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はたらく細胞はゾウリムシの夢を見るか?

 はたらく細胞という作品がある。人体の各細胞が働くキャラクターになっていて、細胞の作用を擬人化して作品化したものだ。確かに赤血球は運送業者、免疫細胞は警察官、のように人体の細胞は専門分化が進んでいて、まるで社会のようだ。人体図鑑を読んだことのある人であれば一度はそう連想したことがあるのではないかと思う。

 さて、筆者は多細胞生物としての人間について考えると、しばしば思うことがある。人間の各細胞というのは大手企業のサラリーマンのような存在ではないかというものだ。以前に書いた「マクロ型エリート」と同じである。

 人間は総体としては万物の霊長だ。しかし、一つ一つの細胞がそうかはわからない。むしろ「自分で生きる」といった細胞本来の本能を制限され、別の細胞の言いなりになって生きているのではないかと思う。アポトーシスという名の自殺を強要されることもある。たまったものではない。

 一方、ゾウリムシのような単細胞生物は下等生物かもしれないが、自分の足で生きている生き物だ(足は無いけど)。ヒトの細胞は自由に動くことができないが、ゾウリムシは好きなように動くことができる。自分の意に沿わない働きを強要されることはない。例えるならば個人事業主だろうか。高等生物であるヒトの細胞は実はゾウリムシに憧れている時があるんじゃないか。

 人体の細胞でも特にエリート感があるのは神経細胞である。ヒトの高度な思考能力は脳細胞のお陰である。脳細胞は寿命も桁違いに長い。社会で例えると官僚機構だろうか。しかし、総体としては崇高なことを考えていても、個別の脳細胞は電気情報をピコピコしているだけで、そんなに面白いことはやっていないのかもしれない。いわゆるブルシット・ジョブだ。彼らは意外と肝細胞とか卵子を羨ましがっているのではないかと勘ぐったりもする。

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