2024 6/5 操、もっとクネクネしろ。

日記です。今日晴れすぎ。雲が一つもないくらいの青空だ。歩いているだけでセロトニンやらビタミンDやらが身体の中でどしどし作られているのを感じる。どくタイプのポケモンも日光を浴びてどくを生成したりするのかな。でもドクケイルが日向にいるイメージはないから仕組みが違うのかもしれない。

晴れの日といえば自殺だ。物騒な話だけど。薄曇りの日に死んでもパッとしない。カラッと晴れたこういう気持ちのいい日に死んでこそ、セロトニン的幸福に抗う人間の意地を示せるというものだ。個人的には、90歳を超えるくらいまでは絶対に死にたくないが、どうしても死ねと言われるなら晴れた日がいい。
藤村操もこういう日に滝へ飛んだのだろうか。「悠々たるかな天壤、遼々たるかな古今……」という言葉はなんとなく広い青空を思わせる。

しかし、自殺は嫌いだ。悲しくなるから。特に現代人の自殺は、なかば人権意識や宗教への疑問を持ってしまったせいですごく鬱々としている。現代人の死に比べれば侍の割腹なんてのはお祭りみたいに愉快なもんだ。武士道や大義といった架空の価値を信じて、それに酔っ払ったまま死ねるのだから。
幸運なことに自分の周囲で自死を決断した人はまだいないが、知らない駅で起きた人身事故のニュースを聞くだけでもやっぱり悲しくなる。自殺は嫌いだ。

そういうニュースが出たときによく聞く「他人に迷惑をかけずに死ね」という意見は、つくづく生きてるだけで他人に迷惑をかけているという自覚がない人の言葉だなと思う。中高生くらいの子供が言うならまだしも、大人が言う言葉じゃない。

サラリーマンだろうが不良少女だろうが王族だろうが、人間は生きているだけでよそへ迷惑をかけ続ける。それを受け入れて、「だからこそ、みんなで助けあって生きていこうよ」と言えるならば、あなたは心優しい大人になれる。
あるいはそこで、「それがどうした。そもそも私たちは“生まれさせられた”のだ。人生を始めることすら自分の意志では決められなかったのだから、多少ズルをしたり楽をしたり他人に迷惑をかけたりしたってバチは当たらない」と言えるならば、あなたは立派な屁理屈くんになれる。
こと現代を生き抜くためには、そういう屁理屈くんになっていくことが重要だ。

東に論争あらばそれを遠巻きにニヤニヤと眺め、西に流行りものあらば頑としてそれを受けつけぬ。天と地の狭間において、ホレーショの哲学をひろゆきのAAで茶化すがごとく。つまりはあの時代に2ちゃんねるがあれば藤村操は死ななかった。
彼がどういう性格だったか知ることは出来ないが、死に際にあんなポエムを残すくらいだ。多少はクネクネモジモジしていたんだろう。内向的なのは屁理屈くんになるにあたって大事な素養だ。

まっとうな人間ほどすぐ摩耗する。時代の空気そのものが、礫のまじった砂嵐のように人間を傷つけるからだ。しかし屁理屈くんであれば飛んできた礫も避けられる、クネクネしてるから。
一人で死のうと思うような人間は少々誠実に生きすぎている。全員殴りつけるべきだ。全員。あなたを傷つける人も、味方になろうとする人も、全員のことを殴りつけて、そうしてダッシュで逃げてから、好きな味のソーダを一気に飲み干す。華厳の滝に飛ぶかどうかはそのあとで考えればいい。

詭弁です。詭弁だけどそれでいいの。ヘラヘラ笑ってクネクネ揺れてればそれでいいの。みんなもどうしても悲しいときはひろゆきのAAを手打ちしてみよう。そのうちに夜が明けるかもしれない。



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