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テネリフェの悲劇: 不幸な偶然が積み重なったジャンボ機衝突事故

航空事故史を語る上で避けて通れないのが、テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故である。この事故では、滑走路上で二機のジャンボ機が衝突し、死者583名を出すという大惨事となった。
2024年現在もこの死者数は航空機事故の中で最多である。
最終的な事故原因は管制官の指示を取り違え、強引に離陸しようとしたオランダ機側のパイロットエラーとなっているが、それに至るまでの不幸な偶然の連鎖が非常に印象的な事故だった。
そこで今回はテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故に至る経緯について簡単にまとめてみようと思う。

Photo by にっしーな様

事故の概要

1977年3月27日(日)、スペインのテネリフェ空港の滑走路上にて、KLMオランダ航空4805便(以下オランダ機)とパンアメリカン航空1736便(以下パンナム機)が衝突し、爆発炎上。オランダ航空機の乗客乗員248名全員と、パンナム航空機の乗客乗員396名中335名が死亡した。
おもな事故原因は管制官の指示を取り違え離陸開始し、強行したオランダ航空機機長のパイロットエラーとされているが、そこに至るまでの不運な偶然の連鎖が印象的な事故である。
今回はその偶然の連鎖についてみてきいたい。

不幸な偶然の連鎖

その1  グラン・カナリア空港でテロ騒ぎが発生

当日、オランダ機、パンナム機両機共にスペインのグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港に向けて飛んでいた。
しかし、グラン・カナリア空港でテロ騒ぎが起き、空港は一時閉鎖。グラン・カナリア空港を目指していた航空機は付近のテネリフェ空港へダイバートするよう指示を受けた。

その2  パンナム機の旋回待機要求が却下される

その際、パンナム機は十分な燃料を積んでいたため、上空での旋回待機を要求するが、航空管制よりテネリフェ空港へのダイバートを指示される。
これにより、パンナム機、オランダ機両機がテネリフェ空港に向かうことになる。

その3  オランダ機がテネリフェ空港で給油

オランダ機はグラン・カナリア空港到着後、アムステルダムへのフライト予定が入っており、スケジュールが押していた。
そのため、時間節約のためにテネリフェ空港での給油を決断したと思われる。
テロ予告は虚偽だったと判明し、給油開始五分後にグラン・カナリア空港が再開したが、オランダ機が給油を続けたため、離陸準備が整っていたパンナム機は離陸できなかった。(空港は狭く混雑していたため、オランダ機が障害となり滑走路まで行けなかった)

その4  濃霧により管制塔から両機を視認できず

オランダ機の給油終了後、両機は同じ滑走路の両端に向かいタキシングを始めた。だが、当日は濃霧により管制塔から両機は視認できなかった。

その5  テネリフェ空港に地上レーダー装置がなかった

また、テネリフェ空港は古い空港だったため、地上の航空機監視用のレーダー装置がなかった

その6  パンナム機が滑走路出口を間違え、平行誘導路に出るのが遅くなる

このように管制塔から二機の捕捉ができない状態で、パンナム機機長が管制官からの指示「C3出口から出ろ」をC4出口と勘違いし、滑走路上の移動を続ける。(C3出口は大型機には不向きな出口だった)

その7  オランダ機が「離陸待機」と「離陸許可」を取り違え、離陸開始

そんな中、管制官とやり取りをしたオランダ機が「離陸待機」を「離陸許可」と勘違いして離陸を開始する。

【ボイスレコーダーの記録】

オランダ機機長: The KLM four eight zero five is now ready for take-off and we are waiting for our ATC clearance.(KLM4805便は離陸準備完了。管制承認願います)

テネリフェ管制: eight seven zero five, you are cleared to the Papa beacon, climb to and maintain flight level nine zero, right turn after take-off, proceed with heading four zero until intercepting the three two five radial from Las Palmas VOR. (8705便(言い間違い)は、離陸後パパビーコンに向かって上昇し9,000フィートを維持、右旋回し、ラス・パルマスVORの325ラジアルに合流するまで方位40へ飛行して下さい)

↑※飛行計画の承認であり離陸許可ではないが、離陸(take off)という単語を使ったためオランダ機は離陸許可と勘違いしたと思われる

オランダ機機長: roger, sir, we are cleared to the Papa beacon flight level nine zero, right turn out zero four zero until intercepting the three two five. We are now at take-off. (了解です。パパビーコンに向かって上昇、9,000フィートを維持し、右旋回して325に合流するまで方位040で飛行。離陸します)

管制: OK.... Stand by for take-off, I will call you. (OKです。指示があるまで離陸待機願います)
※無線の混信でオランダ機では「OKです」以降の言葉が聞こえず離陸開始(17時6分15秒前後)

その8  パンナム機の警告が無線混信でオランダ機に届かず

管制とオランダ機のやり取りに危機感を感じたパンナム機機長が無線でまだ滑走路上にいると警告するも、混信によりオランダ機に届かず
管制側も濃霧と地上レーダーがない状況で、二機の接近を把握できなかった。

【ボイスレコーダー】

パンナム機: No... uh. And we're still taxiing down the runway, the clipper one seven three six. (駄目です。パンナム1736便はまだ滑走路を走行中です)
※こちらも混信によりオランダ機に伝わらず

管制: Ah, Papa Alpha one seven three six, report the runway clear. (1736便は滑走路を出たら報告して下さい)

パンナム機: OK, we'll report when (we are) clear. (了解です)

管制: Thank you. (お願いします)

その9  オランダ機機長が航空会社の権威だったことにより乗員との間に力関係があり、危機に気付いた機関士が強く警告できなかった

このようにオランダ機はパンナム機の無線が聞こえない状態だったが、管制の無線は聞こえていたため、航空機関士はパンナム機がまだ滑走路上にいることに気付き、機長に警告した。
だが、機長は返事をするものの、離陸を中断せず、エンジン出力を上げていった。
その結果、濃霧の向こうにパンナム機が見えた時には既に離陸決定速度(V-1: 何があっても離陸中止ができない速度) に達しており、回避できずに衝突した。

この航空機関士の最後の警告を機長が無視したことと、航空機関士が重ねて警告せず引き下がってしまったこと、副操縦士が黙ってしまったことにはコックピット内の力関係が影響しているといわれている。
当時、機長はKLM航空で最も権威あるパイロットかつパイロットトレーナーであり、ほとんどの機長・副操縦士はこの機長から操縦トレーニングを受けていた
同乗の副操縦士もおそらくはその一人であり、明確な力関係から機長の判断に疑問を呈すことができず、異変に気付いていたとしても警告できなかったものと思われる。
また、航空機関士が重ねて警告できなかったのも、この力関係によるものと考えられている。

【コックピットボイスレコーダー】

オランダ機機関士: Is hij er niet af dan? [Is he not clear, then?] (パンナム機がまだ滑走路にいるのでは?) (17時6分32秒)

オランダ機機長: Wat zeg je? [What do you say?] (なんだって?)

オランダ機機関士: Is hij er niet af, die Pan American? [Is he not clear that Pan American?] (パンナム機がまだ滑走路上にいるのではないですか?)

オランダ機機長: Jawel. [Oh yes. (emphatic)] (そうだな) (17時6分35秒)

オランダ機副操縦士: V-1.(離陸決定速度) (17時6分43秒)



衝突(17時6分49秒)

その10  オランダ機が給油していなければ衝突を回避できた可能性があった

オランダ機は衝突直前、目一杯機首上げを行って離陸し、パンナム機の上を飛び越えようとした。この時機首はパンナム機を飛び越えたが、ランディングギアと尾部が接触。その衝撃でエンジン三つが脱落し、残りのエンジンも破片を吸い込み損壊、失速して墜落、爆発炎上した
この時、もし給油で機体が重くなっていなければぎりぎりでパンナム機を飛び越えられたかもしれないといわれている。

その後の話 航空法の改正


この事故では、オランダ機機長が管制官の「take off」という言葉を聞いて飛行計画の承認と離陸許可を取り違え、離陸を開始したのがそもそもの発端だった。
そのため、事故を受けて、「離陸許可又は離陸許可の取り消し時以外、離陸(take off) を使うのは禁止」という規則が新たに追加された。
これにより、交信における安全性が向上することとなったのだった。

たった一人の生存者

この事故において、オランダ機側の生存者はゼロだった。しかし、直前で降りて難を逃れた乗客がいる。それが、テネリフェ島の恋人を訪問するためにフライトをキャンセルした女性だった。
彼女は当初、グラン・カナリア空港へ向かう予定だったが、テネリフェに住む恋人の家に泊まるために予定を変更し、飛行機を降りた。そして死のKLMオランダ航空4805便から逃れたのである。
彼女が、4805便のたった一人の生存者であった。

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