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<MBTI>TiとTeの違いを考察する

 またまた心理機能解説編である。今回はTiとTeの違いについて論じてみたいと思う。

 TiもTeもどちらも論理的・物質的な見方を好む心理機能である。人の気持ちにはあまり関心がない。両者はしばしば「合理的」だと言われる。たしかにそうかもしれない。問題は両者の合理性の定義が全く違うことであり、筆者自身も合理性とは何かという点で長年思い悩むこととなった。

Tiは一人称視点

 Tiを視覚的なイメージで捉えるなら、一人称視点のゲームである。VRが一番近いかもしれない。Tiは物事を物質的に捉えるが、同時に全て自分目線で捉える。すると、Tiはかなり自己中心的な心理機能となってしまう。副業で儲けたいので方法を考えるとか、自己顕示欲を満たしたいためにダーツを練習する、といった心理は全てTiから来ている。Tiはしばしば「物事を理解したい欲求」とも言われるが、これはTiの持っている機能の一部に過ぎない。

 実のところ、Tiは場合によっては身勝手な印象を受けるし、冷酷に写ることが多い。多くのTP型の人間は身勝手ではないではないかという反論もあるかもしれないが、それは多くのTP型は多かれ少なかれTeとかFiを持っているからだ。もしTiのみで行動している人間がいるならば、それはサイコパスとか反社会性パーソナリティ障害と呼ばれるリスクが高い。

 勧善懲悪ものの悪役は大抵がTi中心で描かれる。バットマンのジョーカーが良い例だ。悪事で大金を手に入れたり、警察を挑発して楽しんだり、新しいいたずらを試したりするのはTiの為せるワザだ。

Teは三人称視点

 Teを視覚的に例えるなら、三人称視点のゲームだ。Teの場合は組織や社会の論理を主体に物事を捉える。Teは全て社会的に生産性があるかという面で見ているところがあり、かなり官僚的でシビアな印象を与える。

 Tiと同様にTeも合理的とされるのだが、彼らは組織や社会の目から見て合理的かどうかを判断する。例えば面倒だからサボるという行為はTiからすると当然の合理的行動なのだが、Teからみると非合理な行動に見える。面倒だからという要素が入るのは組織にとって迷惑極まりないではないかということである。

 Teの論理は自分の立てた計画にも当てはまる。例えば1日2時間勉強するという目標を立てたとして、Tiにとっては面倒な日にサボるというのは重要な利益なのだが、Teはあくまで目標目線で物を考えるため、それが自分自身の欲求であっても、非合理に感じてしまうのだ。Teは自分が自分の上司のような存在として物事に取り組む傾向がある。彼らにとっての合理化の主体は常に外部のどこかに置くと考えて良い。

TiとTeの仕事のモチベ

 TiとTeの仕事のモチベを見てみると、本当にノリが違うと思う。両者は話が噛み合っているようで、噛み合っていないように私の目からは見えている。

 Tiの仕事のモチベとしてわかりやすいのは研究者だろう。世のため人のためという要素があるとしても、基本にある感情は「学問を突き詰めたい」とか、「新薬を開発したい」といったものだ。研究者以外でも、「営業成績を伸ばして表彰されたい」とか、「日本一有名なホストになりたい」といった願望もTiだと思う。

「コンサルの仕事術」系の本を読んでいると、こうしたTiとは全く違う仕事の考え方が見て取れる。あの業界は極端にTeが強いようだ。金融・保険・コンサル・監査法人・渉外弁護士など、ブルシット系の業界に良く見られる思考回路だ。Teの場合は「クライアントを失望させないためにプロとして期待以上の結果を〜」といった文言が非常に多い。与えられたミッションをいかに高い位置で遂行するかに力点が置かれており、そのミッションを何故やりたいのかという点は無関心だ。Teは「やりがい」という観点が完全に欠落しており、組織・顧客・市場の評価が全てという見方であることが多い。「面白い・つまらない」という感情はTiの視点の話であって、Teからすると排除すべき感情ということになる。

 なお、官僚やエンジニアといった業界もTeが強い人間が多いが、少なくとも初心に帰るとTiやFeという要素を見出すことも可能なので、外資コンサルほどTe偏重ではない。Te偏重の仕事論は社会貢献とか技術を極める歓びといった内容は皆無で、ひたすらにプロ意識とクライアントの論理と激しい競争の話ばかりである。

無能社員を見た感想

 職場には必ず無能な社員がいる。こうした人間を見た時にどのような感想を抱くかはTiとTeで大きく異なる。

 Tiの人間は基本的に自分に実害が無い限りは放置するだろう。場合によってはバカにするかもしれない。自分のやりたいことが妨げられなければ十分なのだ。ひろゆき氏曰く「職場に無能が1人いれば他の人間が絶対にビリにならないので幸福感が上がる」とのことである。Tiらしい発想だ。実際、自分より無能な社員がいる限り自分に矛先が向かう可能性は低いので、安心感を得るだろう。

 ところがTeは全く異なる感情を抱く。彼らは常に組織の論理で考えるので、無能な社員の存在は組織にとってマイナスだと考える。無能な社員はどうにかしてパフォーマンスを上げるか排除しないといけないし、存在自体がストレスの種だろう。「無能社員だって頑張っている」といった感情に訴える働きかけはTeからすれば不当な感情論でしかなく、却って怒りを掻き立てる。

自分が得するにはどうすれば良いか

 Tiは基本的に利己的だ。Tiで考えている限り、組織の中で自分が良い思いをするにはどうすればいいかを考えている。面倒な仕事は人に押し付けるとか、休みを入れまくって忙しい時を回避するとか、上司にバレない範囲でサボるといった具合だ。会社の規範はTiにとってどうでも良く、自分が処罰されない限りは無視しても良いと考えている。基本的にTiを抑止できるのは利益と懲罰のみと考えて問題はない。

 Teは公平無私の人というわけではない。彼らは上昇志向が強いし、個人主義なので、自分が得したいという意識は強い。ところが、彼らは組織の論理を中心に考えるため、独特の官僚的な振る舞いが生まれる。サボりたい時は何も考えないでサボるのではなく、組織の論理で自分のサボりを正当化するかをいつも考えている。滅私奉公的なFeとも全く異質だ。Teの場合は巧妙な立ち回りで責任を他人に押し付けたり、もっともらしい根拠を見つけて他人を批判したりという振る舞いが良く見られる。

反対側から考えると

 心理機能を逆側から考えてみることもできる。Tiの反対側に位置しているのはFeだ。Feは集団への献身や同調圧力に関係する心理機能だ。Tiが強い人間はこうした動きに疎いため、自己中心的な行動を取ることがしばしばある。更に言うと、アウトローやサイコパスはTiのみで動いている人間そのものだと考えることもできる。彼らを大人しくさせるには良心や規範意識にうったえても無駄であり、罰を与えるか社会から排除するしか無いだろう。

 Teの反対側に位置しているのはFiだ。こちらは個人の幸せや好き嫌いを考える心理機能である。Teの人間は実際に自分の感情も他人の感情も軽視する傾向がある。先程のプロ意識の話に関しても、「好き嫌いなんて以ての外、やりがいがあろうとなかろうと結果を出すのがプロです」ということになるだろう。Teは自分のことすら客観視して動くため、ストレスをためやすいタイプでもある。

Teの同級生

 少し思い出話をしたいと思う。私はゴリゴリのTiユーザーだったので、宿題や授業はサボりまくっていたし、落第しなければ問題ないと思っていた。勉強は受験に受かるためのものであり、受かりたいという願いを叶えるための手段でしかなかった。正直、凄まじく不真面目な生徒だったと思う。

 ところが、こうした私の姿はTeの強い同級生には腹立たしく思えたようだ。私にしてみれば、私が真面目に頑張ったところで彼らは得しないし、それどころかライバルが増えるので非合理に見えた。これがTiの論理である。

 Teの人間から見ると、宿題をちゃんとやってくるのは社会の論理から見て「正しいこと」で、サボりまくる私は「正しくない人間」に思えたようだ。Teの同級生からは常に軽蔑されていたし、私が成績で上回った場合は、やり場のない怒りを向けられているような気がした。「正しいこと」をしている自分が不当に損なわれていると感じたらしい。遠い昔のことになるが、ISTJの同級生が一方的に殴りかかってきたこともあった。

まとめ

 TiとTeの違いはひとえに合理化の主体が自分か第三者的視点かという違いである。例えるならばTiは「オレがどうしたいか」なのに対し、Teは自分ごとであっても「山田主任はどうすべきか」と考えている。実際、自分のことを名前+肩書で表現すると、Teの感覚が理解できると思う。「オレ」は仕事をサボりながらボーナスだけはちゃっかりもらいたいが、「山田主任」はボーナスをもらうために組織の一員としてクライアントに迷惑を掛けないように土曜出勤すべきだ、という結論になるだろう。この目的達成思考がTeの何よりの特徴である。

 Teはビジネスマンとして必須の心理機能であり、ここが弱いとブルシット系の業界はキツイと思う。Tiのノリでもできる仕事は研究者・個人商店・営業職など、個人としての性質が強い仕事である。

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