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思い出ファーストにたとえると心理学の無意識とは何か

平野啓一郎もまぁたまに理解出来るふしはある。彼は本当に潜在意識とかなく、正々堂々しているのかも、知れないし。
頭はなんかいいよねとは最近も思う。
わけられない個というのは、まあ実在はするとおもうよ。捉え方はたくさんきりかえて良い。
第一世代の日本のユング輸入を頑張った女性の努力は認めたい気持ちは、ある。
分人は便利なのは分かる。理解したよ。
つまり因数分解とか、さっきの話戻るとある訳やんな。社会に「それ」をすると、個人には逢着するよね。
そこからはわけられないよね。
絆を重視する人にそれを言いはなつのは私も不味さは理解する。
過去というのは人間の愛着からかなりかなり複雑に拗れる。健康体というのは理由に成らない。それは共依存的な、愛着から、かなり整然とした本来をうしなう。
そういう時に個別に戻せという人も存在はしたい。
すなわち手をとりあった記憶をふたりの分人は持つ「から」間や、接点にあるそれを、切り離すのはなあという意見は、快諾というか、もちろん、りかい、したい。
個人を認めない事による問題はとっても有った、ため、正反対の立場は存在した。
善意も多かったとおもう。
無意識というのも、ない様な気は、しても、意識のない間から赤ん坊は生きて居るから、さて条件反射はあって、それオンリーって事はないやんか。
思考とほかに、捉えてはいるよね。
まーあるのはあるのさ。
きりくちは面白いよ。顕在意識をやりきれないから、それを先にやりましょうねとかそれはわるくないよ。
居るよね。平野さんと生き方合わなそうな知って居ませんみたいな答弁のひと。
まあそれには、意識くらいはありますか、こう成るよね??
本題にはいつ入ろう。
成立している歴史はとても美しい。
伝統の礎に、なっていく。
経験から整合性を構成し、理性も、可塑性や悟性から、発達する。
そういうふうに、構造主義的な、文化の本質を沢山ためた場合に、人類という、規模の場合も、通底する心理的「共通部分」を、国境という分断というまあ物とは、関連ナシに、人の心の古層みたいな物ある。
そこには樹木を愛するひと普遍の気持ちとか有って、人道性とか、教えられるまえに知ってたりする。わたしはちなみにここはカントに近い。
まあこんな風に乃木坂を聞いて見るといいのかわるいのか笑笑それは考えて下さい。カントアンチ、明恵アンチは、ウケかける。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。