板橋の縁切り榎(東京板橋)
板橋の縁切り榎
板橋の縁切り榎(えんきりえのき)は、東京都板橋区板橋に所在する縁切りの伝説を持つ榎の木である。この榎はもともとは大六天神社のご神木で、旧中山道沿いに位置し、江戸時代より人々の信仰を集めてきた。
「新篇武藏風土記稿」には「世二男女ノ惡縁ヲ離絶セントスルモノコノ 樹に所テ驗アラスト云フコトナシ云々」とあり(樹木信仰の事例より)、 昔から特に良くない縁や悪い習慣と縁を断ち切りたいと願う者たちが参拝し、その効験を祈願してきたことで知られる。
縁切り榎の由縁
「十方庵遊歴雑記」(文化9年(1812)から文政12(1829)まで江戸を中心に、千葉から名古屋方面に至る各地の名所・旧跡・風俗・伝説・風景等を詳細に記した見聞記の自筆本)にその由縁が記されている。
「寛保年間、宮家のご息女である磯の宮(五の宮)が下向があり、この街道を通り城内に入ったが、いくほどもなくご逝去された。その後、寛永宝暦のころには波の宮(楽宮:さざのみや)がこの街道を通行し、間もなくしてご逝去されたことから、誰云うとなくこの木を憎みて縁切り榎の異名で呼んだ。」
皇女が将軍家へ降嫁の際には縁切榎を避けて通り、皇女和宮の降嫁の折には榎を根本から枝まで菰で包んで隠したとさえ言われ、非常に縁起の悪い樹木とされていた。
民間でも嫁入り行列がこの榎の傍を通ると縁が切れて、離縁に至るということで避けて通ったとされる。昔は榎と欅(ツキ:けやき)が双生していたのでエンツキと呼ばれ、縁が尽きるという語呂合わせの俗信があったとも言う。
この不吉な榎の木がいつしか悪い縁も断ち切ると言われるようになり、信仰の対象となる。
信仰の対象としての縁切り榎
縁を切るという話しがもとになって、男女の縁切りの呪いが生まれた。離縁を望む妻は縁が切れることを願って、密かに樹皮をお茶や酒に混ぜて夫に飲ませる。それを飲んだ者とは必ず男女の縁が切れると云われていた。
男女の縁だけではなく酒癖との縁を切る効果もあると信じられており、樹皮が入った酒を飲むことで大酒飲みも禁酒することができると言われていた。
近世では樹皮を飲ませる者は減って、信仰の対象となって榎の枯れ木の根元に絵馬を奉納したり、賽銭を供えて祈願するようになった。
縁切り榎には、江戸時代の庶民文化が反映されており、浮世絵や文学作品にもその存在が描かれることがある。榎の木自体は、現存するものは数代目とされているが、場所としての「縁切り榎」の信仰は現在も続いている。また、縁を切ると同時に良縁を結ぶ願掛けが行われることもあり、悪縁を断ち新たな幸せを求める人々にとって特別な場所となっている。
絵馬に祈願する内容
「ちなみに祈願内容は、近世後期においては男女の縁切りか酒との縁切りに限られていたが、今日では世相を反映して、大嫌いな夫婦やサークル仲間というのも見られ、病気や貧困、トラブル、不登校との絶縁などが加わって、多様な様相が見て取れる。
それに対応する形で絵馬の図柄も、榎を真中に男女が背中合わせに立つ形から、榎の切株に注連縄を張り巡らし、 「善縁をむすび悪縁をたつ」と朱書きされたものに変化している。(縁結び・縁切り習俗の現在・松崎憲三)」
奉納する絵馬も自動販売機で購入できるようになり、樹皮を煎じて飲ませていた時代から縁切りの祈願方法が随分進歩している。