極意をつかめる本
うまいだけの本というのは何か疲れてくる事がある。
根性が好きな人も根性が好きなのは良いのだがそれだけなのがまずいのだ。
ひとりの人に伝わればその人が自分より伝える行為にひいでてる可能性はあると言える。
ミーハーだとそこがいけない。
みんなが認めるような強さになるまえから将棋さしには個性がある。
強さで担保されてから評価されると現金な感じや即物的な感じや、てのひらかえされちゃった雰囲気を感じる人も居る(人によっては)ー
そういう本は避けて大丈夫だ。
村岡花子が訳したからすごかったけど作者はそんなでもないのかも、そういう時は無理に無理に尊敬する必要は無い。
いろいろみんな難しさを抱えている。同じ苦労を味わうことなかった人が高くのぼりつめても響きませんって事も存在する。
新井恵理那さんやTWICEのミナはマイペースだけど軌道にのっている。
ひとと違う心臓もってるんだし。ほぼ同じだけど違うことはものすごくちがう。
変すぎて違いの範囲にとどまらない時はだれしも存在するゆえ、いちいち否定をしないことだ。
同じぢゃなくても人と動物が愛しあったりはするんだし。
即座に下ネタにすりかえる才能とかは一生わからないかも知れない、、いわば闇だ。
ではあげる。
(以下題名)
富士
千年の愉楽
浮雲
おごそかな渇き
羊と鋼の森ひとから、もらったけど良かった。
ちょっと悩ましい本ではある。読む時を考えた方がいい。
遠藤周作が苦手だとか、それに中村光夫が苦手だとか、この作家は不思議が理解をこえていて、あゆみよる質のものではない、という(みなさんの)自分の感覚は、尊重する事こころがけたら良い。
人は情熱にみあう現実をみつけられなかったり、する。
それを趣味にぶつけましょう。
デスクワークで更に本は「ちょっと」という人はローイングという運動をすると呼吸がしやすい感じに姿勢は改善する。けっこういいと思うよ。
ブラジルの本が自分だけ好き、みたいな逆パターンも自分で尊重は、してください。
地域の本関係のところで本をリサイクルしてるところも、ある可能性ないですか。
選ぶっていうのはそういう風に、しても良いんだよ。
選べない時の選択肢だね。
漱石さんは明暗のすごさがそういう場合には言える。森鷗外や志賀直哉は目線を下げても民衆とは違う境地に居たのだろう。安部公房さんもなんか不思議な人だ。
不思議ちゃんのままで居させてほしかったとみなさんは(時に)思う事が、あるかも知れないけれど本当にそうだったら意外とこわい話だよ。
普通に生きられていて喜べるところあるじゃん。
相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。