私が気づいて倒せたんだ。みんなもとっくに気づいて倒してるはずよね…。」

深く暗い樹海の中を見渡すと、再びイレイナの眼は異常を訴える。
先ほどまでは分からなかったのに、今ならそれらがよく見えた。

自分の真上。背の高い木々の側面に這いつくばるようにくっついて、自分を凝視している。
暗闇に紛れてこちらを見ているアンデット達がイレイナには視えていた。

「っ!?」

イレイナの周りに降り落ちてくる複数のアンデット達。
どれもまるで生きている普通の町民のような姿をし、中には先ほど斬り捨てたはずのオーフェン達に再び擬態しているアンデットもいた。

イレイナは襲い掛かるアンデット達を次から次に斬り払い、樹海の中を、暗闇を走った。

「クソッ!どれだけいるの!?一体どこからこんな大量のアンデットが…!」

走るイレイナの眼には暗闇に潜む大量のアンデット達の姿が視えていて、ここまで警戒しながら進んできていたはずなのに一度たりとも姿が見えなかったなんてあり得ないはずだった。

突如、身体の芯にまで響くような爆裂音と衝撃が遠くからイレイナの下まで届いた。

「…オーフェン〜!!!!!!!!」

イレイナは恐らくこちらだと思った方に向かって力一杯叫ぶが、自分の声が木霊するばかりで返事は返ってこなかった。

先ほどの爆裂音はオーフェンの魔剣に間違いない。

立ち止まったイレイナに向かって群がるアンデットたちを斬り捨て、再びイレイナは走り出した。

「こっちであってますように…!」

再び、爆裂音と衝撃が樹海の中を、イレイナを突き抜けて行く。

間違いない。こっちだ!

「熱?」

走り続けるイレイナはやがて木々が燃えている場所にまでやってきた。
広範囲に渡って木々が燃えていて、そこら中で木々が倒れ、土が捲れ上がるように抉れていた。

再び、先ほどまでと同じ爆裂音と衝撃。そして強い熱波を感じた方にイレイナは走り続けた。

既にアンデット達は追いかけてきていない。
進めば進むほど燃え盛る炎の中を走り抜け、木々や大地の損傷も激しさを増していった。

そして

「…オーフェン!」

燃え盛る木々と大地の中心にオーフェンの姿があった。
渦巻く炎を纏う特大剣を握ったオーフェンは、何者かと対峙していた。

オーフェンもこちらに気づいたようで目を見開いて叫んだ。

「…イレイナ!?っ!こっちに来るな!!!全力で町まで逃げろッ!!」

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オーフェンside

 薄暗くなっていく樹海の中を歩き続けていた俺は隊長が突然歩みを止めた事で異変に気がついた。

「……隊長、随分暗くなってきましたね。」

「…そうだな、灯りを持ってこなかったのは失敗だった。
空が曇ってきたせいもあるだろうが…」

俺は背中に掛けた特大剣を握りながら、静かに息を吐いた。

「…隊長は、正常っすか。」

「……ああ、オーフェンだけか?」

ダンッ、と力強く大地を踏み締め、振り抜いた特大剣による薙ぎ払い。
俺は後ろに立っていたイレイナとメイファンの二人を叩き切った。

「こんなことが起こるなんて……隊長はいつから気づいてたんですか?」

「いや、私もついさっき気がついた。特有の腐臭がするんだ、アンデットのな。」

「生まれてからアンデットの臭いなんて嗅いだ事が無かったもんで、気づけなかった…」

俺は斬ったイレイナとメイファンに化けていたそれを見た。
ぐちゃぐちゃの肉と内臓を人型に無理やり固めて作ったような腐肉の塊が地面に転がっている。
先ほどまで人間に見えていたのが嘘みたいだ。

「これは魔種の仕業でいいんすよね?本物のイレイナとメイファンはどこに?」

隊長は腕を組んで空を見上げていた。
俺も見上げてみたけど、生憎と樹海の木々は背が高くて空はよく見えなさそうだった。

「イレイナとメイファンはどこか我々と違う所に分断されているだろうが…。
問題なのはこれが魔種の仕業かどうか怪しいという事だ。」

「?魔種じゃないならなんだって言うんですか?」

「オーフェン、よく考えるんだ。私たちが今受けている攻撃はなんだ?」

「攻撃?…えっと、いつの間にか幻影を見せられてて少しずつ分断された?
アンデットがイレイナ達に見えていたのも幻影だし、、」

「なぜこの樹海はこんなにも暗い?」

「え、そりゃあ…空が曇ってきてるから?」

「そうか、空が曇っているように見えるのだな。
私には木々の上を漆黒のベールのような物がこの樹海全体に被さっているように見えているよ。」

「?、それも幻影?まさか、」

「強力な幻術。アンデットの作製支配。陽を覆い隠す闇のベール。」

「それって幻獣種…マジすか!?もし本当にそうならヤバい!!すぐにイレイナとメイファンを探しましょうよ!!」

本当にあの幻獣種がこの樹海にいて、俺たちはすでに襲われているとしたら…!
早くイレイナ達を助けなきゃ死んでしまう!

俺の考えとは裏腹に隊長は落ち着いた様子で首を横に振った。

「いいや、今は無闇に動くべきじゃない。
この樹海全体が既にヤツのテリトリーになっていると考えるべきだ。
町に逃げようとしても、イレイナ達と合流しようとしても無駄だ。」

「じゃあどうするんですか!何もしないって言うんですか!?」

焦燥に駆られる俺を他所に隊長は静かに話を続ける。

「落ち着けオーフェン、そんな調子じゃヤツの思う壺だぞ。
私たちのすべき事は一つ。
ヤツから向かってくるのをここで待つんだ。」

「待つって、いつまで?」

「3日経てば定期連絡が本部に届いてない場合、応援の騎士が来る。
まあ、それまでにはヤツは来ると思うがな。」

「そんな…3日って言ったって……」

隊長は大剣を地面に刺して座り込んだ。
本当にここでただ待機するらしい。

「分かりました…。」

俺も隊長に倣って特大剣を地面に置いて座り込んだ。

周囲を警戒してはいるが、あまりにも静かだった。
虫1匹いないように感じていたこの樹海の中は、本当に虫の1匹もいない死の樹海と化していたんだ。

「…オーフェン、聞きたかった事があったのを今思い出した、聞いても良いか?」

「えっ、い、今ですか?良いっすけど……。」

「ははは。
気を抜けと言っている訳じゃない、落ち着くんだオーフェン。
どんな時でも冷静にならなくてはダメだ。
真に騎士足らんとするならば、どんな状況でも冷静に、そして仲間を信じろ。」

…仲間を信じる……か。
イレイナ、メイファン……無事だよな?

「了解です、心得ておきます。それで聞きたいことって?」

隊長が俺の特大剣に視線を向ける。

「その特大剣は七色の属性が込められた魔剣で間違いないのか?確か、騎士だった父の形見だとか。」

「まあ、そっすね。この剣は赤子の俺を庇って死んだ父親の形見らしいっす。」

「そうか……。
今になって言うのも悪いが、本当は薄々気がついていたんだ。」

「?」

「オーフェン、君の父親はな15年前、私の隊長だった人だよ。」

「…えっ!?!ど、どういうことっすか!?あれ?隊長って今いくつ?」

「はは、今年で36だ。
最期になるかもなんて言うと縁起悪いが、せっかくだから話をさせてくれ。
15年前、私が君と同じように15歳から騎士になって……
君の父親であるファルクさんが隊長を務める部隊に配属されてから六年経った年のことだった。

─────────────。

「ファルク隊長〜、どこですか〜?」

私は騎士隊舎の通路を歩きながら隊長を探していた。

「大馬鹿上司のバカファルク〜、年中サボり魔のファルク隊長〜?どこ行ったんですか〜?

はぁ…大馬鹿ファルクはみんなの笑い者〜♪」

ファルク隊長はいつもズボラであれもこれも適当ですぐサボるし消えるし、隊長の事務仕事も私が8割近くやらされていた。

「いないんですか〜?また奥さんにチクりますよー!」

騎士隊舎の裏手の日陰を覗き込んだ私はようやく、無精髭を生やしたダラけまくっている中年親父こと、ファルク隊長を見つけた。

「ああ、今日はここに居たんですねファルク隊長。
事務仕事溜まってますよ。」

「おいおいおい待て待て待てディア?お前さっきから自分の隊長に対して酷すぎだろ!」

「え、サボってる隊長を探して事務仕事をちゃんとやってくださいって促す献身的な部下のどこが酷いって言うんです?」

目を釣り上げて怒るファルク隊長を鼻で笑ってから、その首根っこを掴んで引き摺りだした。

「ちげーよ!!!ディアおまえ騎士隊舎に来てから言ってたの全部聞こえてたからなあ!?!?
誰がみんなの笑い者だコラァー!!!!てか引き摺るんじゃねーよ!!!どこが献身的な振る舞いだよ!!そろそろ俺もやっちゃうよ?お前締めちゃうよ??」

「大人しく引き摺られながら言われても情けなさが増すだけですよ〜」

私はファルク隊長を事務室まで運んで椅子に座らせてから机の上に山のような書類を載せた。

「ゲェ……え?これ全部俺がやるの?冗談だよね?優しい優しいディア?」

「はい、全部です。今日中です。ちゃんと終わらせてくださいね。」

いつものごとく、げっそりとした顔でファルク隊長が机に突っ伏して喚き出した。

「やだやだー!俺こんな書類仕事するために騎士になったんじゃないもーん!!!」

「うわぁ……ファルク隊長、貴方は子供ですか?大人なんだからしっかりしてくださいよ。」

喚いていたかと思えばファルク隊長が目をかっ開いて顔を上げた。

「はっ!!!そうだよ!子供!俺の息子が今日1歳になるんだよ!!!誕生日だぜ?早く帰らないとなのにさ!こんな書類仕事やってられないぜ!!
じゃ…そういうことで…。」

私は抜け出そうとした隊長の足を蹴り払って隊長の職務用の椅子に叩き戻した。

「ぐぇ〜〜〜!!」

「そうですか、私も手伝うので頑張って終わらせましょうね。」

「ニッコリ笑って言うのやめて?怖いよディア?

……分かった!やるよ!やるって!!」

ああ、良かった。
今日のファルク隊長はまだ物分かりが良いみたいで助かるなあ。

「全く……先日の講演会で話していた内容は嘘八百ですね。」

「ほげ〜、俺なんて言ってたっけ?」

「騎士というものはどんな状況でも冷静沈着を重んじ、仲間を信じ、己の剣と誇りを掲げ、市民を守護するもの〜って言ってましたけど?」

「はぇ〜、そりゃさぞカッコいい騎士が言ってたんだろうなあ。」

「とんでもないホラ吹きですよ。そもそも騎士を語るなら王への忠誠はどこに行ったんですか?」

「いいかディア、王への忠誠で腹は膨れん。」

「分かりました、もう2度と騎士を名乗らないでください。」

ファルク隊長はキメ顔で王への不信を口走り、私はどうにかこの場に王をお呼びできないだろうかと頭を悩ませていた。

そんな当たり前の日常の最中だった。

ファーンファーンファーンーーー。

「?なんですか?この音?」

街全体に届くような大音量で何処かから音が鳴り出した。

「…魔術騎士団が開発した拡声魔術による警報音だ。
緊急事態の可能性が高い、ディア!すぐに武装して出ろ!」

「はっ!」

私は急いで武装して大剣を担いで表に出た。
街中が何事かと大騒ぎになっていて混乱状態になっているようだった。

「ファルク隊長、どちらに?」

「魔術騎士団隊舎だ。行くぞ!」

私はファルク隊長の背中を追いかけながら様々な可能性を考えた。

「ファルク隊長、あまりにも突然すぎませんか?ただの誤報だったりしないでしょうか。」

「バカ言え。いいかディア、よく聞けよ。
魔術騎士団の連中なんてな、一人残らずネチネチとした陰湿で神経質が極まった非人間共の集まりなんだぞ。
そんな奴らが誤報なんてミス、血反吐吐いてもしねえよ!」

「ファルク隊長が魔術騎士団にどれだけ嫌な偏見を抱いてるのかがよく分かりましたよ…。」

街の住人達が表に出てきては不安そうな顔で私たちを見ていた。

「皆さん落ち着いて!この音はあくまでも警報音です!ご安心ください!市民の皆さんには我々騎士がついております!
御用の無い方は建物の中で待機してください!
繰り返します!御用の無い方は建物の中で待機してください!」

私はファルク隊長を追いかけながら、街の住人達に声をかけた。

「偉いなディア!もうすぐ魔術騎士団隊舎だが油断するなよ、顔に唾を吐かれるかもしれん!」

「貴方本当に騎士ですか!?!?」

半分キレつつファルク隊長の背中に蹴りを浴びせようか悩みながら走ること数分。

突如として空が赤紫色になり、遠くの空に巨大な蛇の頭が覗き出した。
その全長がどれだけ巨大なのか分からない。
ただ分かるのは空を埋め尽くすほどの長い長い胴体と、蛇の瞳孔がこの街に向けられていて、嫌でも標的にされていると理解させられた。

「…な、な、なんですか、あれ!!」

「………空を飛ぶ大蛇……『厄災』……」

それは突然だったんだ。

それまで何もなかった空に、初めからそこに居たかのように現れた『厄災』は、大きく口を開き息を吐いた。

ただそれだけで、吐いた息が暴風となり、巨大な竜巻となって街を破壊した。
魔術騎士団の隊舎が目前で粉々になって、建物が、人が、地面が、空に吸い上げられていく。

まるで空に巨大な口があって、大地のあらゆる物が吸い上げられて食べられているみたいだった。


『エンチャントテーブル』
『オープン』
『エンチャント・ウィングソード』
『ダブルエンチャント・フレイムソード』
『トリプルエンチャント・アンチマジックソード』

「ウウゥゥゥゥゥゥオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!!」

裂帛の雄叫びと共にファルク隊長の特大剣に緑と赤と黒の光が宿り輝き出した。
空から降り注ぐ竜巻に対抗するように、ファルク隊長の握る特大剣から膨大な黒い稲妻を纏う炎の竜巻が飛び出し、双方の竜巻はぶつかり合った。

身体がバラバラになりそうなほどの暴風が吹き荒れ、衝撃波が絶えず街に広がり続ける。

やがて竜巻は爆ぜて消し飛んだが、空に巻き上げられた瓦礫や木材、人が降り落ち始め、街はぐちゃぐちゃになっていた。

「っ、なんなんですか、これは!ファルク隊長!一体何が起きてるんですか!?」

「落ち着けディア!!街の市民の救助、避難を第一優先に動け!!!!」

「ファルク隊長はどうするんです!?」

「…俺は…」

ファルク隊長が空に目線を向ける。

空に浮かぶ大蛇『厄災』はまだ空に浮かび続けていて、そいつは欠伸をするように大きく口を開けていた。

『エンチャントテーブル』
『オープン』
『エンチャント・ウィングソード』
『ダブルエンチャント・フレイムソード』
『トリプルエンチャント・アンチマジックソード』

再びファルク隊長の特大剣が炎を、風を、対魔の稲妻を纏い始める。

「俺がいる限りあの竜巻みたいなやつが街に直撃するのだけは絶対に防ぐ!!!
行けッ!人の為に走れ!!!騎士の本懐を見せろディアモンテ!!!!!」

「ッ!了解ッ!!」

私はただひたすらに走り回った。
時に瓦礫を吹き飛ばし、抱えられるだけの子供や女性を抱えて走り、喉から血が出るほど大声を張り上げて避難を誘導した。

何度、空で暴風が爆ぜていたのか分からない。
私は昼夜問わず奔走し、沢山の負傷者を何度も背負って走り続けた。

陽が沈んで、また登り始めた時。

空から『厄災』が消えていた。
街はほぼ半壊していたが、ファルク隊長が暴風と竜巻を防ぎ続けたおかげで多くの市民が生き残り、街はそれから十年で元通りに戻った。

私は気づけば意識を失って倒れていて、起きた時に知らされたのはファルク隊長が死亡したという報せだった。

「なぜ、どうして、だって…!」

ボロボロの身体で泣き崩れる私に、本部から来たと言う騎士が膝をついて私の背中を撫でさすった。

「…ファルク殿は……降り注ぐ瓦礫から…偶然近くに隠れていた御子息と奥様を護ろうと庇い、下敷きになっていたと…
魔剣の過剰使用で既に命に関わる程に疲弊していた身体では…我々本隊の治療部隊による治療も効果がなく…。
大変お悔やみ申し上げます、ディアモンテ殿。」

────────────────。

「それが…俺の親父…。」

「ああそうだ。ファルク隊長は紛う事なくリーメルの英雄、いや……真の騎士だった。」

俺は側に置いていた特大剣を見た。
こいつが俺の親父と一緒に、俺と俺の母ちゃんと街のみんなを救ったんだ。

「そっか……。」

「本当のところは、私が君にファルク隊長のことを話したかったんだ、私の我儘だ、悪いな。」

「いや、親父の事は俺は何も知らないから…聞けて良かったです。」

「そうか、それなら良かった。これで悔いはなくなったなあ…。
実はいつかしておきたい事っていうのが二つあって、一つは息子さんに私から父親の話をしてあげたかったのと、二つ目はあの『厄災』をこの手で討ち取りたかった。敵討ちがしたかったんだ。」

隊長は座りながら空に向かって手を伸ばした。
どこか遠くを見るような目で手の先を見ていた。

「……帰ったら、もっと親父の話を聞かせてください。」

「ははは、勿論だ!なんだか最期の会話みたいになってしまって申し訳ないな。」

「本当ですよ、こんな時に!それで…その言い方だと『厄災』はまだ倒せてないんスか?」

「ん…いいや、『厄災』は討たれたよ。ずっと西の国、公国で現れたらしいが『紅蓮の勇者』という方が討伐したんだ。本当は私の手で倒したかったのだがこればっかりは仕方ないし、実際私の実力では倒せないだろうからな…。」

「へ〜、『紅蓮の勇者』…会ってみたいな、どんな人なんだろ。」

隊長が大きくため息を吐いた。

「あぁ、私も会ってみたかったよ。
残念ながらもう亡くなってしまったらしいがね」

「えっ!?亡くなった!?どうして?」

「詳しくは分からないが、帝国との戦争で公国は敗れ、その際に『紅蓮の勇者』も戦死したらしい。
リーメル政府はその報せを聞いてから帝国との全面戦争は消極的だ。
なぜなら、我々リーメルはあの『厄災』の恐怖を知っているからこそ、『厄災』を単独で討伐した『紅蓮の勇者』を倒した存在が帝国にいるという不確定要素が何より恐ろしいらしい。」

「帝国と大国連合が戦争してるって話は知ってたっすけど、まさかそんな事があったなんて」

「情けない話だ…。我々が倒すべきだった『厄災』を倒してくれた、かの勇者は謂わば我らの恩人のような方だろう?
リーメル政府は恩を返す事もできず、見えもしない帝国の戦力に怖気付いているのさ。
今後どう世界情勢が動くにしろ……騎士としていつか、私は勇者へ恩を返すつもりだ。」

「その時は、俺もついて行きますよ!親父の仇を討ってくれた人の敵討ちでしょ?俺にも義があるはず!」

隊長は笑いながら立ち上がった。
そして、大剣を掲げた。

「ああ、それじゃあ…倒すぞ。」

「……空気読んでくれてたのか?思ってたよりは早いっすね。」

俺も特大剣を握りしめて立ち上がった。

樹海の奥からは、こちらに向かって闇が溢れ出してきていた。

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