「愛情格差」について思うこと
研究者が集まる交流会があって、そこに参加して話をしてみたら、何に関心を持ってるのかを聞かれた。
なので僕は「愛情格差」というものに関心を持っている、と答えた。
周りから贔屓され大事にされる人がいれば、差別されるとまでいかなくても全く大事にされない人もいて、その両者の格差によく関心を持ってる。
これには愛情格差という名前があり、やはりこの問題を考える学識者がいるということがわかった。
この格差で受ける影響は、モテるモテないかみたいな幸福度だけじゃない。
就活を見ればわかるように、チャンスの数に不平等が生まれる。
また、学業、スポーツ、趣味など様々な分野で、例えば親切なマンツーマン指導を受けられる人もいる。
一方で、様々な道の初心者で、全く何にも教えてもらえないというケースもある。
あと、ちょっと被るかもしれないが、cultural enrichmentというか、文化的経験や教養にも差が出る。
これはシンプルで、学識的なことを、先輩など周りの人から教えてくれる人と教えてもらえない人には顕著な差が出る。
結構これは残酷な話で、いわゆる知性というものに高低の差が出るのだ。
あとそれ以外にも、極端だが現実に起きた例として、大学での留学のポジションの取り合いで、いわゆるモテる人が選ばれた。
この場合、その人のみが異国での異文化を体験して見に付けられるわけであり、まさに文字通り、cultural enrichmentに大差がつけられた。
ということもあり愛情格差は性質の理不尽さはともかくとして、度合いの大きさも深刻だと思ってる。
昔はこういうのに怖さを感じていたが、最近は通り越して絶望に変わってきた。
そして研究者の交流会で、こんな感じの格差の問題を考えています、と言ったら「ルックスが良いか悪いかによって何が変わるかに関しては、どうしようもなく議論の余地が無い」と答えられた。
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