2021年の時の誕生日の総括

誕生日になった。I am living my life now.


一年を総括したので書きます。かなり長いです。

この一年間は昔と比較するとがんばった年であり、たくさん行動した方かもしれない。


もっとも普通の人と比較すると知れているのだが。

けど躁うつ病のせいで度々気分が落ち込み、それは様々な行動の妨げとなり悩まされた。


それでも英検1級とれたのは今より1年以上前との自分と比べると、考えられないほどの大きな進歩でありいろんな人がほめてくれた。

写真やカメラの勉強もがんばった。座学の知識だけならプロの端くれに肩を並べるほどかもしれない。少々がんばりすぎた。


ただし、ここ最近2,3年間くらいの自分の一番の目標は、躁うつ病を患っている自分の心と体をすこしでも上手に乗りこなすことであり、肝心のこっちの課題の方がさっぱりダメであった。


例えば2月下旬から引っ越しを始めたが、その作業に5,6週間もかかり、それにしんどくなってしまいそれ以外の活動がわずかしかできなかった。


英検1級とれたことは皆ほめてくれる。けれど実際には反省点だらけなのだ。鬱モードで無駄に過ごした時間が多すぎた。


英語の勉強に本格的に取り組み始めたのは去年の6月頃。それ以外のことは何もしてなかった。なので3~6か月程度でこれくらいの目標はクリアしたかった。なのに一年以上もかかった。


何より一番の反省は「英語の勉強が大変だから」を理由に健康管理をとことん疎かにし、一期一会の人との交流の機会もたくさん逃してきた。


だから本当に自分を変えないといけない。変われないと人生が残念になる。


問題の根幹は何か。それは明白。躁うつ病である。ただ最近数年間の自分にとってネックになっているのは、うつ状態だ。気持ちのエネルギーが周期的に衰弱する。


生活がとことん崩壊する。夜中になんとなくネットをぼーっと見て時間を過ごすような、現実逃避がとまらず、寝て起きてからも起きる気力がゼロで結局10時間以上寝てしまう。


なぜ普通の人はやる気を出して社会生活を営むことが出来るのに、僕にはこんなにやる気が出ないのか。

この点を最近数か月間考えてきた。


僕が躁うつ病になった理由を考えた。遺伝という説も可能性がゼロではないが親族親戚に躁うつ病も精神病もいない。だから育ちの環境などの影響だと考えている。


僕の元々の名前は綿村修二であった。
7歳の時に両親が離婚した結果、母方の祖父祖母である藤井家の方に籍が戻された。綿村家の方から。その結果、藤井修二という名前になってしまった。


離婚の原因は母と母方の祖父と祖母が作った。僕の父親は母より10才くらい年上でありバツイチであり、母方の祖父祖母に差別されていつも足元を見られていた。


「家計を管理する」の建前で、父親の稼いだお金は常に、最初に母の手を通して、母方の祖父祖母に大量にピンハネされていた。


母親は自分自身の父親に性的な虐待を受けたらしく、人格が健全に育たなかった。物事の判断を一人で落ち着いてすることができず、その結果自分の母親の言いなりにしか生きることが出来なくなっていた。


そして母方の祖母が金の亡者であり、母はうまく利用されたようだ。


父の稼いだお金は母方の祖父祖母に流れていった。けど父親は全ての理不尽に耐えていた。そうでないと子供を守ることができないからだと思う。


ところがある日、父親の姉が大病にかかり手術が必要になった。父親は「治療に必要な分だけでいいからお金を返してくれ」と言ったらしい。


ところが母親そして母方の祖父祖母は拒否をして、父親に対して「天罰が下ったのだ」と言ったらしい。父親はバツイチだったこともあり、ろくな人間ではない、とか言いそして、だから罰が当たった、と。


このことが父親を深く傷つけたし、それだけでなく父の方の親戚の逆鱗に触れたらしい。そして離婚がさけられなくなったらしい。


もっともこの離婚は、母方の祖父祖母にはとても大きなメリットがあった。


母方の祖父祖母は男の子を産むことができなかった。

つまり藤井家に跡継ぎがいなかった。


一方、僕の母親は長男と弟を産んだ。その弟というのが僕なのだが。

離婚によってこの長男が綿村家の籍から藤井家の籍の方に戻ってきたら、存在しなかったはずの跡継ぎが存在するようになる。


だから母方の祖父祖母の方から離婚をけしかけていたんだと思う。もっと前から。


僕は7歳の時の両親の離婚によって強制的に綿村家から藤井家に移された。僕の兄は、一家の長男として大事に大事にされていた。


けど僕にとっては、藤井家での育ちの環境は、家庭内暴力と虐待と家庭内不和の毎日でひたすら最悪だった。


母にとっても最悪だったようだ。

母は、性的虐待された自分の父親に大して言葉では表せないほどのトラウマがある。
自分の父を見かけたり声が聞こえたりする程度で大声でヒステリーをあげて怯える。


母方の祖父祖母は、自分の孫の長男が自分の家に来るのを望んでいた。

その長男は藤井家の跡継ぎになるからだ。


祖父祖母は一方で、母と僕が家に来るのを心の底から嫌がっていた。


まず僕が藤井家に来れば、僕が社会に出るまでの養育費の数千万円を出費しないといけないことになる。
さらに母は常にヒステリーをあげる。

だから僕と母が家にくることで祖父祖母の残りの人生の質は大きく落ちる。
何か趣味を始めるといった自由もなくなるだろうし、余分な僕の養育費のせいで贅沢もできなくなる。


そんなわけだから、僕の家での虐待と暴力は常軌を逸していた。
虐待と暴力は僕と母が受けた。
母は毎晩泣いていたのを覚えている。


離婚した父親はこの状況を察していたのかもしれない。
だから離婚した母と僕の身を心配して、何度か連絡をとろうとしていたようだ。

けれど連絡をとるのを祖父と祖母が許さなかった。「なぜ、誰の手によって離婚にいたったのか」の真相を、僕と兄にばれることを怖れていたんだと思う。


僕からすれば、自分の家という世界が地獄のようになり、僕は性格も人格もすさんだ。
小学校では勉強のできない子を傷つけるようなことをした。そんなんだから学校でもいじめを受けるようになった。


小さい子供の頃は、全てが嫌な世界だった。唯一の救いはテストで100点をとると先生が答案返却の時にほめてくれることくらい。


世界は人で構成されるとするならば、世界は僕にとって最悪に嫌なものだった。

それでも死にたい、とは思わなかった。そうではなく、他の家庭で生まれたかった、とよく思ってた。


現実逃避をするかのような遊びをする時は良かった。ひたすら好きな漫画を読む時とか。
そういう時は楽しいし苦しくない。けど現実を直視して生きる時は、ただただ、世界は嫌だった。


他の家の子供が明るく楽しそうにしてるのは、本当に理解不能だった。なぜ楽しいのか。


でもそういう子たちは学校でいじめを受けることなく友達もいて、学級で何か良いことすれば先生にほめられ、家に帰ったら温かく迎えられる。
まさに生きていて楽しいのだろう。世界が快適なんだろう。


少なくともその頃の僕には、生きる事はすなわち不幸な事である、という刷り込みが焼き付けられていた。
明るく生きる、とか不可能であり、生きることにやる気が出なかった。


母方の祖父は母親にとにかく暴力をふるって発散していた。
そして兄がそれをいつも見て、今度は兄が真似をして自分の母に暴行をするようになった。


母は僕の兄に注意をしたりしつけすることが出来ない。
もしそれをして兄の機嫌を悪くすると、祖父に徹底的にリンチされるからだ。


そうしたら母親が僕に精神的にはげしく依存するようになった。

母親は自分の苦しみを発散しようとするときに、とんでもなく異様な大声をあげる。


そして僕がそれを聞いてあげないといけない。
僕が聞くまでいくらでも続ける。


さらに本当に異様で滅茶苦茶な顔の表情をしたりもする。
見るに堪えなくて見たくないんだけど見てあげないといけない。
じゃないとヒステリーを無限に続けられる。


祖父祖母による暴力や虐待だけでなく、これも僕の心的外傷の原因になったと思う。


今の僕は、もうこんな苦しみを思い出すことを体が嫌がっているんだと思う。
そしてあまりにも精神的に消耗しすぎてしまった。楽になりたい、とひたすら感じている。


もうやる気なんて出ない。でも生きていくにはやる気を出さないと生きれない。

だからわかりやすいような「生きる希望」にしがみついてしまう。突拍子もない目標に執着してしまう。


子供の頃は「空手の大会で優勝したい」とか「京大に合格したい」とかだった。

これだと、生きる希望を感じやすい。


普段は生きていくのがとにかく苦しくて全てが嫌になっていた。けど「生きる希望」を体が感じてる時だけ気力がいくらか出るのだ。


英検1級も取得した後となっては山を登って峠を越した、みたいな感覚になったが、目標設定した当初はハードルが高かった。
高すぎたかもしれない。けどこれくらいの輝かしさのある目標を設定でもしないと気力が出ない。


わかりやすいような明白な「生きる希望」が見えてないと、生きる気力が何にもないのだ。
そんな短絡的で極端な人格だから、いつも無理がある事をやろうとする。


無理をしようとして躁になっていて、無理がたたって鬱になっているのだろうか。まあ大体これは間違ってないだろう。


ちょっと話かわるけど、幼少時代にいじめや家庭不和など不幸な境遇を受けて生きてきてその結果、どこか病んでしまった人に対して

「嫌な経験をしたのは過去のことなんだから、これから幸せになるよう生きていけばいい」

みたいなことを言う人は多い。


でもこれは、言うは易く行うは難し、てやつだ。

すでに消耗しすぎていてこれ以上の不幸は無理、という状態なのだ。そして生きていくには人との接点をどこかで持たないといけないが、人はどんな人間かわかったもんではないしこわい。
それに自分は不幸にしか生きれないのに、他人は幸せそうに生きていて、そのことがますます自分を苦しめて、死にたくなる。


こういう人たちの気持ちが痛いほどわかる。僕の場合は、死にたい、とは感じない。

けど、散々精神すり減った上で、幸せになれないのなら、生まれなければよかった、と良く思ってきた。


僕の場合は、他の人がうらやましい、他の家でうまれたかった、とよく思ってきた。

死にたい、ではなくこう感じてきたのは、離婚がなければ幸せになれただろう、という確信があるからだと思う。


ただし「過去は終わった。今を生きなければならない。」というのは真実だ。

そして僕は目標なしで生きていくことができない。


僕は試練に挑戦した回数はそれなりにある。だからわかる。

成功すること、そして強くなることを達成するには、積極的に成長するための努力の経験を積んでいくしかない。


ゴールが簡単なことであれば問題ないが、困難なことを克服しないといけないときには努力の継続が必要になる。


そんな時に自分を支えるものは自信なのだ。

自信は十分条件ではないが必要条件なのだ。


泡くった状態で単語帳を開いてページを見てても何も覚えることはできない。


自信とは言ってみれば、自分を認める事、あるいは自分を支えること、だろう。

僕はお金持ちを妬むことはあまりないが、家庭内不和のない平和な家庭の人はいつも妬まずにいれなかった。


家庭内不和はつらい。毎日悲鳴を聞かされたりして精神をボロボロにされながら、また別の何かの挑戦に向かって厳しい競争をするなんて、条件が不利すぎる。

あたたかく自分を支えてくれる人たちに囲まれている人と競争するのって、条件が不公平で不利すぎる。


なので、不完全燃焼なまま目標達成に失敗する度に、歯がゆさと無念が残ってきた。

僕が京大に合格できたのは予備校で勉強を教わったからではない。
予備校の、取り壊し寸前のオンボロ寮に一年間住むことができ、地獄のような家から離れることが出来たからだ。


過去はともかく、今の僕は自信が必要とされるべき時に鬱になっている。
今はそれがダメなんだろう。


僕は英検1級をとれたおかげで、今ケーススタディが出来る。なので振り返ってみよう。

気力があって健康な時は、希望が見えてキラキラしてた。そういうときは問題なかった。


しかし英検1級というハードルは高くしんどかった。
努力してると消耗する。

消耗して精神力が弱ったら、あたかも「生きる希望を失った」かのような気分に陥ってた。
そしてこのネガティブな気分がとことん重い。体が言うことを聞かなくなる。


でもこの現実逃避モードも十日間もすれば体が回復して忘れてくる。
そしてやる気を思い出して回復してくる。そして勉強を再開してた。
ひたすらこの繰り返し。それを一年かけたら合格できた。


時間的な意味での効率が悪かった。

鬱になるのが無くなればいいのにな。
時間は限られている。もっといろんな事を知り、いろんな事を身に着けたい。幸せを逃したくない。


成功する、ということは途中の地味でしんどいプロセスを経る、ということは避けられない。
成功する、ということは博打の勝負を一発やって終わり、じゃないのだ。

つらくてしんどい作業は続く。それをこなすからこそ成功できるのだ。

ところがしんどくなる度に鬱になるのは、とても非効率的だ。
それに悲しい。時間は限られており、幸せの機会を逃したくない。だからこれは解決しなければ。

過去の何かが僕を鬱な状態にしている。しんどいときに。


一つには、躁状態からの反動だろう。神経が疲労しきったのだ。少々過剰に。

二つには、もともとあまりやる気がないのだろう。


よくわからんけどとにかくつらいのだ。

「よーし!英検1級に合格するぞー!」と言ってたときはやる気があったけど、地道な努力の反復作業をしていくうちに、ぼくのもともとのやる気のなさが露呈していった。


世界はおもしろくないししんどい。いま友達と通話中なう、というときは楽しい。けど、それ以外のところでの地味な場面では、もう生きるのが苦しい。


以上、自分を振り返ってみた。自分の鬱状態って何なのか。何から起因しているのか。それらを考えてみた。

一番やっかいな問題は、もともとやる気がない、という所だ。この点をどうするべきなのか。


今に限らず随分前から「気分がしばしば沈む自分をどう乗りこなすべきか」みたいなことは何度も考えてきた。

けどいつも「計画を具体的に立てればいい」とか「このようなマインドを持てばいい」とか考えてきた。しかし多分それは問題を解決するにはズレている。


なぜ気分が沈むのか。なぜやる気がないのか。
それは精神状態が悪いからだ。
考え方や行動ルーチンが悪いとかではなく、そもそも精神状態が落ち込んでいるからなのだろう。

そして精神状態が鬱にならないようにはどうすればいいのか。
こればっかりは、どうすればいいのか非常に難しい。


何が正解かわからないが、せめて体は大事にしよう。心的外傷は十分に被った。もうこれ以上悪くすることはいけない。体をよくすることで精神状態を微弱でもマシにしよう。


こないだ精神科医に小さい頃のDVの話とかをしたら、意外にも心的外傷の診断を受ける方向に変わっていった。もっと早く医者に言えばよかった。

そして鬱になるトリガーをかわしていこう。思いつくのは孤独。なので孤独をまぎらわせる生き方をしよう。熊野寮で音楽活動をしようかと検討している。


そして人と会おう。話して心を交わそう。

吉田寮に住んでいた頃に一番後悔して辛かったことがある。
それは、吉田寮で暴走してしまって辛い目にあった、とかではない。


寮で辛い目にあって、気持ちがふさぎ込み視野が狭くなってしまっていた時期に、ガンで余命わずかな父親にあまり会う事なく、父親が死んでしまったことだ。


あきらかに僕よりも父親の方がつらかったようだ。
心労に心労が重なってガンになったみたいだ。
僕が吉田寮で気分が沈んでいるうちに、父親の別れの言葉を聞くこともなく死なれてしまった。


その時のことを思うと「一期一会の大切さ」は本当にかけがえのない。
これからは一期一会は大切にしていく。人と会うのを大事にしよう。

そして、生きていくのならうれしい思いをしたい。


世の中には夢が無くても幸せに生きられる人もいるようだけど、僕には逆立ちしても真似ができない。
「本当に生きててよかった」というような、感動するくらいうれしい思いが無いのなら、人生嘘だと思う。


僕は異常なのか。でもどうやら、盲目的にひたすら、自分の道の戦いをするしか生き方が見つからない人も世の中にはいるようだ。


僕はサイモン&ガーファンクルのThe Boxerという曲が一番好きで、最後の辺りの歌詞が特に好きだ。生のアメリカ英語だからわかりづらいけど。


In the clearing stands a boxer and a fighter by his trade

これは照明の明るいリングにボクサーとプロである対戦相手が立っている、という意味だ。


And he carries the reminders of every globe that laid him and cut him till he cried out

carries the reminders of globeと書いて、忘れられないようなパンチを送る、という意味。その次は、倒され泣き出すまでパンチを打たれる、という意味。


In his anger and shame, “I am leaving, I am leaving,” but the fighter still remains.

これは「もう逃げたい」と何度も言いつつもそのファイターは今も続けている、という意味。

歌詞のこの辺りが胸にしみるから僕はこの曲が一番好き。


廃人にならないためには、大きな目標や夢を捨てることができないような人たちは多分多い。そしてどうやら僕はその一人。


さて、次の僕の目標は、生きていけるよう商売が出来るようになることにした。そして、数年かけて躁うつ病を大幅に改善したい。毎日満足に動けるように。


話変わるけどジョン・ナッシュはすごいな。幻覚で数学できなくなっても、闘病してノーベル経済学賞をとった。この話を聞くと希望を感じる。


僕の人生の一番の目標は、まだわからない。
数年かけて躁うつ病がどれくらい治るかどうかで変わってくる。
ただ年明けから躁うつ病だけでなく、心的外傷の診療もしてもらうから、今までよりも回復のペースは良くなると思う。


20年後か30年後にノーベル賞をとれたら夢のようだなー、と思う。それを目指すとは言わないが。でも、何かすごいことを成し遂げたい。

けれどどうやら、夢を達成したいならなおのこと、夢と現実の区別をちゃんとやることが大事なようだ。


自分はすぐにやる気がなくなる、という現実に直視しないといけない。そして気分が度々沈む自分の症状に対する、上手な対策方法を、医者や専門家と一緒に相談して探していきます。


生きていて辛いのかうれしいのか、自分の心に霧がかかったみたいでわからなくなった。けど、時折救われる幸せで楽しい時はくる。誕生日は楽しい。

まずは誕生日とクリスマスを楽しみます。


僕がリスペクトしている京大の退官した先生に、試しにこないだ、英検1級うかった報告のメールをしてみたんですね。

そしたらびっくり。返事が帰ってきました。「思い出したいから顔写真送ってくれ」と言われて送りました。


そして「人生はこれから」と言われました。そうですね。人生はこれからですね。

メリークリスマス。読んでくれてありがとうございました。

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