見出し画像

社会福祉学科|科目等履修生

 中高生の時、時点では、大学理学部(物理学や分子生物学)を志望し、入学できればいいな、父親の様な会社員やエンジニアになれればと希望していました。現実的には、精神疾患によりまともに受験は出来ず、大学には入学したものの退学をせざるを得ませんでした。これが今考えるに精神障がい者として最初に感じた不条理だったかも知れません。
 のち、精神科病院に入院を経て長期間闘病をしつつ、放送大学で学びました。大阪芸術大学通信写真学科への入学をする機会があり、度重なる援助をして貰う必要性を感じました。例えば大きく分けて、普通の人の様に職業があること、学校や地域、家庭で独自の才能を引き出し安全を確保する心理的に援助して貰う専門的な援助の必要性、地域や大学での障がいへの理解の必要性、の3つがあったと思います。結局頑張った末に退学を選びました。これが第二の不条理だったと今感じます。
 そしてネットや写真のわかる方に写真や作品を制作し観て貰う機会が多くなり、その制作を繰り返す課程で病気は自然と癒えてゆきました。職業として福祉就労で障がい者作業所と契約し就労しています。地域で騒動の様なトラブルが起き、それにはこれまでの結果の集積が無理を生んだ面があると思います。健常者は、普通20代で卒業をし、結婚をし、就職をしています。それが叶わなかった精神障がい者には無理が来ることになります。それは人生設計上しょうがない事です。これが今までの集積として感じた第三の不条理です。他の障がい者をみても結婚が出来ない、就職が出来なかった、健康を害してしまった、大学に入れなかった、様々な不条理に憤りを感じます。
 以上の経験から精神障がい者にはどうしてもサポートや社会の変革が必要、それを発信してゆく必要があると感じます。健康や教育、生活上の相談の勉強が好きです。そういう傾向や長所を活かした精神保健福祉士になりたい。写真の経験を活かしてWEBメディア上でも発信、活動したい。放送大学では医療や英語などを中心とした医療コミュニケーションを学んでいます。ピアサポーターを目指しながら、そうした学びの幅も活かしたいです。自分の目指すべき目標は立派な学歴でも資格ではなく、人の痛みが少しだけわかることかなと今は思います。
 譬え社会に余裕がない時でも、イジメや仲間外し、威圧や暴力で、自分さえいなくなればいい、そう思わせる社会は何処か歪(いびつ)です。誰にも長所があり、誰にも唯一無二の存在価値がある、その存在を傷つけてはならない、そう思う事の出来ない社会が間違っています。自分にとっての幸せは、自分の家庭だけという狭く閉じた家族ではない、誰かに媚びを売って出世や地位獲得する事でもない、ましてや見た目見せかけだけの仲良し仲間を演じる事でもない、このサイトにはそういった自らの想いが分身が宿っている様にしたい、そう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?