日常の中でささやかな可能性を感じる瞬間が好きだ 例えば洗い物中にLINEの通知の音がしたとき 私はこれが誰から来た何の連絡なのかわからない この瞬間私は無限の可能性の中にいる そしてその無限を想像することを許されている 果てのない自由に包まれて私は洗い物を続けるのだ これはどこかで聞いたミロのヴィーナスの話に似ている ミロのヴィーナスには腕がない 人々はそこに無限の可能性を見る ミロのヴィーナスを見るとき 人はその背後にあったかもしれない無数の可能性を見ている 実はミロの
ツタが怖い。 誰しも何となく怖いものがあると思う そういうのって往々にして他人に言うと「は?」って顔されて終わりだからみんな黙ってるだけで本当はある、はず…多分…… いやあるだろ、流石に、うん 普段の生活でも何となくそんな感じするし 植物から幻覚を見ているやばやば妄言おじさんにならないためにも 予防線で蜘蛛の巣をつくったところで本題に入ろう 私はツタが怖い もっと具体的に言うと壁とかに張り付いているやつじゃなくて 現に自生してるやつが怖い 壁とか柱とかとっかかりになるも
月のはじめはノートの1ページめに似ている。 なんだかワクワクしてこれから1か月どうやって生きようかなんて考える ふと、6月になったら日記をつけたいなと思った 新しいことを始めるなら月のはじまりと一緒にせーのではじめたい とか思っていたが普通に無理だった。 なんなら6月1日から風呂に入るのすら失敗している。 失意の朝シャワーである。 そして人間として最低限の生活すら全うできていない以上、 私に1日から日記を書くということはもはや圧倒的不可能の領域。 もう6月11日である