青春時代を振り返ってみた

※ アニメ「響け!ユーフォニアム」のネタバレを含みます。予めご了承ください。



一昨日あたりから、アニメ「響け!ユーフォニアム」を観始めて、本日2期を見終えました。
これから続編の映画も観る予定です。

私は中高6年間合唱部に所属していて、吹奏楽と合唱って、楽器が違うだけで練習内容や心の持ち方は近いから、当時のことを懐かしみながら観ていました。

ちょっとだけ、昔話をさせてください。


合唱のきっかけ、中学時代

アニメの主人公である久美子が吹奏楽を始めたきっかけ、実は私も少し似ているの。

私には2つ上の兄がいるんだけど、私が合唱部に入った理由は紛れもなく兄の影響で、小学6年生の時に『ここの中学の合唱部、良かったよ』と言ってきたのがきっかけ。
兄は物静かなオタク〜って感じのタイプなので、とても珍しく感じて、本当は吹奏楽に入ろうかと思ってたんだけど、友達5人くらい連れて合唱部に入った。

久美子はお姉ちゃんが楽器をやっていたから。
私は兄に薦められたから。
動機自体は全然違うけれど、家族の影響ってところが同じで、もしかして、結構よくあることなのかな〜なんて思った。

私が所属した中学の合唱部は、3年生0人、2年生6人、1年生(私の代)が9人。
人数が足りないからコンクールには出られなくて、最初の1年間は、幼稚園や施設での発表やボランティアをメインに活動してた。

私はどうしてもコンクールに出場したくて、当時の顧問と副顧問に手紙を書いたり、直談判したりして、それでも結局は人数が足りないから、何か方法が無いかずっと考えてた。
(この時はまだボカロや歌い手を知らない頃)

2年生になって、新入生歓迎会でリトル・マーメイドの「パート・オブ・ユアワールド」を披露した。すごく難しい譜面だった。
私はメゾで、基本的に主旋律のハモリって感じだったんだけど、1箇所ソロパートを任されて楽しかった。アルトはずっとルルルル言ってた。

合唱部の出番の時だけ土砂降りで、全然声は響かなかったけれど、なんと新1年生は14人。
他にも退部してた先輩が戻ってきたり、2年生から新しく入った人もして、ギリギリ、コンクールに出場できる人数に。
この時、本気で「私には革命を起こす力がある」と思った。本当に本気で。

2年生の時も、3年生の時も、それほど良い結果は出せなかったけれど、音楽が、歌うことが好きになって、部員の影響でボカロや歌い手文化のことを知って、ちゃんと青春できてたと思う。

中2、中3の時のNコン課題曲だった2曲、今聞いても泣けるから、良かったら聴いてみてね。


音楽性、後悔、高校1年生

高校は、合唱の実技があるところを選んで、テストの点数はギリッギリだったけれど、実技の方がかなり高くて無事合格。

1年生の時の顧問が、合唱界隈でかなり有名な人だったみたいで、死ぬほどキツい1年だった。
情熱があって、素直で、真剣で、言ってることもやってることも正しいとは思っているけれど、私との性格の相性はあんまり良くなかった。
スパルタかつ不器用な先生で、今の時代で言ったらモラハラ発言ですよね…それ体罰ですよね…って言えちゃうことが結構多かったなぁ。
我ながらよく耐えたと思う。

本当に色々なことがあったから、心の底からあの先生が大好きだとは今でも言えないけれど、彼女が顧問じゃなかったら、私が作る音楽やcoverは全然違うものになっていたと思う。

歌詞や一つ一つの音程から、楽曲の主人公の心情や情景を読み取って、考察して、声に乗せる。
きっと、説明しないと大抵の人には分からないし、万人受けするものじゃないと思うけど、私はこの音楽が好き。
あの人の音楽を知れて、触れられて、良かった。

高1の冬、12月に演奏会があって、その後。
喉の酷使とまともなケアが出来ていなかったことが原因で、声帯ポリープができた。
合唱部でもアンコン(アンサンブルコンクール)があってね、メンバーに選ばれていたんだけど、ポリープのことと、他のことも重なって、直前でメンバーから降ろされた。
全国大会だった。

当時の私は、治療に専念出来ると思って「むしろその方が良い」って開き直ってたけど、思い出したら今でもしっかり涙が出てきて、本当はすごく悔しかったんだって思い出した。
私は全国大会のステージに立てるはずだったのに、立てなかった。
なんで私がとか、なんであの子はとか、色んな汚い感情が湧いてて、何も考えたくなかった。
グレなかったの偉いと思う。

アニメで麗奈が言った「めちゃくちゃ悔しい」と久美子の「上手くなりたい」。
このどちらも、同じくらいの熱量でそう思った時があったから、とくに久美子のシーンはかなり心に来た。


高校2年生

顧問の先生が変わって、環境も変わって、合唱部は少しだけ緩くなった。

高2の時は、ポリープの治療のために休部して、私生活でも筆談生活をして過ごしてた。
この頃から今でもずっと、外では常にマスクをするようになった。
ポリープの治療が終わって、部活に復帰出来たのはNコン直前の7月末。
本当はこの年(17歳の誕生日)に、Luciaとして活動を始める予定だったけど、1年見送った。
1年早かったら、今いるかけがえのない人たちと出会えていなかったかもしれないし、これはこれで良いとは思ってるけど、どうしようもない理由で予定が狂うことは、やっぱり苦しかった。


1年の頃ソプラノだった私のパートは、メゾになって、コンクールでは歌わず楽器担当だった。

どうして今自分が合唱部にいるのか、分からなくなる時が沢山あった。
みんな口を揃えて「無理しないで」「まだ歌っちゃダメだよ」って。
私のために、優しさや配慮を込めて言ってくれているのは分かってたけど、それでもやっぱり直接言葉にされるのはつらかった。
好きなことを、やりたいことを制限される環境。
抗ったら悪化するって分かってるから、我慢するしかなくて、毎日生き地獄に感じてた。

休部してた時、週に1回くらい部活でやったことをLINEで報告してくれていた人がいて、実はそれがすごく救いになってた。
みんな、部活のことをあえて言わないようにしてくれてたみたいなんだけど、私は言って貰えた方が嬉しかった。
私もまだ部員なんだって思えて、嬉しかった。

今思い返してみたけど、高2の時の記憶、あんまり無いかもしれない。
クラスでの活動の方が充実してたかも。


高校3年生

ついに3年生になって、私のパートはアルトになった。
実は中学の時も同じで、1年ソプラノ、2年メゾ、3年アルトと、1年ごとに下がっていった。

高2の時と違って、この年は歌+楽器の二刀流。
和太鼓パートだったんだけど、すっっごい楽しくて、しかもちゃっかり上手くて、私ってやれば何でもできちゃうんだなぁ〜と自惚れながら叩いてた。
(2年生の時はチャイム担当)

楽しかった思い出もあるけど、部員の中に、それも私と同学年の3年生の中に、全国を目指していない人がいることに気付いてしまって、諦めちゃった。
久美子や麗奈のようにはできなかった。
さらに待ちに待った歌い手活動が始まったのもあって、私の熱意は9割活動に向かってしまった。

一度でも諦めてしまうと、立て直すことができなくて、興味も薄れて、全てにおいて心底どうでもいいと思いながら部活に通っていた。

尊敬に値する先輩ではなかったと思う。
遅刻が多くて、言い方も優しくなくて、面白味もなくて、多分本当に最悪だったと思う。
「なんであんな言い方しちゃったのかな」って、パート練習でのやり取りとかをたまに思い出すことがある。
後悔って嫌だよね。ずっと消えてくれない。

高3の冬にコロナが流行って、卒業前最後のステージだったはずの演奏会ができなくて、私の合唱部時代は不完全燃焼で終わった。


私の喉の話

喉は消耗品。

元がすごく強い喉じゃない限り、声帯ポリープを1度でも作ってしまうと再発や結節ができる確率が高くなって、私は幼稚園の頃、喋り声が大きすぎるというアホみたいな理由で喉を潰したことがあるから、通常より脆い喉だった。

だから、気を抜くと炎症を起こす。
カラオケなんて、もう行けないかもしれない。
思いっきり叫ぶことなんて、できないかもしれない。

私は自分の今の歌声が好きじゃない。
元々こんな声では無かったからだ。
もっとクリアで、高くて、綺麗だったと思う。


先日病院に行った時、先生が「ハスキーボイスを個性にすることもできるけど、綺麗にした方が良いね」と言っていて、私もそう思った。

”綺麗にする”というのは、声帯結節がある部分を手術で切り取って平にするということ。

声帯は、2つの筋肉がぶつかることで音を出す。
その筋肉は常に平行じゃなきゃいけない。
その平行部分にでこぼこが出来るのが、結節。
でこぼこしていると、ぶつかる時に隙間ができて、その隙間から息が漏れてハスキーになる。
これは、声帯の正しい在り方ではない。


今の私の声を好きだって言ってくれる人がいて、それはとても嬉しくて、感謝しているけれど、それでもずっと、変わることはないと思う。

手術をするかどうかは、ワンマンライブが終わってから決めるけど、まだ迷ってる。
今は先のことを考えるのが少し億劫。
もし手術をすることになったら、半年くらいは活動休止しなきゃかも、嫌だなぁ。

女神だ天才だと言っているけど、ただの1人の未熟な人間なので、不安も葛藤もあるし、完璧になんてなれない。
今回のことも、病院さぼった私の責任は大きい。

だけど、このワンマンライブだけは、絶対に乗り越えなくちゃいけない。
死んでも成功させなくちゃいけない。
ああでもまだ死ぬわけにはいかないから、ちゃんと生きて、今は少し耐えて、その日を迎えたいと思っています。

心配してくれてありがとう。
応援してくれてありがとう。
一緒に悩んだり苦しんだりはしないでいいよ。

実際、配信や録音をお休みして過ごすのって、もう3回目か4回目くらいだから慣れちゃってるし、適度に吐き出して、楽しいことして過ごせます。
ライブを観に来てくれる人は、どうぞ楽しんで。

私の辞書に挫折なんて言葉はないよ。
まだまだやりたいこと、やること沢山あるんだから、安心して待っていてくださいね。

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