17話 黄金の大英雄

 ウィルは岩山の中を走り、場所を変えながら大蟻の脚を槍の代わりにして帝国兵たちに投げていた。
投げた脚はその全てが魔導老公によって破壊されているが、それでも帝国軍隊はウィルからの攻撃を警戒せざるを得ないため進軍速度は最初よりもずっと遅くなってはいた。

「ちっ、あのジジイ……。
追いかけるのはやめて、防御に専念しようって事か?
クソ、もう領都まで近いってのに……」

 岩山から軍隊を見ていたウィルの目に魔導老公が写った。
魔導老公は微笑みながらウィルに向かって手をゆっくり振っている。

「クソジジイ舐めやがって……あ?」

ガチャリ、鎧が擦れる音がした。

誰も居ないはずの岩山で、ウィルの隣に男がいた。

帝国兵士の鎧と兜を被った男がそこにいた。

それはきっと奇跡だった。

 ウィルと男の実力差で言えば、ウィルがその男の拳を紙一重で避ける事ができたのは奇跡に等しく。
────そして奇跡は二度、三度と起こりはしない。

ウィルの視界が反転した。

岩山から、草原に。
草原も越えて、どこかも分からぬ山脈の森の中にウィルは殴り飛ばされた。

 いくつもの木々を薙ぎ倒しながらウィルは森の中を突き抜け、地面の上を何度も跳ね転がりながら大きな岩にぶつかって静止した。

「げほっ、ごほっ、は、は?何が…どうなった」

 ウィルという少年は、強い力を持っている。
それは腕力であり、脚力であり、視力であり、思考力である。
疾風の如く走ることができるウィルは、どんな速さの中でも物事を正しく視認し、思考することができる。

 そんなウィルでも視認することができなかった。
直感で分かったのは、自分が一度目の拳を奇跡的に本能で避けた事。
しかし、二度目の拳を腹に受けて岩山と草原を越え、森に飛ばされた事。
 そして、立つこともできずに這いつくばって呻くウィルの前に、帝国鎧を纏った男が立っていた。
風も音もせず、ただ瞬きの内にその男は現れた。

「……だ、誰だ!なんなんだ!?また魔術か!?」

 いいや違う。ウィルは分かっていた。
この男は魔術は一切使っていない。
例えばこれが平凡な兵士ならば、この男が何をしたか1ミリたりとて分からないだろう。
 だがウィルは生半可ではない力があった。
だから分かってしまった。
ただの純粋な身体能力。単純で圧倒的な暴力。

「ゲホッ……なんとか言えよ……!」

 ウィルは血を吐きながらそれでも男を睨みつけた。
身体の中身がズタズタになっていても、諦める訳には行かなかった。

俺が戦わなくちゃ……誰が皆んなを助けられる?

「なあオイ、なんだよ…………どうしたんだ?」

 立つことはできないが、ウィルは大岩に背を預けて上半身を起こした。
男はウィルの問いかけに応えない。

「え、おい?」

 ウィルは気がついた。
静かな森の中で微動だにしない男は、呼吸をしていなかった。

"生きていない"

 ウィルの常人離れした眼は帝国鎧の男をそう認識した。
ウィルは困惑した。
なんで死んだ?なんで死んだまま立っている?
こいつはなんなんだ?

 ウィルと死んでいる男の近くに木の扉ができた。

「魔導老公……。」

 ウィルはできることなら、木の扉が目に映った時点ですぐにでも逃げたかったが逃げる事ができなかった。
今の満身創痍の状態では立ち上がることすらできず、ただ扉が開かれるのを見ていた。

「おぉ、なんと、生きておるのじゃな?お主は本当に優秀じゃのう、ウィルや。」

 木の扉から出てきたのは、やはり魔導老公だった。
髭を撫でながら好好爺とした表情でウィルを見ている。

「ゲホッ……この男は、お前の仕業かよ……。」

 血を吐きながらウィルは魔導老公を睨んだ。
魔導老公は良くぞ聞いてくれた、と言わんばかりに目を輝かせて話し始めた。

「もちろん!どうじゃ?素晴らしいじゃろう!!」

「……ふざけんな、こいつは、生きてない、そうだろ?」

「うむうむ、良く分かったのう?眼が良いのじゃな。
そうだとも、この鎧の中にはとある男の死体が入っているのじゃ。
儂の最高傑作と言っても良い!」

自慢げに答える魔導老公の言葉に、ウィルはこの老人が死霊魔術の使い手なのだと気がついた。

「……あんた、死霊術師、だったのか。」

「ふむ、そうじゃよ?
いやもちろん儂は様々な魔術を扱えるとも。
しかし本来は魔術師という生き物は一つの分野に特化しその分野だけをひたすらに探求するものじゃ。
儂は他の誰よりも長く生きておるからな、永い時の中で死霊魔術は極めてしまったと言っても過言ではないのじゃ。
故に、儂は様々な魔術分野にも手を出し、やがて『大陸三大魔術師』の内の一人、『魔導老公』などと呼ばれるようになったのじゃよ。」

ウィルは魔導老公の話を聞きながら呼吸を整えた。

「しかし、魔術というものでも理論より実践じゃのう……。
目にも止まらぬ速さで動くのは良いが、そのまま設定した標的を追いかけて遠くに離れてしまい、そのまま儂との魔術ラインが途切れて動かなくなってしまうとはのう。
改善の余地あり、じゃな。」

 つまり、帝国鎧の男は死霊魔術によって動いていたが、術者である魔導老公から離れすぎた為に魔力の供給を失って静止していたという事だった。

 ウィルは後ろ手に、背中に着けていた短剣をこっそりと抜いた。

「クソジジイが……そんな怪物を作れるなら沢山作って、その死体たちで軍隊を作れば良いじゃねえかよ。」

魔導老公は嗤った。

「くくくっ、作る?儂が?この男を?ははは、無理!無理じゃよ!
儂はな?ただ墓を掘り起こして死体を盗み出し、様々な魔術的なアプローチでこの死体を操れるようにしただけじゃ!
この死体は生きていた頃は英雄だった、特別な死体なんじゃよ。
……少年は英雄は好きかのう?」

ウィルは短剣を強く握りしめた。
隙を見つけろ俺、チャンスは一度だ。

「……突然なんだよ、あぁ好きだぜ。」

「英雄と言っても色々いるじゃろう?誰が好きなんじゃ?」

魔導老公はニヤニヤと、ウズウズと、笑みを浮かべ続ける。
それはまるで隠し事を早く自慢したい子供のようで

「はっ、アウリクスに決まってるだろ?
英雄って言えばアウリクスだ、そんなの老若男女、誰でもそう答えるだろ。


………………………ぁ……おい…冗談……だよな……?」

魔導老公は、狂ったように、腹を抱えるように、嗤った。

「くくくくくく、はははははは!!!
答え合わせをしようかのう!兜を取れ。」

命令された男は、その通りに帝国兵の兜を脱いだ。

──夜空の如き漆黒の髪。
──老若男女誰もが見惚れるような美しい顔。
そして、この大陸でただ一人。
黄金の双眸を持つ男。

ウィルが何度も、何度も、幾度となく本で読んだ、一人の男の描写。

黒い髪、黄金の瞳、甘い美形。

「あ、あぁ……う、嘘だ、」

「嘘ではない!嘘ではないとも!
儂は魂魄と死霊の専門家じゃ!故に解明した!
主神の加護は魂に刻まれぬ!
その肉体にこそ刻まれる!
肉体は強大な主神の加護によって死後も決して朽ちることなく!腐敗することなく!その加護を宿し続けておる!
魂の無い抜け殻の肉体に、儂が魂魄魔術で作成した人工魂魄を埋め込み、数万の魔術紋章を刻み込んで、ようやく意のままに操る事ができるようになったのじゃ!!!

おお!!見よ!!これが!!
現代に蘇った正真正銘の人類史上、最強の大英雄アウリクスじゃ!」

 男が、アウリクスが拳を振った。
その拳は一撃で森の一角を消し飛ばした、捲れ上がった木々と大地によって生まれた土煙が晴れた先に、ウィルの姿はなかった。

「一撃で消し飛んだかの?とんでもない力じゃ、ほほほ」


──────────────。

辺境伯領都マーズ。

 岩山方面に展開された防衛線は最後まで崩されることなく維持されたまま、大蟻たちはその数を減らし続け、やがて最後の1匹が絶命した。

 視界に広がる、夕焼けに照らされた大蟻の死骸の山。
兵士たちの消耗は大きく、死者も数十人に登った。
それでも、兵士たちは、ラムは、領都マーズを大蟻の群れから守り抜いたのだ。

「や、やった!俺たちやったんだ!生きてる!俺、生きてるぞ!!!うわあああ!」

 辺境伯兵たちが次々と勝利の雄叫びを挙げた。
各々が抱き合いながら勝利を、命があることを喜び合い、そして少なくない仲間の死に涙した。
 すっかり疲れ切ったラムは剣を腰に差して、その場にへたり込んだ。

「良かった……僕たち、街を守れたんだね……。
あ、ウィルはどこかな?大蟻が現れなくなったって事は女王蟻はちゃんと倒したんだよね。
やっぱりウィルはすごいなあ。」

 ウィルはいつ戻ってくるかな?
安心しきって、何気なくウィルを探そうと遠くを見渡したラムの目に、そう遠くない距離に揺れる旗が映った。

「あれ、旗?」

 辺境伯兵たちも1人、また1人と、全員が揺れながら近づく旗に気がついた。
やがて、旗が、その旗を掲げる兵士たちが、しっかりと見える距離まで近づき、ようやくラム達は現実を知る。

「そ、そんな、あの旗は…」

「……帝国国旗だ!!」

 辺境伯兵たちが慌てふためく間もなく、空から雨のような矢がラム達に降り注いだ。
ゴザ司令官が慌てて叫ぶ。

「ぜ、全軍退避ッー!!!」

 ラムは咄嗟に大蟻の死骸の下に隠れることで難を逃れたが、先程まで喜びを分かち合ったはずの辺境伯兵の多くが矢に撃たれて地に沈んでいく。

 ラムの目に、頭を矢で射抜かれ倒れるゴザ司令官の姿が見えた。

「そ、そんな、ゴザさん!!」

 悲痛なラムの声が届く事はない。
やがて矢の雨が止み、帝国兵達が突撃してきた。
大蟻との死闘で疲弊しきり、更には弓矢による奇襲を受けて数を減らした辺境伯兵たちは為す術もなく帝国兵にやられていく。

 考える間も無くラムは剣を抜いて立ち上がった。

「やめろぉぉぉぉぉ!!」

 奇襲のような形になったラムの剣は帝国兵を一度に数人倒すことに成功したが、やがてラムの存在に気づいた帝国兵達によって、ラムの剣は遮られてしまった。

「どうして、どうしてこんなこと!」

「なんだ?まだ子供じゃないか!剣を捨てろ!そしたら命は見逃してやるぞ!」

「うるさい!僕は子供じゃない……

 僕は、剣士だッ!」

 ウィルはすぐに戻ってくる!
そしたらこんな奴らすぐに蹴散らしてくれる!
それまで僕が戦うんだ!ウィルによろしくって頼まれたんだ!

だから……

「僕が、僕が守るんだ!!!!!」

 ラムの剣が戦場を舞った。
帝国兵の剣を、槍を、盾をすり抜けるように剣撃が帝国兵達を襲う。
 ひたすらに積み上げた修練によって研ぎ澄まされたラムの剣術は今、更に追い込まれた事によって極限の領域に足を一歩踏み入れつつあった。

 ラムは知らないが、帝国兵はウィルとの戦闘によってその数を減らし、そこそこに消耗もしていた。
それらが功を成して、帝国兵たちは誰も今のラムを止められずにやられていった。

「つ、つよいぞ!なんだこの子供、只者じゃ無い!
全員で掛かれ!包囲して数で攻めるんだ!ぐわあ!」

「できるものならやってみろ!誰にも、街のみんなを、セレーネを傷つけさせたりしないッ!!!」

帝国兵たちが次々にラムの剣に倒れていく。

だがしかし、ラムの前に1人の男が現れた。

夜空の如き漆黒の髪、黄金の双眸を持つ男。

「どけええええ!!」

勢いのままに振られたラムの剣は、男に届かなかった。

男の拳から生まれた衝撃波で地面は大きく裂け、剣は粉々に砕け散り、ラムは大きく吹き飛ばされて領都の城壁に叩きつけられた。

運良く拳の直撃を受けなかった事によって即死を免れたラムは、しかしそのまま意識を失った。

────────。

ラムは暗闇の中で声を聞いた。

「死ぬぞ、少年」

みんなを守りたい!このまま死ぬなんて嫌だ!

「では、私の力を継承するのだ」

力……?

「そう、力だ。
継承と言っても、一時しか得る事ができず少しの間しか扱う事ができないだろう。
遥か昔、『銀装』と呼ばれた英雄の残滓、塵芥のようなもの。
何の因果か、少年の中に紛れていたが、この時のためだったのかもしれん。」

銀装?貴方は夢の中にでてきたおじさん……?

「継承してしまえば残滓である私は消えてなくなるだろう。
もう二度と少年の夢に現れることもない。」

その力があれば、僕はまだ戦える?
本当に街のみんなを守れる?

「多くを話す事はできないが、少年が戦う事によって運命の流れは変わり、守ることができるはずだ。
何より少年は死なずに済むのだ。」

おじさんともう会えなくなるのは少し寂しいけど……。
それでも僕に、僕に力をください!

「ああ勿論だとも、しかし何度も言うがこの力は一時だけだ。
正しい道を見失ってはならない、信じて己の道を進むのだ。」

うん分かった。
絶対忘れないよ、約束する!

「さあ、目を覚ませばすぐに戦場だ。
銀の剣が少年の力になってくれる。
そして倒すのだ、魔術師の老人を。
英雄と在れ、少年。」

─────────────。

 ラムは目を覚ました。
意識を失っていたのはほんの一瞬だったようだ。
そこら中から剣戟と兵士たちの悲鳴や怒号が聞こえてくる。

 ラムの手には新たな銀でできた剣があった。
銀剣を握りしめて立ち上がる、不思議と身体には傷一つなく、胸の奥から力が溢れてくるようだった。
 視界も今までよりもずっと冴え渡って視え、帝国兵たちの中心に居る、魔術師の老人と黄金の双眸を持つ男を見つけ出すことができた。

 ラムは駆けた。
踏み抜かれた地面は砕け、双方の距離を無いものにして一瞬で近づいたラムの銀剣は音を置き去りにして振るわれ、超反応で応撃した男の拳とぶつかり合った。
凄まじい衝撃波と銀の光が戦場に放たれる。

「僕がみんなを護るんだッッッ!!!」

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