性の一般論

常識を言っといたら楽かなとおもって常識を言ってみる。あなたにはあなたの意見はあっていい立場はあっていい。すこし理系をさきに考えてみる。空気的にひやかされて、冗談を言う自分も嫌になってくる。
事実と理系と理数系とりけ女と、本当はこまかな違いを捨象ってもんは出来ない。現実をつきつける前に出来ることをあたろう。
ストレスというのは、最後のちょっとを善人もひいてしまってすこしの配慮不足を物凄く後悔することも有る。リスクとして。
SNSに自慰の議題を真剣に考えようと乗り出した人の存在も歓迎はしたいしいい傾向とは思うし、思おうとは頑張ってしている。
わたしならそういう時は切り口くらいは硬派にしたり、スタイリッシュにしたり、する。違いから微妙な感情になった部分はあった。
わたしは日本人なのもあるからか、内輪に来たら規律は言うし、そとには許したいと潜在的にはおもう。自分の傾向も絶対視してくれとは言わない。

根源的な力として、いわゆる大和撫子や日本男児に成ったら解決という場合はなくはなく、一定数あるとは思う。

例外はこれか、性的マイノリティか、という考え方は良くない。


投票にたとえると、自分の立場を自覚する利点も有るから自覚の観点から公共性のほかの恩恵は、ある。
それをやはり公開する必要はない。
内心に秘めてもいいし、行動に出してもいいし、芸術性に表現してもよい。
多様性を、ここへ、持ちたい。
形式を断定するのは既に支配している。

多数派も少数派も優越感の根拠には、成らない。

かりに優れていても露骨な表現をなるたけ取らない心掛けは持つ。

人間の性は、生殖から独立して、機能出来うる。
その点から、男女に恋愛を限ると時代には逆行する。
もちろん性的嗜好以前に性格に好色を匂わせ自分の利益から自分の性的自認を圧力団体の様に推進するのなら意見の表現からつたわらない。
立場の有利不利とはあまり関係ない。公共性を理由にされても、それは不可思議な建前かも知れない。

自分とは
違う
立場と場合を
いかに多く
考えられるか

そこは出発に入れる様な重要な点と思われないか。

現状出逢わない人は沢山居るのを尊重しておく。未来の設計には根幹から必要といえる。

明日を尊重しないと夜は充実して送れない。

江戸時代頃に性的多様性をそんなに分けない時代はあった。もしくは王の性的嗜好から一時的に海外の伝統にゆるされた時代は散見される。
寛容になるかの問題は全部寛容になったらいい。
そこに引っ掛かるのみなら、許したら済む。
実行して許した時に解決する。

区別も避けるのは当時のおそれからかもしれない。
違いを教える必要性は大なり小なり有る。

最後に、変質者は生活の医学に始まる様なリテラシーを、たくさんたくさん、持って矯正も予習はしておく。
それは役に立つ。対人援助の専門畑の理論書や行動分析にかんしてや、森田療法や、トラウマやPTSDについて。
それから実効的な治し方も一応知っておいていい。薬物療法は昔は危険な領域を含めて解決を優先していた。ショック療法とかの変遷は確定的と言える部分は濃い。動物実験のかなしい歴史を活かすには知らないことは逆効果になる。知って土台に持つ。

それ以上は注意する。
知識と背景に持ってもらえたらと、想う。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。