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護良親王の軌跡

オヤジブログ怪気炎 vol.195

8月19日、鎌倉宮にて琵琶を奉納演奏させていただきました。本殿に向かって演奏している後ろで、お賽銭を入れ拝んでいる方がいらっしゃるのは、何だか変な気分です。
鎌倉宮は、明治に入り護良親王を祀った神社として創建されました。鎌倉幕府末期から南北朝にかけて大活躍した護良親王は、じつに数奇な人生をおくられた方です。
大塔宮という名前は、天台座主でいた頃、大きな塔(九重塔)のそばに門室を置かれたところから。
楠木正成が遊撃隊長とすれば、護良親王は外交官タイプでしょうか。鎌倉幕府打倒に向けて東奔西走、令旨を発して支援を募ります。転戦中に還俗して武士となります。
建武の新政が始まると征夷大将軍に任ぜられるのですが、後醍醐天皇が足利尊氏に接近され、護良親王は解任、尊氏が将軍となります。
尊氏にとって護良親王は邪魔ものでした。帝位を奪おうとしているなど噂を建てられ、やがて捕えられた親王は鎌倉に流されます。ところが鎌倉では北条高時の子時行が反乱を起こして、危険視された親王は処刑されてしまうのです。
親王の悔しさはいかばかりだったことでしょう。抜群の貢献しながらも、報われない死を悼み、遅まきながらはありますが、お祀りしている意味はよくわかります。

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