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菊地栄治、池田賢市他『能力2040 AI時代に人間する』

 2016年の「やまゆり園事件」、学校の始業式の日に子どもの自殺が最多となる「九月一日問題」を契機として集まった能力論研究委員会の面々によるアンソロジー。

 人種、性別などによる差別は問題視されるが、なぜか「能力(学力)」による差別は日々当たり前に行われ疑問にも思われない、むしろ学校という場では奨励さえされている(能力別クラス、特別支援学級など)のはなぜなのか?背景にある我々が常識としているものが実は正当性を持たないただの偏見ではないのか? できるものを賞賛し、できないことをさげすむまなざしが、障がい者へ向けられるとき、それは「上からの」ものにならざるを得ない。 優生思想にもつながるものでもあるだろう。 

 加えて、能力による峻別「できるーできない」「はやいーおそい」は、効率やら合理性やら経済性やらとも共鳴し、(健常者とされる)自分たち自身をも生きにくくさせているのではないか? 

 それぞれの担当ページ数が少なく、内容も時に難解であったり、要約的に過ぎたりで、なかなかすべてを咀嚼するには難があるが、あとは、それぞれの著者、参考文献を当たれということだろう。

 願わくば、このような議論が一部の知識人だけの「思考ゲーム」ではなく、多くの人が共有できる「一般書」になることを願わずにはいられません。 僕も引き続き、関連書籍を読み進めようと思います。

 この本を教わったのは、志水宏吉先生の『学力格差を克服する』という新書でした。おそらく志水先生とは全く相容れない内容の本・・・。お人柄ですね。 

 

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