2024 5/31 ふぁんふぁんちかどー


どうしたというのだ、ミニストップよ。そんなに柱へ身を寄せて、耳にそっと貝殻を当てるような素振りで。心細いというのかね、故郷を思っているのかね。
しかしミニストップよ、泣くんじゃない。この街に24時間営業の根を張ると、男が一度決めたのだろう。ならばミニストップよ、君はそれを貫き通すのだ。
親を捨て、友を捨て、愛しい人を捨ててでも。故郷に錦を飾るまで、君は泣いてはならんのだ。
しかし、さっきから10分くらい探しているが君の本体が見当たらない。ミニストップよ、店はどこにあるのだ。
Xフライドポテトは、どこにあるのだ。


日記です。カレーを煮込みました。冷蔵庫の中身を処理するためにしょうがなく煮込んだカレーと、カレーを煮込むぞと意気込んでしゃっちょこばったカレーとでは色味が異なる。前者の方が全体的に赤い。なぜだろう、手なりで作られたから怒っているのか。それとも冷蔵庫の奥に放置してしまったトマトを毎回のように入れているからか。
今日作っているのは後者のしゃっちょこカレーです。どうしてもズッキーニの入ったカレーが食べたかったのだ。

くつくつとカレーを煮込みながら、今日は知らない地下道を歩いたなあと考えていました。知らない地下道は良い。壁の装飾や電灯の感じなど色んなものに目が移って無駄にキョロキョロしてしまう。
地下だとどっちに進むとどっちに出るなどの目算が立てづらく、ある程度自分の勘に従って歩かなければならないのも良い。海から川に帰ってるときの鮭ってこんな気分なんだろうか。確証は持てないけどまあこっちでしょうという勘にのみ従ってズンズン進んでいく感覚。新鮮です。

知らない地下道を歩いているとき、世界が自分の影響で拡張しているような錯覚をする。たとえば、あの曲がり角の先は自分が観測するまでは真っ暗闇なのだ、自分の動きに従ってこれから道が生成されるのだという錯覚。
全能感によるものというよりは、地下というものへの信頼の無さからくる錯覚だと思う。普段、地上の道を歩いているときもたまに、この道路の下はまったくの空洞であるとか、次の一歩を出した瞬間そこに大きな穴が空いて何百メートルも落下するといったような想像をする。

地下ってなんだ。ほんとに地殻やマントルなんてものが存在してるのか。予算が足りなくて中は空っぽなんてこともあるんじゃないのか。
以前知り合いと歩道橋の上を歩いているとき、その知り合いは「今この瞬間にも橋がブロック状に崩れていくと思いながら歩いている」と言っていた。同じ心の動きだ。世界に対する信頼の無さ。自分の妄想に対して自信を持っているとも言えるかもしれない。

大丈夫か、こんな変な不安を抱えたまま生きていて。まあ地下空洞説くらいならいいか。月刊ムーやなんかが受け皿になってくれるさ。しかし、いつかはこれが将来への不安に変わったりするんだろうな。怖いぜ。そっちの方が不安だ。不安が膨らむことへの不安。うーむ、入り組んでいる。くつくつとカレーが煮えている。うーむ。

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