イデアと感覚物における二重の関係

哲学通論一回アサインメント(修正前220426修正予定):0426a 学籍番号 名前 イデアと感覚物における二重の関係

Q.

マルティン「イデア論」(『形而上学の源流』より)をよんで,『パイドン』に見出される,イデアと感覚物との二重の関係とは同様なものかをまず説明する.(「倫理的・審美的な領域」と「論理的・数学的な領域」とを「二重」とは言えない.)この関係のうち一方の関係のあり方については現代人ですら認めざるを得ないものです(この意味においては,イデアの不可欠性を簡単には否定できないと思います)が,プラトンはそのあり方をもう一方の関係にまで認めようとしました.このことについて,あなた自身はどう思うかもかいてください(合わせて800字,イデアという用語の使用は禁止)

A.


イデアと感覚物との二重の関係とは,美の認識や存在における「美のイデアは,美なるもののうちに全体としてある」こと,と「美なるものは,美のイデアを分有する」ことの関係である.

まず前提として語られている.イデアと感覚物について説明する.
本書の中でイデアは常に同じあり方を保って,あくまでも一様に存在し,そこには決していかなる変化も生じないであろうものとある.また感覚によって知覚されないもので、純粋な思索のなかでだけ捉えられるものであるとしている.具体的に「美」が挙げれれている.逆に感覚物は不変ではなく,見れるや触れるなどで知覚されるものであるとしている.具体的に「人間や馬や衣服の美」が挙げられている.

二重の関係の一つ目は,感覚物(衣服)の中に知覚されない何か(イデア,例えば美(のイデア))があるから,知覚されない何かを感覚物から感じることができるとするものである.
また二つ目は,知覚されない何か(美)を分けて感覚物(衣服,人間,馬)に所有させているから,知覚されない何かを感覚物から感じることができるとするものである.

これについてプラトンは両方を認めようとしていたが,知覚されない何か(イデア)はある程度共通の認識があるとはいえ,感じ方が人それぞれであることも確かである.例えば「暑さ」ということに関して,人間であれば誰でも気温50℃を暑いと感じるだろうが,気温25℃に関しては地域だけでなく同じ人間でも季節によって感じ方は変わるだろう.こういったことからイデアと感覚物の両者は,イデアを分けて感覚物に所有させている関係と考えられる.
もしそうでない場合,ある人にとってAであると認識される感覚物はAの概念(Aのイデアとされるもの)を持つことになるが,また違う人にとってAであると認識されない場合,その感覚物はAの概念を持たないことになり矛盾する.


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