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意味の変な村上春樹らしさ

変態という物は存在しない。認めてもらえなかったら誰しも普通の人さえ変態なところ完璧な態度とは言えない認めてやる人に問題はある。

比喩を言うとね、一般論という物は存在しない。誰しもフェチという物は持ち、自分ひとりを変態とは決して言えない。完璧なまともさは存在しない。完璧な変態は居ないようにね。

時に例外というものは、常識のように襲ってくる。完璧な変態は居た様に。そのとき、決して予期しなかった常識人を卒業する事もあるかも知れない。警句を言うつもりはない。ナチュラルな事として変態はよくない同様とまりはしないよ。活火山のようにね?

センチメンタルというのは、時として、事実を凌駕してしまう。真夏の夜に、歌劇をしていたら、粗筋なんて忘れてしまうようにね。物事はそういう時、複雑に成っている。きみの守る物は感情なのか理性なのか、それとも感傷的な主観なのかい。複雑に言うと早稲田大学を卒業すると全て論理的なら新しい正解に思える。センチメンタルになっているからね。そんな時の感覚を真心と思うのかい。僕はそう思えないね。風呂に入ったら踊る。それも実行しなかったらセンチメンタルには成るよ。

感傷を僕は苦手に思う。昼を終えた太陽のようにそろそろ、荷を下ろしたくなる。たしかに疲れていたのかも知れない。コーヒーをいれても、あまりに濃度を気にしなかったし、頓着という物を持たなかった。習慣的に、僕たちのする事は、憐憫や哀傷とは違って事実を伝えてくる。あの夜、去ってしまった夢の女も、事実としては居なかった。しかし、そんな風に通達されても、僕は喪失感を、持った。時に僕たちは夢を一番追おうとするから。夢に埋没出来た時あの女も、もう一度現実になった。二次元とは思ったよ。アニメみたい、とね。止められなかった。

分かりやすい事は、僕は今、追いつめられており、政治的な事に関係しており、変態は関わって来て居て、救世主と言われたら頷きたくも成るということ。それしか、なかった。喪失のたしかなありかは、そこにあった。その時、僕は喪失に触れた。それを愛撫し、人形の女性の様に愛顧し、騙される危険のない奉仕を、尽くしきる事は、変態の所業とは想わなかった。自らを。すこし、寝惚けてもいたのかもしれない。訪れた朝に漠然とした喪失感を覚えると、僕の現実とした物はモテなかった腹いせと、何も変わらなかった。とはいえ少し自分を正しい様にも思う。自己肯定感は高いから。誰よりも高いから。ほかの人なら変質者という可能性にも思い当たらないなか、自分は考えてみた。相手はこういう確信をときに、振動させてくる。相対的な世界のなか、ヘンなのは相手かも、しれない。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。