<MBTI>新世紀エヴァンゲリオンで学ぶ16タイプ性格
私の今まで見たアニメ作品でも最も好きな作品が新世紀エヴァンゲリオンだ。この作品の顕著な特徴は、SFロボットアニメでありながら、人間にテーマが当てられている点だ。今回はエヴァンゲリオンのキャラの16タイプ分類を通してこの作品を解説して行きたいと思う。
エヴァオタの人は是非コメントしてほしい。
碇シンジ:INFJ
主人公・碇シンジは典型的なINFJ型と言われる。「人に嫌われてまで得したくない」というシンジの自己犠牲的な価値観はINFJそのものだろう。独特の自己肯定感の低さと繊細な世界観はINFJそのものだ。
視聴者の目線ではシンジ=社会不適合の根暗、という印象を受けるだろう。ところがクラスでのシンジはというと、優等生そのものだ。周囲の同級生からも慕われるタイプである。トウジからのあだ名は「センセ」で、真面目で誠実な人柄を伺える。このギャップこそがINFJの最大の特徴だ。内面は薄暗く、無数の葛藤が渦巻いているが、それを同級生には見せることなく、むしろ人格者として慕われているのがINFJである。
シンジの葛藤の原因は家庭環境にあるため、必ずしも16タイプだけで考察・整理できるものではないが、INFJの場合は抱え込んでしまうケースが多いと思う。INFPであればもっと開けっ広げに人にアピールしているだろう。しばしば承認欲求が強いと思われがちだ。ところがシンジは意外に自身の葛藤を人に明かすことはないし、アスカと対話している時はむしろクールダウンさせる側だ。承認欲求を表に出すことを良しとしない辺りがINFJ的である。
なお、筆者はエヴァを見た時は中二病全盛期多感な時期だったため、シンジの考えていることが全く理解できなかった。エヴァに乗って使徒と戦い、世界の真実を解き明かすなんてなんて英雄的なんだと震えたものだ。これだけ活躍したらアスカのような美女にもモテモテだろう。そう考えていた。シンジの自己犠牲的な葛藤よりも名誉と勝利の追求を求めていた私はNF的な素養がゼロだったと思う。
なお、個人的にエヴァを実写化するには三浦春馬だろうと思っていたが、亡くなってしまった。ああいうつぶらな瞳と陰鬱な雰囲気を醸し出す人物はうってつけだ。シンジ同様に家庭環境に難があったらしいが。代役をやるなら神木隆之介だろうか。
綾波レイ:ISFJ
旧劇と新劇でもやや性格が異なるのだが、綾波レイはISFJだろう。本当の本当はINFJである可能性もあるが、あまりにも精神が未発達なので、N特有の内面世界が存在していない。一応ここではINFJ寄りのISFJとしておきたい。
綾波レイは言うまでもなく内向的だ。普段は非常に無口で、心を開いた碇ゲンドウに大してしかにこやかな対応をしない。一応考えていることはあるようだが、基本的に口に出すことはない。当初の綾波レイは無機質で淡々としており、ISTJのような雰囲気が強かった。
ただ、作中後半の綾波レイは段々と人間らしい側面が見えるようになる。綾波レイは感情がないのではなく、感情を知らないだけであり、旧劇では鈴原と絡んだりと、色々心の交流が生まれるようになった。そのピークが第23話の「涙」である。綾波レイは碇シンジを救うために零号機を自爆させ、自らの命を犠牲にした。
新劇ではより綾波レイの感情の発達が早い。ゼルエルとの戦いでは自ら自爆特攻を志している。あの時の雰囲気はT型のそれではないだろう。普段は科目だが、いざとなるとしっかりとみんなに貢献しようとする。そうした不言実行的なところがISFJの長所だ。
作中の人物の中では綾波レイはグチグチと悩むところがない。これまた彼女のS型の性質が現れている。
綾波レイの配役を考えるなら、浜辺美波とか、玉城ティナとかかなあ。いつかじっくりエヴァの配役構想については執筆したい。
惣流/式波アスカ・ラングレー:ENTJ
アスカの性格分類は割れる。通常はESTJと言われることが多い。中には惣流がESTJ、式波がENTJと言う見方もあるだろう。だが、私は色々考えた結果、どちらのアスカもENTJだという結論に達した。
アスカは見るからに目立つし、目立ちたがる。それに集団の先頭に立ち、皆を引っ張りたがるところがある。このような行為はENTJに良く見られる特徴だ。ESTJでも良いのだが、それにしては能力主義的な言動が目立つ。「私を認めないわけ?」といった具合だ。アスカは目上の人間にも物怖じしないし、体育会系的雰囲気もあまり見られない。アスカはやっぱりESTJではなく、ENTJだと思う。
アスカもN型だけあって、複雑な内面世界が描かれている。この内面世界の存在こそがN型の特徴と言っても良いかもしれない。しかし、アスカはかなりE型の性質が強いので、内面世界に他者からの承認が欠かせない。常に自分が優秀だと認めてもらえないと自我が保てない。
因みにアスカはT型F型の違いと感情的であることが全く違うわかりやすいケーススタディだろう。アスカはT型だが、感情的だ。これは「感情的」であることとF型であることは異なることを示している。感情的とはセルフコントロールの問題であり、他人の気持ちを中心に考えるF型とは全く違うのだ。むしろ、T型特有の感情表現の下手さが露骨に出てしまっている。F型が感情表出する時は自分の感情を表現したいからなのに対し、T型が感情表出する時は単に感情をコントロールできない場合が多い。T型は腹が立つから怒るのに対し、F型は腹が立っていると示したいから怒るのである。
シンジとアスカはどちらも精神に難があるが、表出の仕方は対称的だ。シンジが内に向かって自罰的になるのに対し、アスカは外に向かって他罰的になる。内向型と外向型の違いが現れているように思える。アスカの場合は常に関心が外に向かっているのだ。
なお、余談だが中二病全盛期の筆者は模試を受けるたびに「アスカだったらこの科目であと五点取っていたんだろうな」などと妄想を繰り広げ、原動力にしていた。気持ち悪い。
葛城ミサト:ENFP
新劇ではそれほど重要ではなかったが、旧劇ではシンジと並ぶ第二の主人公として扱われていたのがミサトだ。作中の描写もミサトに関するものは非常に多い。
ミサトは典型的なENFPだ。いつも明るく人と関わりたがるし、子供のようにユーモラスだ。思いつきで行動することを好み、しばしば「女の勘」といったフィーリングに頼る場面もある。しばしばENTPと言われるときもあるが、議論や論理といったものに対する執着をあまり感じないので、ENFPで間違いないと思う。
ENFPは外向的にも関わらず、例外的に繊細なタイプだと言われる。ミサトも典型的なこのタイプだろう。しばしばミサトは定期的に人生に悩み、自己肯定感の低さを見せている。ただし、あくまで時たまであり、人と関わっているシチュエーションでは明るい。
どうでもいいが、自民党の次期総理候補と言われる高市早苗の昔を調べてみると、葛城ミサトに雰囲気が近すぎて面白い。年代も同じだ。最近はあの人のイメージでしか再生されなくなってしまった。ミサトが60過ぎるとあんな感じになるのだろうか。
赤木リツコ:ISTJ
リツコは典型的なISTJだろう。常に事実しか口にしないし、特に迷う場面もない。もちろん碇ゲンドウとの不倫話は揉めたのだが、これも内面が描写されているわけではない。極めて現実的な世界で生きているのがリツコだ。INTJと違って独自理論を展開するようなところも見られない。
エヴァを見ていると、S型のキャラクターは内面世界が描かれない傾向がある。表面に現れているものが全てということだろう。
加持リョウジ:ENTP
加持リョウジのタイプは非常にわかりにくいのだが、一応ENTPとしておこう。一連の描写を見る限り、P型であることは間違い無さそうだ。加持はいつも気さくで能天気な雰囲気だが、T型特有の目ざといところは持っている。また、どこかキラキラした瞳をしている印象もある。
ENTPのオタク的な要素は加持に見られない。というか、作中では完璧人間として描かれていると思う。アニメなので仕方ないか。現実に加持がいた場合はもう少しダサくて理屈っぽい人間に見えると思う。
余談だが、エヴァは三位一体をモチーフとしているところがある。中学生組のシンジ・レイ・アスカで三位一体、アラサー組のミサト・加持・リツコで三位一体、指導部のゲンドウ・ユイ・冬月で三位一体である。同級生のトウジ・ケンスケ・委員長も含めても良いかもしれない。
鈴原トウジ:ESFJ
主人公達の日常を象徴する人物が同級生組だ。鈴原トウジはその筆頭である。トウジは典型的なESFJだ。運動部に一人はいる面倒見の良いタイプだ。鈴原はあんまりはしゃぐタイプではないし、いつも冷静で大人びている。この点はJ型の特徴を表しているだろう。
相田ケンスケ:ENTP
相田ケンスケはオタクだ。ただし、INTPに比べると陽気で社交的なところがある。本当に日常的な人物で、物語の本筋には関わらない、モブキャラ代表かのように思えた。旧劇では実際に変わり果てた日常に呆れながら退場していった。
だが、である。最終作のシンエヴァで衝撃が走った。なんと相田ケンスケはアスカとデキていたのだ。14年という時の経過を感じさせる、なんとも哀愁を感じるエピソードだ。私としてはLAS推しだったのだが・・・まあ仕方ない。シンジとアスカが安定したカップルとして成り立つとは思えない。思春期の一時的な初恋で終わるだろう。それでいいのだ。アラサーにもなれば結婚を見据えた長期的なお付き合いになる。中学生みたいには行かないだろう。
委員長:ISFJ
これまたいかにも地元の同級生といった雰囲気の人間である。おしとやかな良妻賢母といった感じだ。物語の本筋には関わらないし、ネルフやヴィレの人たちとは生きている世界が違うだろう。これまた時の経過を感じさせるキャラクターである。旧劇ではアスカの唯一の友達で、家出にもつきあってくれた。本当に良いやつだ。過酷な職場にいるからこそ、こうした別の世界の友達は大切にしたいものである。
シンエヴァでは鈴原と結婚して子供がデキていた。お似合いのカップルだろう。平和で幸福な家庭を作るに違いない。まさにSF型そのものだ。この点でN型のカップル、アスカ・ケンスケやシンジ・マリは一癖も二癖もありそうだし、テンプレには収まってくれないだろう。
碇ゲンドウ:INTJ
ラスボスの例に漏れず、碇ゲンドウは典型的なINTJだ。確かにシンジと同様に内面の葛藤は深いのだが、それを表現するのは苦手だ。自分の気持ちよりも他人や規範を優先してしまうのがシンジとすれば、自覚すらできないのがゲンドウである。ここにもTF軸の対立が垣間見える。
INTJはラスボスにはうってつけだ。独自の壮大だが偏った思想、謎めいた雰囲気、考えているスケールの大きさ、などだ。S型は話のすケースが小さくなるし、ENTJの場合は世俗的すぎるからだ。碇ゲンドウもこの法則に当てはまる人物であり、実際に人類補完計画を実行した。
それにしてもシンエヴァの碇ゲンドウは精神に来るものがあった。旧劇と違ってラスボスの側面が強調されていたため、より脆い性質が良く表現されていた。碇ゲンドウは還暦過ぎてもロボットを作って喜んでいる古老となっており、過去の遺物のような存在となってしまった。こうした時代に取り残された哀愁を感じさせるのがエヴァだ。作中では常にS型=大人、として描かれており、いい歳して夢物語を語っているゲンドウはかなりヤバい人なのだ。私も他人事ではないが。
そう、シンエヴァでは常に大人はS型として描かれている。日々の色々な出来事に忙殺されているし、夢物語など持ちようがない。トウジのような人たちはライフステージに合わせてどんどん大人びていく。シンジも脆い内面世界というある意味でファンタジーの世界から脱却し、明日生きていくことを考えた。これも立派な成長だろう。ミサトも内面こそ変わっていないが、やはりヴィレの運営等で忙しく、N型の感性は隠している。露骨にN型のまま生きているのはゲンドウ・冬月・マリの三人だけである。
冬月コウゾウ:INTJ
冬月は比較的エヴァの登場人物の中では内面の危機を抱えていない人物だ。彼は学者としての探究心を常に満たしていたし、自分なりに納得して死んでいった。エヴァのキャラクターの中で一番幸福な人生を送ったと思う。
冬月はセカンドインパクトの真実を勝手に調べる等、完全なNT型だと思う。アスカやゲンドウといった人物が内面の危機をセルフコントロールできないのに対し、冬月はいつも平然としている。年の功かもしれないが、エヴァは加齢によって成長するような話では無いので、無関係だろう。世界の真実に迫ることができたし、エヴァキャラになるなら一番選びたい立場である。
碇ユイ:INFJ
作中最大のキーパーソンであり、最も謎に包まれていた人物が碇ユイだ。この人物こそINFJのテンプレに近いと思う。
碇ユイは自己主張しないし、いつも感情を見せない。言葉はどこか示唆深く、何年経っても冬月の心に残るような一言を刻み込んでいる。思想も非常に遠大だ。眼の前のことなど関心がなく、人生や人類どころのスケールではない。数十億年経って地球も太陽も無くなってからも生きた証を残すということを唱えていた。壮大過ぎる。しかもそのために自己犠牲を図ることを厭わなかった。
碇ユイはマリからも好かれていた。この転生の人たらしもまたINFJである。万人に好かれると言うより、熱狂的なファンが生まれるタイプだ。ゲンドウ・冬月・マリの三人はいずれもユイの大ファンだった。サードインパクトが起こってからですら、これは変わらなかった。碇ユイは人望の塊のような人間だ。
ところが、碇ユイの行動を振り返ってみると、とんでもなく恐ろしい人物だと言うことに気付く。狂信的な理想のために人類補完計画を引き起こそうとした。ネルフの計画は全て彼女のプランから来ている。碇ユイの振る舞いに史実で最も近い人物はポル・ポトだ。人柄といい、振る舞いといい、そっくりだ。そしてポル・ポトは実際に似たような壮大な計画を実行して多くの犠牲を出した。
北上ミドリ:ENTP
ネット上では飲尿ピンクなどといった不名誉なあだ名が付けられた人物が北上ミドリだ。彼女は社会に何とか適応したENTPという雰囲気だ。現実的なことを言う側に向かっているが、よく見ると発言内容はN型特有の抽象的なものだし、世界の謎に対する関心もかなり強い。ミドリは作中後半いつも話している。進撃の巨人終盤のアルミンのようだ。これまたENTPらしい。この類型の人間は中々ステルス化できないようだ。
真希波・マリ・イラストリアス:ENTP
新劇場版に新しく誕生したキャラがマリだ。どうにもこの人物は年を取らないらしく、実年齢はアラフィフらしい。古い歌をいつも歌っていたのはこれが理由か。肌がピチピチなことを除くとあんな感じの変わったオバサンはいる気がする。
マリはノリもN型のままだ。実年齢に比して若い、あるいは子供っぽい感性の持ち主と言える。これは筆者にとっては絶望感を癒やす役割に思えた。周りの人間がどんどんS型の現実に走っていく中で、マリだけは昔のままでいてくれたからだ。私はシンエヴァの鑑賞中、マリがでてくると常に癒やされていた。最後にシンジとマリがくっついたことは衝撃だったが、一方でかなり胸を撫で下ろすエンドでもあった。
なお、マリの精神構造は図太い。内面の危機が描写されたことはない。このあたりは結局アラフィフなのだろうと思う。
渚カヲル:INFJ
あまりにも現実離れしているため、16タイプで考察してもあまり意味は無さそうだが、最後の使徒・渚カヲルはINFJということになるだろう。あの強烈なカリスマ性や包容力は他のタイプには無理だろうからだ。新劇場版ではカヲルの自己犠牲的な側面が更に強調されていた。カヲルはシンジを幸せにしようと頑張っていたが、その理由は自分が幸せになるためだった。INFPから見ると「え?当たり前じゃね?」となりそうだが、INFJから見るとこの事実に気が付くのは難しい。
エヴァに出てこないINFP
意外なことに、エヴァにはINFPのキャラクターが登場しない。自分の内面世界に対して意識が集中している描写が多いにも関わらずである。作品全体のノリはINFPなのに、キャラクターで具体的にINFPという人物は意外に登場しない。
理由は分からないが、もしかしたら庵野秀明氏自体がINFPすぎて、逆に描かないのかもしれない。自分に近すぎるキャラクターはやはり意識して避けたいからだ。
それにしてもエヴァという作品は非常にINFP的である。ここまでINFPの世界を視覚化した作品は珍しいのではないか。登場人物が常に「謎の解明」とか「敵勢力との戦い」といった大きな物語ではなく、自分の内面の危機に焦点を注いでいる。世界史的な大事業が目の前で進んでいるというのに、なにをやっているのか。普通のSF作品と比べるとかなり異様だ。まるでヒューマンドラマのような展開だ。ロボット作品の中でも際立ったスケールの大きさとの対比があまりにも極端だったため、「セカイ系」という新ジャンルが誕生した。
INFPの人間はそこまで政治経済の枠組みで物事を捉えない。人にもよるが、「朝まで生テレビ」のようなタイプは多くないと思う。INFPの抽象的な思考回路は常に自分と人間のあり方に向かっていて、NT型の比ではなく浮世離れした印象を受ける。エヴァもそうだろう。眼の前に展開されている世界史的スケールの話に対してシンジは関心がない。S型の現実的な価値観とも別だ。世界史的スケールの話は現実離れしているのだが、シンジの内面世界もまた、逆の方向に現実離れしているように見える。
大人になるとS型になる?
シンエヴァの特徴なのだが、大人になってしまった同級生に対して、いつまでも子供のままのマインドの視聴者、という対比がなされていたように思える。マリやゲンドウのような一部の人物を除き、軒並み現実の中に当てはめられている。シンエヴァでは大人っぽい登場人物はみんなS型のように振る舞っていた。そこに子供向けロボットアニメの片鱗はない。
人生の前半は色々な可能性が開けているし、色々な物事に触れることが良しとされる。ところが就職して大人の世界の仲間入りをすると、その段階は終わる。代わり映えのない日常と現実的な思考にいつしか呑まれていく。その中で道への開放性や知的探究心は次第にやせ衰えていく。それを露骨な形で示したのはエヴァという作品だと思う。
N型の人間はいつまでもこうしてはいられないと悟り、どこかで折り合いを付けなければならない。ミサトやシンジはそうしたのだろう。一方で大人になれなかったゲンドウは孤独と失望の中で排除されてしまった。ただ、一応N型の人間でも救いがあるように、マリは昔のままだった。ライフステージが進む中で、周囲がどんどんS型に変わっていく孤独。その中で、自分なりの居場所を探しているのがN型だ。
というかあの世界EN型とIN型の落差を露骨に描きすぎではないか?EN型は社会に適応している。ミサトもなんだかんだ最後は昔の姿に戻ったし、ミドリだってヴィレに馴染めている。一方でIN型は親しい人間以外に自分の話をしなくなる。ゲンドウやシンジがそうだろう。確かに私の観測範囲内でも、EN型は社会と折り合いを付けながらもN型特有の開放性を保っている傾向が強い。IN型は内面に引きこもり状態が多い。職場の飲み会でもEN型は開放性を周囲に振りまきたがるのに対し、IN型は早く家に返って自分の趣味に打ち込みたいと思っているだろう。
まとめ
今回は新世紀エヴァンゲリオンという作品を通して16タイプ分類への理解を深めようという記事である。日本の人気アニメでここまでINFPあるいはINFJの世界観を描写したものは他にないのではないか。エヴァの特徴としてしばしば「考察」が挙げられるし、私も中学生の頃は朝から晩までエヴァの謎の考察ばかりしていた。しかし、そうしたNT的な要素は作品の本質ではなかった。空白の14年間に何が合ったのか考察することに大した意味はなく、あの描写は「14年間に遅れてしまって何がなんだか理解できなくなっている感覚」を表現する舞台装置のようなものだった。エヴァという作品はNF型の雰囲気ベースの作品と考えれば良い。作者の感想でしかないが、進撃の巨人は「NT型のエヴァンゲリオン」だと思う。実際にNT型の視聴者が期待していた「謎解き」を忠実にやるとあんな感じになると思う。