20話 闇への誘い

 僕はベッドの上で目を覚ました。
小窓からは日差しが降り注いでいる、すぐそばの通りは商店街に近いのだろうか、賑やかな歓声が聞こえてきていた。

 身体を起こして部屋を観察する。
知らない天井、知らないベッド、知らない部屋。自分が今着ている服すらも知らない服だった。
いつもなら寝る時はベッドの側に置いてある筈の剣が無い。
ベッドの側の机には花瓶が置いてあった。
今までに見たことのない花が挿されていて、美しく瑞々しい、花瓶の中の水も綺麗だった。

「どこだろ……ここ……。」

 このまま居ても仕方ないとベッドから降りようとした時、部屋の扉がギイと音を立てて開き、エプロン姿の中年の女性が顔を出した。

「……あ!おやまあ!起きたのかい?ちょっと待っていておくれよ!」

彼女はラムが起きているのを見た途端、すぐにバタバタと戻っていってしまった。

「え?だ、誰?えーと、僕は昨日……何してたんだっけ……?」

 ラムは知らない女性の登場にますます困惑したが、待っていて、と言われてしまったので仕方なく待つ事にした。

 そうして待っている間に、どうして自分が知らない部屋で寝ていたのか思い出そうと頭を抱えてうんうんと唸ってみたが、やはり何も思い出せない。

何かを忘れている気がしているのに思い出せなかった。

「入って大丈夫かい?開けるよ。」

 トントンとノックされてから、部屋に女性が入ってきてベッド側の机にお盆を置いた。
お盆には具材たっぷりのスープと焼きたてのパンが置かれていた。
どちらも湯気をあげていて、とても温かそうだ。

「お腹が空いてるんじゃないかい?
お食べ、野菜と兎肉のミルクスープとホットバターパンだよ!ウチでは人気のメニューなんだ。」

「え、えっと…。」

「どうしたんだい?子供が遠慮なんてしなくていいんだよ!勿論お金なんていらないから」

 ラムは少し迷ったが、目の前に出された料理の美味しそうな匂いにお腹の虫がグルグルと鳴き声を上げていた。

「それじゃあ……いただきます!」

 ミルクスープは一口飲めば、心の芯から暖かくなるような優しい味がした、ホットバターパンは今まで食べたことのないパンだったが、少し千切って食べれば、その柔らかさと口に広がる美味に驚いた。

「美味しいです!!すごい!こんなに美味しい食べ物は初めて食べました!!」

 初めの躊躇していた姿はどこかへ飛んで消え、ラムは一心不乱に食べた。
そんなラムの様子を女性は微笑ましく見ていた。

「そうかい!口にあって良かった。
ウチは宿屋をやっててね、私は女将のメアリーだよ。
あんたは今までどうしてたか覚えてるのかい?」

「いえ、それがあんまり覚えてないんです……。」

 ラムは綺麗に食事を食べ切って礼を言った。
やっぱり何も思い出せないままだ、喉奥にまで上がってきているのに…。

「そりゃそうだよねえ、あんたはね、もう2週間くらいずっと寝てたんだよ。」

「え!?2週間も!?」

ラムは驚いた、2週間もご飯を食べてないし剣の修行もしていないってことだ!身体が腐っちゃう!

「そうさ、だからあんたが起きた時はびっくりしたけど……随分元気そうじゃないか、安心したよ。」

「あ、あの!僕は何でここに?」

「それがねえ、ウチの旦那がお国の兵士でね?
つい2週間前に戦場で拾ったんだってアンタを背負って帰ってきたのさ。
だから、宿屋の一室を使ってアンタをベッドに寝かせてたんだけど、2週間経っても目が覚めないからもう起きないのかも〜、なんて思ったりもしてたんだよ。」

僕は戦場で拾われた?なんでだろう?

「そうだったんですか……大変ご迷惑をおかけしました。
お世話になった分、宿屋のお手伝いとか僕にできることなら何でもやります!」

「なあに言ってんだい!宿屋はアタシ一人でも回るよ!
アンタは起きたばっかりなんだから、今日は休んで行きなさい!
夕方になればウチの旦那が帰ってくるから、そしたら相手をしてあげておくれ。」

「あ、ありがとうございます。」

 ラムはお礼を言って頭を下げた。
メアリーはニッコリと笑ってからお盆を持って部屋を出て行った。
 小窓から外を見た。雲一つない晴天だ、暖かい風がふわりと吹いていてさぞかし外は気持ちの良い日だろう。

「外に出てみようかな、少しだけ…少し散歩するくらいならいいよね?」

ラムは女将に少しだけ散歩がしたいと話して宿屋から外に出た。

「迷子にならないように、あんまり遠くに行くんじゃないよ!ここらは治安が良いけど、悪いやつが一人もいない訳じゃないんだからね!」

「はい、分かりました!気をつけます!」

 ラムは手ぶらでふらふらと街の中を歩き出した。
賑やかな声がずっと聞こえていた方に向かうと、やはり商店街があって活気に溢れていた。

「わあ、すごいや……ここってどの辺の街なんだろ?領都マーズじゃないよね……」

キョロキョロと辺りを見渡しながら歩くラムに屋台のおじさんが声をかけてきた。

「おい坊主!ママのお使いか?ちょいと焼き串を食べていけよ!」

「ごめんねおじさん!さっきご飯を食べたばっかりなんだ〜、また来る時があったら食べるよ!」

 本当に賑やかで、昼間だというのにお酒を飲んでいる大人たちが沢山いる。
 みんなして何かを祝っているみたいで、この街で何か良いことがあったのかな?

「ねえ、おじさん!僕よく知らないんだけど、みんなは何を祝ってるの?」

「おいおい、坊主はここらに住んでるわけじゃないのか?」

「うん、ちょっと訳があって遠くから来たんだけど、この街が凄く賑やかだから驚いてるんだ。」

「ははぁ、なるほどなあ。実を言うとこの街だけじゃないんだぜ?今は国中が活気に溢れてるさ!なんたって戦争に勝ったんだからな!
物もお金も沢山流れてきて、国中が豊かになってるんだ。」

「戦争?」

ラムの頭がズキリと痛んだ。

「おう戦争さ、初めはどうなることかと思ったけどねえ。
この活気がいつまでも続く訳じゃないのはみんな分かってるからな、今くらいは楽しもうぜ!」

 おじさんはワハハと陽気に笑った。
ラムはその場を離れ、商店街を歩いて見て回った後は寄り道せず宿屋に戻った。
 部屋に戻ってベッドに横になるとやはりまだ本調子ではなかったのだろう、一気に眠気がやってきてラムはそのまま睡魔に身を任せた。

トントンと、扉を叩く音でラムは目を覚ました。

「ふぁい……。」

「なんだい寝てたのかい?夕飯ができたから置いておくよ、ゆっくりお食べ。
食べ終わったら気軽に声をかけておくれ、食器を下げに行くからね!」

「わあ、ありがとうございます!」

 部屋いっぱいに広がる美味しそうな匂いにラムの頭とお腹は一気に覚醒した。
卵のスープにヤギの香草ステーキ、色んな野菜が入っているサラダに、朝も食べたホットバターパンが置かれていた。

「んん〜!どれも美味しい!ステーキはとっても柔らかいし、お肉に乗ってるこの草はなんだろう?なんだか不思議な匂いがする!
それに卵のスープってこんなに美味しいものだっけ?僕が作ったのと全然違うや……」

 ラムは綺麗にゆっくり味わって食事を終えた。
この食事は本当ならいくらのお金を支払わなくちゃいけないんだろう?
きっと良い値段がするはずだ、ラムはやっぱり申し訳なくなってきて、宿屋の手伝いをもう一度申し出てみようかと考えていた時だった。

トントンと、再び扉が叩かれた。

「あ、はい!どうぞ!」

 ラムは女将さんだと思い、すぐに返事を返したが扉を開けて部屋に入ってきたのは中年の男だった。
布の服を着た男は腰に帯剣しており、左腕はグルグルに包帯が巻かれていて、右手で抱えるように兜を持っていた。

「やぁラム君、失礼するよ。
僕はダリエル、メアリーの夫で兵士をやってるんだ。
君をこの宿屋に運んできたのも僕なんだけど、少し話をしようと思って……良いかい?」

「それは……帝国兵の兜…………そうだ、僕は……」

ダリエルが持っていた兜を見てラムは全てを思い出した。
その兜は帝国兵の兜だった。
兵士とは、つまり帝国兵の事だったのだ。
ダリエルは帝国兵で、ここは帝国領のどこかの街の宿屋ということになる。

「ごめんなさい、大丈夫です。僕も色々聞きたいから……」

「そうだろうね、とりあえずは……何から話せばいいかな……。
まず、ここは帝国と公国の国境の側にある、帝国領側の辺境伯の街だね。
僕たちが戦っていた場所の近くだよ。
僕はね、あの日戦場で倒れていた君を背負って、こっちの街に帰ってきたんだ。」

「ま、まって!なんで……なんで僕を背負って帰ってきたんですか?」

「そりゃあ、あのまま戦場に放っていたら君は死んでしまうかもしれないだろ?放っておけないさ。」

「いやいや、なんでですか!?僕は敵国の人間なのに!」

「子供だからだよ、子供を見殺しになんてできない。」

戸惑うラムにダリエルは真剣な表情で応えた。

「子供………僕は、子供じゃない!剣士だ!ダリエルさん達と戦って帝国の兵士を沢山倒したんだよ!?」

「いいや子供だよ、君は幾つになるんだい?」

「……もうすぐ15になるよ」

「何歳から大人になるかは国によって違う、12歳から大人になる所もあれば、18までは子供だっていう所もある。
帝国は15までは子供なんだ、公国もそうだったと記憶してるけど、違うのかい?
つまり……君はまだ15じゃないから子供だよ。」

「子供だからって何だって言うんですか……」

「いいかい?国が違ってもね、大人は子供を守るものなんだよ。
例え生まれや育ちが違って戦争をしたとしても、同じ血が流れている人間同士、大人は大人だし、子供は子供だ。
戦争でどんなことをしたって子供に罪は無いよ。
そんなもの……あって良い訳がないんだ。」

「そんな………。」

ラムは言葉を詰まらせた。
自分の目の前にいるダリエルという男は、きっとどこまでも大人で、ラムはまだ子供だった。

「……じゃあ、聞いても良いですか?」

「勿論、気が済むまでなんでも聞いてくれて良いよ」

「戦争はどうなったんですか?」

「あの日、帝国側の『黄金の闘士』と公国側の『紅蓮の勇者』が闘ったんだけど、最後はどちらも共倒れになってしまったんだ。
その後は魔導老公様が兵士たちを連れて領都マーズを占領して、そこを拠点に帝国軍は後続の軍隊と合流してから一気に王都を目指して、そのまま国王を討ったと聞いているよ。」

「っ……!」

「帝国は戦争に勝利した。
公国は既に公国ではなくなって旧公国領はその全てが帝国の領土になったんだ。
今は帝国中が戦勝を祝って大騒ぎしてる、でも帝国は公国だけじゃ止まらずにこれからも次々に戦争を仕掛けていく筈だから、大陸中が荒れるのは間違いないだろうな……。」

「……『紅蓮の勇者』は…死んだのでしょうか………。」

「あぁ、勇者は死んだと帝国皇帝は発表しているよ。
事実、兵士たちの中にはその死体を見たって言ってる奴も居る。」

「そんな、そんな……どうして……」

ラムは泣き崩れた。
ラムが最期に覚えているのは自分を労ってくれた師匠の声と、掠れた視界に映った真っ赤な紅蓮、ただそれだけが脳裏に浮かんだ。

「………ラム君、君の生まれ故郷は辺境伯領かい?」

「………はい……辺境伯領の中でならそこそこの大きさの村です。」

「そうか……じゃあ、明日にでも親元に帰った方が良い。
帝国領にずっと居ても気分が良くはならないだろうから。
少し待っていてくれ、すぐ戻る。」

 ダリエルは立ち上がって部屋から出ていった。
ラムの目からはポタポタと涙が流れ続けている、何度拭ってもその涙は止まらないし、心にポッカリと空いた穴はちっとも小さくはならなかった。


少しして、ダリエルが部屋に戻ってきた。

「これを渡そうと思ってね。」

ダリエルが持ってきたのは、蒼い外套と少し形が歪になってしまった花の首飾りだった。

「これって…。」

「君が着けていた物だ。
残念ながら服の方はボロボロだったから捨ててしまったけど……仕立ての良い蒼い外套と花の首飾りはなんだか君にとって大切な物なんじゃないかって気がしてね、仕立て屋に手入れして貰っておいたよ。」

「……ありがとうございます……。」

 師匠から貰った蒼い外套とセレーネから貰ったお揃いの花の首飾り。
ラムは蒼い外套に顔を埋めた。
涙を隠したかったから、在りし日の師匠を感じられる気がしたから。

「それと、これは少しばかりだが貰ってくれ、硬貨だ。
辺境伯領まで行くなら馬車に乗った方が良いからね、これを幾らか行商に渡して乗せてもらうと良い。
ああ、後……。」

ダリエルはその腰に差していた剣を右手で鞘ごと取り外し、硬貨と一緒に机の上に置いた。

「よかったらこの剣も貰ってくれ。
君の剣はもう無いんだろう?剣士なら剣は持っておきなさい。」

「…え、でもダリエルさんは兵士なんじゃ…。」

「ああ、こんな腕じゃ兵士はできないから引退するんだ。
これからは宿屋をメアリーと一緒に営むつもりだ。」

 ラムはダリエルの左腕を見た。
グルグルに包帯を巻かれているその左腕はどうも半ばから骨が砕けているらしく、治るのにはかなり時間がかかるようだった。

「あ……もしかしてその左腕は…。」

「良いかい?もう一度言うけれど、例え何があっても子供に罪はないんだよ。
僕は恨んだりしないし、むしろ首を斬らずに腕を叩き折られるだけで済ましてくれて感謝を言いたいくらいさ。」

「ごめんなさい、こんなにしていただいてどんなお礼をしたらいいか……」

「本当に気にしなくて良いんだよ。
実はね、本当なら僕たちには君くらいの子供がいる筈だったんだ。
産まれて間もない頃に事故で亡くなってしまって……だからこれは、自分の居たかもしれない子供を君に重ねているだけなのかもしれない。
今日は支度をしたらゆっくりとお休み、明日の朝に旧公国の辺境伯領行きの行商が居るからそれに乗せてもらいなさい。
分かったかい?」

「分かりました…。
…………あの、ありがとうございます!」

部屋を出ようとするダリエルの背中にラムはお礼を言った。
ダリエルは穏やかに微笑んでそれに応えた。


────────────────。


感謝と別れの言葉を書いた手紙を置いて、ラムは早朝に宿屋を出た。

「すみません、この行商は旧公国領のマーズに向かわれるのでしょうか。」

「なんだ、乗せていって欲しいのか?」

「はい、僕はこれでも剣士でそれなりに戦えます。
運賃代わりにいくらか硬貨もお渡ししますので。」

「子供のくせに殊勝だねえ……よし、乗りな!さっさと出発しちまおうと思ってたんだ。」

ラムはダリエルの話の通りに行商の馬車に乗って帝国領を出た。
 戦争前までは国境であった場所を越え、山を迂回するように道を回りながら草原に入ったところでラムは行商に声をかけた。

「すみません、僕はここで降ります。ありがとうございました。」

「おいおい、まだマーズまでは先が長いぞ!」

「いえ、寄りたいところがあるので大丈夫です。」

 ラムはその言葉を最後にして、走り続ける馬車から飛び降りた。
 そのまま遠くに去っていく行商を少し眺めてから、生まれ故郷である村がある方向に向かって歩き出した、ここら辺は庭みたいなものだ。昔からいつもウィルと遊んでいたんだ、よく知っている。

「長い間……もうそろそろ一年になるのかな?
何も連絡していないから心配かけちゃってるかなあ……」

ラムは村までの道中で両親や村の人たちの顔を思い浮かべた。
そして、ウィルのことも…。

「ウィル……もしかして村に帰ってきてたり、しないかな……。」

 魔導老公はウィルの事を死んだと言っていた。
それでもラムにはやっぱりあのウィルが死んだなんて信じられないし、信じたくなかった。

「大丈夫だよね、きっと、どこかで……え…」

ラムは小一時間ほどかけて村に辿り着いた。

少し前までは村があった場所。
建物は全て崩壊していて、田畑は無惨に荒らされていた。
村の広場であった場所に広がる、無数の十字の木。
それは墓だった。
誰の墓であるかなど、当然ラムには理解できた、できてしまった。

「…………。」

 村の広場の中心には、ラムの背丈より大きな巨大な岩が不自然に置かれており、そこには沢山の名前が彫られていた。

「リーリエ、カッツ、フリム、トリシャ、………村長さん、狩人さん、、、父さん、母さん、…………」

 全て、村に住んでいた人達の、ラムが良く知るみんなの名前だった。
突然、足元に大きな穴が空いたようにラムは膝から崩れ落ちた。
物言わぬ石碑と十字の墓達が静かに蹲るラムを囲んでいる。

「…ぁ…うぁ……。」

 涙は流れなかった、目の前の残酷な現実を受け入れることができなくて上手く呼吸ができない。
 どれだけそうしていただろうか、陽が暮れ始めてから、ラムは石碑の裏に一本の小さな木の槍が立て掛けられている事に気がついた。

「……もしかして…」

 きっと、ラムよりも先にこの村を訪れた人がいる。
その誰かが墓を作ったはずだ、誰かがこの巨大な岩を持ってきてこの槍で村の人間の名前を彫ったのだ。
 ラムはすぐに石碑の名前を上から下まで全て見返した。
そこには村の住人全員の名前が彫られているのに、ラムと、ウィルの名前だけが彫られていなかった。

 ラムは呼吸する事も忘れて必死に走り出した。
正しい走り方を、より速く走れる走法を知っている筈だったのに、もう何度も走ったはずのこの山道の歩き方が思い出せなくて、思い出す時間すら惜しく感じて……。
 ラムは秘密基地に向かって必死に走った。
もうずっと手入れされていないからだろう、いつもの道には草木が好き放題に伸びていて、お構いなく走るラムの身体に木の枝が傷をつける。

視界の遠くに見えてきた秘密基地の前には人の姿があった。

「ッッ、ウィルッー!!!!!」

ラムは山の中腹にある秘密基地に辿り着いて、そこに立っていた人物を見た。

 紺色の刺繍が施されたどこか高貴さを感じさせる深い闇色のローブ。
頭にはお伽話に出てくるような魔女が被るとんがり帽子。
妖艶な雰囲気を纏って黒髪を靡かせる女性が星々の装飾を散りばめた杖を持って立っていた。


「ウィル?いやいや、私はウィルという名前ではないよ?」

「…………どうして…ウィルじゃない…」

 ラムは己の胸を強く抑えたつけたが、全力で走ったせいで荒れる呼吸はもちろん、ぐちゃぐちゃになった感情は心の中で暴れ続けていた。

「おや、もしかしてここは君の秘密の場所だったりしたのかな?
ここはいいね、程よく木々が開けていて、星空が良く見える。
何か辛いことがあったのかもしれないが……
君も見てみるといい、あの星は一際輝きながら君を見ているよ。」

「……星…」

 ラムは地に膝をついて天を仰いだ。
気づけば陽はとうに暮れていて、星空が天を彩っていた。

「私のお気に入りの星があるんだ、あの1番輝いている星が見えるかな?あれがアウリクスを模した星だと言われているんだ。
君くらいの男の子はみんな好きだろう?英雄アウリクスだよ?」

その言葉にラムは強く胸元を握りしめた。

「………嫌いだ………嫌いだ!!!アウリクスなんか大嫌いだよ!!!!」

「おやまあ……珍しい坊やだね……。
そうかぁ、アウリクスは嫌いかあ。」

ローブ姿の女性は、ラムの絶叫とも取れる叫びを聞いてもなお楽しそうに星を見ていた。

「ね、君はなんて名前かな?私に教えておくれよ。」

「……ラム。」

「ラム?ほほう、いい名前だね。
古代魔法言語で『清らかな水』『純水』という意味があるんだ、転じて『何者にも染まらない』とも言う。
知ってたかな?」

「貴女は………魔術師なんですか?あの…魔導老公と同じ……」

「おっと、あんな傲慢で陰湿な老耄と一緒にするのはやめてほしいな。
私は魔女だよ?魔法使いなのさ、魔術師なんて陰気臭い連中と一緒にしないでおくれ。」

 ラムは静かに剣を握った。
魔術を扱う人間で良い人間には出会ったことがない。
何より魔術の類いは心底嫌いだ、つい最近嫌いになったと言えるだろう。

「僕にはッ!!貴女達がどう違うかなんて分からない!!
いや、それだけじゃない、もう……自分がどうして良いかすらも……」

 突然に激昂したかと思えば言葉が小さくなっていき、やがて握っていた剣から手を離して俯いてしまったラムを見て、魔女は小さく溜息を吐いた。

「やれやれ、前途多難な子羊というやつかなあ?
ふうむ、星々はこんなにも君の行く末を見守っていると言うのにね。」

「……。」

「ハァ…私は星占いが得意なんだ。
君がこれから先、どうすれば良いか占ってあげよう!
信じる信じないは君次第だけど〜、私はこれでも世界で一番星に詳しいし、星占いが得意なんだ。
信じても良いんダヨ〜?気になっちゃうカナ〜?」

「………。」

「あーあ、不貞腐れちゃって…。
それでは、えー、こほんこほん。
『星々よ、この者の行く末を導きたまえ〜♪為すべきことは何ぞや〜♪』
おおー、ふむふむなになに?
なんと、君はここで誓いを立てたのかい?」

「………誓い…?15になったら、王都に行って…ウィルと一緒に…英雄を目指すんだ…。」

「なんとまあ、子供らしい誓いだね。
そして15になる前にして、今の君は多くのものを失った、そうだろう?」

「………………。」

「それでも君にはまだ会いに行くべき女性がいるみたいだ。
ひゅ〜♪中々どうして隅に置けないじゃないか?やるねえ、お姫様かなあ?」

「…………。」

「セレーネという女性を探すべきだ、彼女はきっと君の助けを求めている。」

「!!!な、なんで、セレーネの事!!」

「うふふ、私は星の魔女だよ?お星様がなんでも教えてくれるのよ〜♪なんてね?」

「…セレーネ………。」

「あらら、私のことはまた無視?悲しいなあ。
最後に…ふむ……これは凄いね、大きな運命の渦が君を中心に回っていて、君の背中には大きな使命があるようだ。
それから、『君は決して誓いを忘れてはいけない』。
『正道を行きなさい』。」

「ッ!?………」

ラムは立ち上がり秘密基地と魔女を背に、その場を離れるように歩き出した。

「んん〜?私の星占いを信じる事にしたのかな?それともどこかに行きたくなっちゃった?」

ラムは立ち止まって星を見た。

「僕にはまだ行かなくちゃいけない所があるのを思い出したんだ。
…………ありがとう、魔女さん。」

「あらあら、それはどういたしまして。
君に星々の導きがあらんことを。」



───────────。

 ラムは夜通し走り続け、早朝になってから領都マーズに辿り着いた。
 脇目も振らずに真っ直ぐに向かった先は旧辺境伯家の別邸だった。
屋敷の門の前には門番の兵士が二人立っていて、兵士達はラムを見て驚いた顔をしていた。

「君……もしかして、ラム君かい?生きていたなんて…。」

「僕のことを知っているんですね。
急に来てごめんなさい、セレーネは今どこに居ますか?」

兵士は表情を歪め、声を小さくしてラムに言葉を返した。

「セレーネお嬢様を助けてあげてくれ、頼む!
つい1週間前だ、何故かは分からないが公国中の貴族達が王都に招集をかけられていて、セレーネ様も帝国兵達によって王都に連れて行かれてしまったんだ。」

「そんな…じゃあ今この屋敷には誰がいるんですか?」

「顔も名前も知らない帝国貴族の次男だよ。
公国が所有している領土は全て帝国貴族が管理することになったらしい、だから帝国領土では土地を貰えなかった貴族の次男が割り当てられているんだ。」

「それじゃあ、公国の貴族はどうなるんですか!?」

「街の噂じゃ……貴族だったものはみんな処刑されてしまうんじゃないかって……。
だから!セレーネお嬢様だけでも助けてあげてくれ!君しか居ないんだ!頼む!!」

門番の兵士たちはその場で土下座していた。

「……分かった!セレーネは王都にいるんだね!」


 ラムは走って領都マーズを出た。
それから三日三晩、ラムは走り続けた。草原を、沼地を、山を。雨の中も、夜の中も、猛獣達の縄張りの中も。
 ただセレーネの無事を祈りながらラムは走り続け、やがて王都に辿り着いた。
いつか、ウィルと一緒に来るはずだった王都に…。

 昼間だと言うのに太陽は暗雲に隠れ、降り頻る雨が王都に影を落としていた。
王都の門を潜り抜けた先、栄えていたであろう広場につながる中央通りには人の姿は一つもなく、ラムだけがポツリと雨の中を歩いていた。

 分かっていた。
門を潜り抜けた時から気づいていた。
どれだけの雨が降り注いでも、拭うことのできない流されても消えない臭いが王都に充満していた。

───腐った血と死肉の臭い。

 王都の広場には、見せしめとして処刑されたのであろう公国貴族の首が数百と晒し者にされて転がっていた。
どの首も腐り果て、降り注いだ雨によってグズグズになっていた。
とてもじゃないがそれが男であるか女であるかすら分かるような状態ではなかった。

ラムは足元を見た。

『ラム!貴方にプレゼントをあげるわ!
私とお揃いの首飾りでしてよ?そう、特にこの花の飾りがとても可愛らしいと思わないかしら!』

「………………。」

『僕は目の前で泣いている人がいたなら!
絶対に見捨てない!必ず助けてみせるよ!
それが僕が、僕たちが目指す最高の英雄だからだ!
アウリクスはお姫様を助けたんだよ!
それなら僕だってセレーネを、お姫様を助けるさ!』

「……………。」

『……ラム、私を助けてくれるの?

うん、助けるよ!!』

「ぅ、うぅあぁ、、……。」

『心配なんてしていないわ、だって何があってもラムが私を守ってくれるのでしょう?』

「アァァァァァァァァぁッッッッッ○◇□▽☆%°>÷$##ーーーーーッッッッッ!!!!」


 大雨は更に激しさを増していく。
暴風雨に晒される王都の広場に、一人の少年の悲痛な慟哭が響き渡った。
 そして……少年の背後に音もなく魔女が現れた。
魔女はその肩にそっと手を置き、寄り添うように顔を近づけて蠱惑的に囁いた。

「15歳の誕生日おめでとう♪ 」

『魔女』は嗤っていた。

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