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Who

私は長距離走を前半とばして後半燃えつきてるタイプなので往復に成ると片道切符で居たつもりなのを気づいたり過信というより負けて成立するものもあるとあまりに打撃的に感じてしまった為に、無謀な時に誰も乗り越えられないなんてことがあるものかとムキに想って、出発の時には悲壮なきもちのときがある…
根は伝統を重視して居て過去だから変えると言う気性はないほうだがやむをえない痛恨の感覚で新しいからと選ぶ事がある
とにかく短所はこんな感じだ
私の意見にも共通しているかもしれない
亡くなる人というのは本当に優しそうな顔を、する
とはいえゆっくりでいいよと本人が思っているかは当然かも知れないが本人しか知らない
愛というのは生活的なスパンで考えてよいものとおもわない部分があるのは他者には他者として許せてもめちゃめちゃ自己になら厳しい部分なのだ
趣味程度で芸術やスポーツはいいでしょを生きられないひとを沢山、知っている
余裕を得た後にとは思わないのが正直なところだろうか
特にそれを想うのはほしいものを失いがちな人という存在を考えたからだ
おそらくは
人間関係を追うとそうは成りづらく、フォーカスした時に過密して空転しやすいのかなと小さい頃は思った
ごく単純になにかがあった訳ではなく
少しあるなら豊かな愛情で大人と大人は傷つけあってしまいそれをなぞるのだと無念に想えていたかも知れない
他人を基準にして模倣するリスクを感じていた
些細なことが気に成ってしまうのは私の当時の頭の中としては、夢中になることの有無から起因するのかなという判断があった
夢中になるべしという義務感もやや、あった
笑顔で居たかったし元気づけたかったし、ムードに呑みこまれない何かのこころがけだった
昔私は、そういうちいさい子だった
適度な老化は人を大人に、してくれる
サンキューな

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。