さびしからずや道を説く君

この記事タイトルは、皆様ご存知の通り与謝野晶子の「みだれ髪」の中の有名な一句からの抜粋です。僕はこうした叙情的世界から恐らく最も遠く離れた場所にいる存在だと認識しています。そのことについて、少し過去を省みてみようと思います。

以前記事にしたように、僕は大学生の頃には一人暮らしのアパートと大学の往復が主な生活で、大学では講義棟と図書館の往復でした。講義が終わったら図書館に行き、閉館時間までほぼ毎日勉強していました。サークルやクラブ活動は参加していませんでした。

大学院生になり、僕は国内のある基礎物理学の研究所に一人で滞在し、そこで学位論文のための研究に従事していました。周辺には僕のような学生は誰もおらず、周辺の研究者は皆多忙だったため、自分自身の研究はほぼ一人で全てオーガナイズする必要がありました。このため毎日非常に多忙で、土日もなくほぼ毎日研究所に通ってあれこれ自分の研究をしていました。

学位論文を執筆するにあたり様々な困難が発生したのですが、何とか学位論文を執筆し学位が授与された後、しばらくその研究所に滞在して自分で使用した実験装置の改良に従事することになりました。この時期も多忙で、例えば実験装置の設置作業のため、大学の博士号授与式を欠席しました。そんな儀式的なことに興味はなかった(今もない)し、何せ時間がありませんでした。後日、大学の事務室に学位記と証明書を取りに行ったのですが、大学の事務員さんに窓口越しにポンと渡されて「はいよ、おめでと」と言われたのが僕にとっての「博士号授与式」でした。

その後、日本国内の別の基礎物理学の研究所に職を得て、しばらくそこで働くことになりました。そこは任期付の職だったため、できるだけ早く成果を上げて転出することが推奨されており、この時期も非常に多忙でした。土日に実験を行うこともしばしばでした。

任期中に国内のまた別の基礎物理学の研究所に職を得ることができ、そこで働くことになりました。その職は任期なし定年職で、ここなら少し落ち着いて仕事も生活もできるだろうと考えていたのですが、実際はこの時期が最も多忙な時期でした。勤務時間は非常に長く、日付が変わってから帰宅することも珍しくありませんでした。土日も職場に出ることは普通でした。私的時間はほとんどなく、帰宅後も仕事についてあれこれ考えることが多かったように思います。

その後、国内のある大きな大学に転出することになりました。大学での仕事は学生の指導などやりがいのあるものが多かったのですが、仕事が多くてとにかく毎日忙しい。また、大学と大学近くの実験施設との往復(公共交通機関で約1時間)が頻繁で、移動中にもメールが読めて仕事ができるようにタブレット端末を購入しました(私物です)。朝早く出勤して終電ギリギリに帰宅するのはしばしばでした。

そして現在ドイツの大学で働いています。平日は朝早くから夜21時まで予定でブロックされています。土曜日にまとめて家事といくつか用件を済ませるため土曜日は夕方前まで時間がありません。日曜日は比較的ゆっくりできますが、勉強や静養で1日が終わり、外出することはほとんどありません。

さて、僕がこの記事のタイトルにした与謝野晶子の歌とは僕は遠く離れた生活であることが読み取れたかと思います。僕はこうした叙情的世界とは遠いところに存在していますが、それは叙情的世界への興味の有無というよりは、時間の問題です。誰もみな1日に24時間が与えられていますが、その時間のうちに済ますことの多寡によってできることが制限されます。僕のこれまでの人生は、時間と追いかけっこをしている状態が30年近く続き、その結果今に至ります。もうしばらくすれば少しは時間が取れるようになるのではないかと期待していますが、その期待よりも、さらに多くの責任とタスクが発生する可能性の方が高いのではないかな、と想像しているのが正直な感想です。

身も蓋もないことかも知れませんが、与謝野の歌に対する僕の答えは至極単純で、「僕には時間がありませんでした」です。


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