2024 6/17 おしっこよ、どうか軽やかに。

日記です。
頻尿です、僕は。
昔からおしっこのことを“やり得”だと思って少しでも膀胱に尿が溜まっていたらすぐトイレに行っていたために、大人になっても尿意を感じやすい体になってしまった。実家のトイレに漫画が置いてあって、おしっこをしたくないときでも入り浸ってたのも一因かもしれない。親の仕事場によく遊びに行っていた子供がいずれその後を継ぐように、私もトイレという空間に親しみを感じながら育ってきた。

単純に水を飲みすぎているせいでもある。お店で食事をしているときなど、無意味に水をおかわりしてしまう。本当に無意味に。そこまで喉が渇いてるわけでもないのにコップのギリギリまで水を注いでゴクゴク飲んでいる。
水の味が好きなのだ。味のなさが嫌味っぽくない。そのわりに水道水とミネラルウォーターの違いは分からない。そういう味の好みと、目の前に飲み物があるとなんとなく手を伸ばしたくなってしまう性格が相まって、ついつい水を飲みすぎてしまっている。

水分を大量に摂っているので、私のおしっこの色はかなり薄い。もちろん寝起きは普通の人と同じように黄色いのが出る。そういえば、寝てる間にトイレに行きたくなることはほとんどないな。どうしてだろう。起きてる間に頻繁に行くぶんそこで釣り合いを取っているのだろうか。おしっこコントロール。カードゲームのデッキ名みたいだ。「ションベズ沼袋CSベスト4  おしっこコントロール」。 この記事についたコメント→「利尿アグロ対策ができてない。やりなおし。」


最近のインターネットはちょっとおしっこの話で盛り上がりすぎている。なんなんだ。私を含めて全員オモコロが好きすぎるんじゃないか?
それで言うと最近Twitterで見かけた「男子校的なノリは見続けたいけどマスキュリニティの気持ち悪さは受け取りたくないという需要が合わさって、男性グループが発信するコンテンツで許される下ネタがうんちしっこ的なものしかなくなっているんじゃないか」という考察はなるほどなと思った。(元ツイートが見つからなくて記憶で書いてるので、全然違うことを言っちゃってる可能性がある。申し訳ない)

もちろん、先に名前をあげたオモコロなどはそういう小学生的な下ネタを彼ら自身が面白いと思って発信してくれているわけだが、それを受け取る私の側で「これは許していいユーモアだ」というような選別を行ってしまっているんじゃないかというのは、可能性として危惧したい。その非対称性はなんかキモい。カスな発信に「カス」と言っていい権利が視聴者あるのは前提のうえで、でもそれは他人の内面を裁いていいかどうかとはまた違う話な気がする。

少なくとも今のところは、そういう許す許さないという話と関係なくおしっこを楽しめていると信じたい。
おしっこよ、どうか軽やかに。
良いおしっこをしているとき、脳からはセロトニンが出るらしい。あなたは私の幸福の使者。何者にも縛られず、どうか自由な色でいて。

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