2024 6/11 抜か抜かの、ロックンロックンロール

日記です。そういえば昨日日記書いてないじゃん。書く気がなかったとかじゃないのに全然忘れてた。
前回の日記、「激突 アボリジニー料理!」では、料理への情熱を失いかけていた岡星さんがアボリジニの食文化に触れ、料理人としての意欲を取り戻すまでのお話を二倍速のずんだもんボイスでお送りいたしましたね。
海原雄山の見出すオーストラリア料理の真髄とは、そしてその料理に勝てる究極のメニューを山岡は作り出すことができるのか。この続きは美味しんぼ第37巻にてお確かめください。

切り抜き動画をよく見る。忙しくて好きな配信者を追えていないときなど、配信の見どころがぎゅっとまとまっている切り抜き動画の存在はありがたい。まっとうなチャンネルであれば動画で出た収益は本人にもいくようになっているため、罪悪感も少なく見ることができる。もちろん配信者が切り抜きを許可した場合に限るけど。

切り抜き動画に切り抜かれなかった瞬間ってどこにいくのだろう。
面白くしようとした配信の、面白くなりきらなかった時間、あるいは見どころを分かりやすくするために切り捨てられた余白の部分。そういう余り物の瞬間が溜まっていく場所があったりしないのだろうか。
「コンテンツ」の意味が「情報の中身」である以上、ピックアップに値しないとされた彼らは情報の落ちこぼれだ。そんな彼らが寄せ集められた場所、コンテンツ未満の掃き溜めがあったら面白いかもしれない。そこではゲームのキャラメイクで肌の彩度をいじってるあの時間や、「ちょっとお水飲むね」といって数秒無音になるあの時間などが無限に再生され続けているのだ。
入ってくる情報の全てに意味が無い。足を踏み入れればきっと一時間と持たず狂ってしまうだろう。

しかし、無駄なものを無駄とするのってかなり緊張する。魚を捌く動画とか見てても、皮からけっこう深い位置まで包丁で削ぎとってる人を見るとビビってしまう。食べても美味しくないからそこまで削いでるんだろうけど、見ているぶんには美味しそうなので、そこまで捨てちゃうの!?とハラハラする。
実際自分で料理をするときもそういう部分への期待が捨てきれずにできるだけそのまま使おうとし、結果食味がいまいちになることが多々ある。きっと動画を切り抜くセンスも無いんだろうな。

このお便り読んでるシーンどっから切り抜こうかなぁ……「えー続いて」の一言はいるでしょ?じゃあそこから……あ、いや、その前の水飲んでるシーンも半目でちょっと上向いてる感じが可愛いんだよなぁ。ただ「お水飲めてえらい」のコメントに反応する部分までのせると……あのちょっとキモい文化を推奨してるみたいな感じにならないだろうか……あと、おたより読み終わったあとのいまいち芯食ってないツッコミは残しておくべきか……自分でもピンと来なかったのかあの後はにかみ笑いしてたしな……まあその試行錯誤も含めての配信なんだけど……でもそれだったら本編見ろよって話じゃ……うーん、あー、うーん…………。

こうなる。じゃあ絶対無理じゃん。いっぺん切れ端の掃き溜めに入って無駄な情報の濁流に飲まれる修行をしてこないとだめかもね。


今日の日記はここまで。
それではみなさん、次回は美味しんぼ38巻、「ラーメン戦争」でお会いしましょう。

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