13話 少しの平穏
ラムは夢の中にいた。
白亜の神殿の中で、再び銀鎧の男と向かい合っている。
「うーん、やっぱりおじさんが誰だか分からないや。
天の声の人も分からないし、この空間って何?もしかして二人は僕の中に住んでるの?
それにどうして目が覚めたら、ここでの事を忘れちゃうの?
自分の事なのに分からないことばっかりだよ。」
フルフェイスヘルメット越しにくぐもった声が帰ってくる。
「……我は『銀装』と呼ばれていた。」
男は前回の特大剣とは違う、ラムと同じ片刃の剣を構えて切り掛かってくる。
『銀装』は何度かラムと剣を交えて語りはじめた。
「ぎんそう?聞いた事ないや。」
「少年が天の声と呼ぶのは主神の事だろう。
何から話すべきかな、我らの時代には『主神』などという神話は、異形は存在しなかったのだ。
我らは我らの、人が人の力で時代を生き抜いていた。」
「えーと、今は違うって言いたいの?」
「違う、違うとも!
人々はアウリクスなどに憧れるべきではない!あれが英雄だと?紛い物の力を与えられた存在が!?
そこに人の意志がないのなら!」
ラムはぶつかり合う剣越しに『銀装』の強い輝きを持つ眼を見た。
見る者を焼くような強大な意思、信念が宿っていた。
「人々の英雄などと呼ばれるべきではない。
アウリクスはただ力のままに暴れただけの存在。
主神への、神話への信仰の土台にさせられた哀れな道化だ。」
「なんでそんな風に思うの?アウリクスは主神から力を貰って、それで多くの人を助けたんだよ?力の在り方がそんなに重要なの?」
ラムは『銀装』と距離をとって睨み合う。
世界が少しずつ溶け始めた、それは夢から目が覚める合図だった。
「重要だとも、その主神が己の為に人の在り方を都合良く歪めているから、我らは主神を認められんのだ。」
昨夜は大変だったなあ、なんて傷の手当てを直しながら僕は思っていた。
辺境伯家の屋敷は師匠が粉々にしちゃったから、別邸で食事してすぐに寝たんだけど…
まだ陽が登り切ってないのに、既に辺境伯軍の報告が飛び交っている。
その兵士たちの声が聞こえてくるから、目がぱっちり覚めちゃった。
僕は着替えてからロビーに向かった。
ロビーでは何人かの兵士と師匠が話をしていて、師匠と目が合った。
「おはよう。随分と早いですね、まだ寝ていても良いですよ?」
「ううん、ぐっすり眠れたから大丈夫!
ところで帝国の軍隊は国境に来てるの?」
ラムは村の事が心配だった。
ラム達が生まれた村は国境から山を越えてすぐの場所だ、だから戦火に巻き込まれるかもしれない。
しかしオルカは悩ましげな表情で否定した。
「いいえ、辺境伯軍と国軍の偵察隊が国境に向かったのですが今のところ帝国の軍隊は見つけられていないそうです。
ただ、足跡や野営の痕跡があるので今後も警戒は続けなくてはなりませんね。」
「うーん、つまり国境に来たけど、やっぱりやめて帰っちゃったのかな?」
「普通は軍隊がそんな簡単に、やっぱりやめたー、で帰ったりはしませんよ?」
オルカはくすくすと笑って、ラムも釣られて笑った。
そうして笑い合ったのも束の間、すぐに新たな兵士が入ってきて偵察の報告を始めた。
報告を聞くオルカの表情は真剣そのもので、ラムは師匠の邪魔にならないように、そっと屋敷を抜け出した。
外に出て素振りを始めた、剣の修行を始めてから欠かさずに続けてきた日課だ。
精神を研ぎ澄まして剣を振るう。
頭に思い浮かべた敵が目の前に現れる、それは大熊だったり、兵士だったり、魔法だ。
何度も、何度も、繰り返し剣を振るう。
僕はウィルの隣に立つんだ、強くならなくちゃ。
昨日は初めて魔法を見た、魔法を身体に受けた。
ウィルもきっと初めて見たはずだけど、ウィルにはどんな魔法も効かなかった。
ウィルはどうしてあんなに強いのかな?
どうやったらウィルみたいに強くなれるかな?
うーん、いやでも……僕は僕で、ウィルはウィルだ。
「うーむ、これってもしかして雑念かな?だめだめ、修行に集中!」
表情を七変化させながら剣を振るうラムの元にウィルがやってきた。
「よっ、修行は順調か?そろそろ朝飯の時間だぜ。」
ウィルの言葉を聞いた途端、ラムのお腹がぐるぐると鳴った。
「はっ!!もうそんな時間なの?今日の朝ごはんは何かな!?あ、ウィルおはよう!」
慌てて屋敷に向かうラムの後ろ姿を見てウィルは唖然としたように呟いた。
「雑念とやらは払えそうにないな………。」
最後に起床したセレーネも含めた四人で朝食をとった。
その際にオルカは、自分はこのまま辺境伯領で国境の警備を強化する事と、王都からの連絡を待って次の行動を取らなくてはならない、と話をした。
それに対してラムはセレーネを守ると宣言した以上、騒動が落ち着くまでは辺境伯領に残ると答えた、もちろん剣の修行の為もある。
ウィルも俺だけ村に帰るわけないだろ、と辺境伯領に残る事を決めた。
そうして王都からの連絡を待つ間、ラムとオルカは剣の修行を繰り返し、セレーネは新たに辺境伯家の当主になったため領地の様々な引き継ぎの事務作業に追われている。
ウィルは屋敷の書斎を自由に使って良いと言われたので書斎に来ていた。
勉強をしたいわけではない、アウリクスの英雄譚を読もうと思ったのだ。
ウィルは既に10冊ほどアウリクスの英雄譚の本を持っているが、実はこの英雄譚の本は全部で100冊近くあるのだ。
昔から合わせて100冊も作られ、それぞれ量産されているのは、それだけ人気だということでもあるが、同時に英雄アウリクスがそれだけの功績と武勇伝を築き上げた証拠でもある。
ウィルは辺境伯家の書斎にならまだ自分が読んだことのないアウリクスの本があるだろうと思っていた。
そうして、予想通りに英雄譚の本を見つけたウィルは本を手に取り心躍らせながら机に座って読み始めた。
題名は【星空のお姫様】
───男はとある国を訪れた。
その国は不思議なことにずーっと夜のままなのだ。
そして夜空には星が一つもない。
これはおかしいぞ、と男は近くを通った人を呼び止めて問いかけた。
「すまない、質問をしても良いだろうか?
何故、この国には陽が昇らないんだ?」
「……あぁ、旅の方、知らないのかい?
この国にはお姫様が居たのさ、太陽のようなお姫様がね…。
だけどある日、暗闇から恐ろしい怪物が這い出ててきて、お姫様を攫っていってしまった。
それからだ、この国には太陽が登らなくなったんだよ。
きっと、お姫様が攫われた事を太陽も嘆いているのさ。」
「なんてことだ、一大事じゃないか!俺に任せてくれ、すぐにその姫様を助けてこよう!」
「はあ……簡単に言うなよ、あんた一体何者だって言うんだい?」
「俺はアウリクス!ちょいと世界を旅してる戦士さ!」
…………………………。
夢中になって本を読んでいたウィルは、人の気配に気がついて顔を上げた。
机に紅茶の入ったカップが二つ置かれていて、隣の席にはセレーネが座っていた。
「あら、もう読み終わったの?」
「いや、まだ途中だぜ。辺境伯様の仕事は良いのか?」
「休憩よ、本当はラムと話がしたかったのだけれど修行の邪魔をするわけには行かないもの。」
「ふーん、そうか。」
紙を捲る音だけが書斎に響く。
セレーネは紅茶を少し飲んだ。
「アウリクスが好きなの?というか貴方って本を読むのね。」
ウィルは本から目を離さずに眉間に皺を寄せて答えた。
「俺だって本くらい読むさ、馬鹿にしてんのか?
それに……アウリクスを好きじゃないやつなんて居ないだろ。」
「ええ、凄く意外だわ、だって貴方って脳みそまで筋肉でできてそうだもの。」
「おい、馬鹿にしてるだろ!」
ウィルは本から顔を上げてセレーネを見た。
セレーネは何食わぬ顔で紅茶を飲んでいて、ウィルは呆れてまた本を読み始めた。
「私は別にアウリクスのことは好きじゃないわ、嫌いな訳でもないけれどね。」
「ふーん、あっそう。」
「だってアウリクスは私を助けに来てくれなかったもの。」
「ふーん、あっそう。」
「だから私はラムの方がずっと大好き。」
「ふーん、あっそ……げほっ!ごほっ!」
話を聞き流していたウィルは思わず飲んでいた紅茶で咳き込んだ。
「あら、お行儀が悪くてよ?うふふ。」
「なあ勘弁してくれないか?本を読ませてくれよ。
はぁ全く……一応言っておくがラムにその気は無いぞ。」
「ええ、そうでしょうね。
でもいつかその気になった時に私が隣にいられたら過程はなんでも良くてよ。」
セレーネは微笑んでそう答えたがウィルは怪訝な顔だ。
「よく分からねえけど、貴族って自由に恋愛できるもんなのか?ラムの生まれは平民どころか開拓地の農夫の息子だぞ。」
「あら知らないの?ラムは英雄になるのよ?何も問題ないわ。
ああでも、私だけの騎士になってくれないかしら……。」
ウィルはラムとセレーネの間に起きた事を何も知らないが、純粋なラムがこのセレーネという女から悪影響を受けないか心配になった。
「まあな………ラムは絶対英雄になるよ、勿論俺もだけど。」
パラパラと紙の捲れる音が数回繰り返される。
「ねえ、ウィルはどうして英雄になりたいの?」
「……そりゃあ英雄アウリクスに憧れたからさ。
男なら誰でも憧れて英雄になりたいって思うはずだぜ。
それに、俺は物心ついた時から強かった。
何でかはわかんねえけど俺は特別だ。
アウリクスの英雄譚の一節にはこう書いてある。
「力あるものは力無きものの為に戦わねばならない。力無きものは力あるものを支えなくてはならない。
俺は誰よりも強い、だからこそ誰よりも真っ先に戦うのだ。」
だから俺は英雄になるんだ、力あるものだからな!」
「……貴方って挫折したことある?」
「なんだよ急に……まあでも、んー、よく考えたら無いか?そもそも挫折なんて中々経験しないだろ。」
セレーネはため息をついてから、言うか悩んだ。
世の中には多くの天才達がいる。
そして彼らは早熟で幼い頃から成功し続けたからこそ成長して大人になって、超えられない大きな壁にぶつかった時、挫折を知った時、再び立ち上がる事が凡人よりも難しくなるのだ。
本来ならウィルは失敗や挫折を知っておくべきなのかもしれないけど、例えこれから先の未来で大きな挫折をしたとしてもきっと側にはラムがいる。
それに自信に満ちているのは悪いことじゃないし、私が今そんな事を言っても余計なお世話かもね……。
セレーネは悩んだ末に、紅茶を一口飲んでから話を変えることにした。
「その本は私もお気に入りだったわ、幼い頃何度も読んだのよ、本の結末を言っちゃおうかしら。」
「おいやめろ!さっきからため息ついたり本の結末をバラそうとしたり、なんなんだ?」
「冗談に決まってるでしょ?さて、私は仕事に戻るわ。
それ読み終わったら感想を聞かせてくれる?
こんなに近い年の人と話すことって無かったから、またお喋りがしたいわ。」
「ああ、別に俺でも良いなら構わないぜ、仕事頑張れよ。」
セレーネは紅茶を片付けて書斎から立ち去っていった。
書斎に静かな時間が帰ってくる。
ウィルは本の続きを読み出した。
アウリクスは怪物を倒してお姫様を助け出した。
お姫様はとても珍しい星の魔法を使って夜空に星を、アウリクスを模した星も含めて飾った。
「ああ、アウリクス様!もうどこかに行ってしまわれるの?
もしよろしいなら私のもとにずっといてくださいな。」
「それはできません姫様、俺は主神から祝福を授かったその時から老いることが無くなったのです。
貴女と共にいても、貴女だけが老いて、貴女だけがこの世を去ってしまうでしょう。
俺にはそれがきっと耐えられないのです。
それに……まだこの大陸のどこかで助けを求めている人が居るはずです。
俺は主神から祝福を授かった信徒だ、助けに行かなくてはならない、助けることのできる力を与えられているのだから。」
……………………………。
ウィルは読み終わったアウリクスの本を閉じて読了した余韻にしばし浸っていた。
そしてふと思った。
アウリクスは歳を取らないなら、彼の最期は一体どうなったんだ?
もしかして、まだこの大陸のどこかで生きていたりするのか?
いやまさか、もう何百年も前の人間だ。
でも、子孫はいたりするのか?例えば亡くなっているとしたら墓はどこにあるんだろうか?
「うーん、考えても分からないな。
あ、そうだ!
幻獣種とか、もし帝国が攻めてくるなら返り討ちにして〜……とりあえずこの国で英雄になったらアウリクスみたいに世界を旅しようかな?
そしてアウリクスの軌跡を辿ってみるのも良いかもしれない。
うん、楽しそうだぜ!」
今日はもう本を片付けてラムの修行でも覗いてこようかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?