現状:心の闇と光

フォロワーの皆さんこんにちは、夜ならこんばんは。今回は曲紹介でもなんでもない、ただの自己紹介を書きます。でも、ただの自己紹介ではないです。過去から現在、自分のDTMの原動力となっている経験(今までの人生の光と闇)をできるだけ詳細に、包み隠さず、なんの脈絡も無しに、決壊したダムのごとく全てをぶちまけるように書いていこうと思います。不快な気分にするかもしれませんが、どうか最後まで目を通してもらいたいです。

まず最初に言います、自分は歌が歌えません。
正確に言うと『歌うことに抵抗がある』ということです。
これは幼少期の頃までさかのぼることになってしまうのですが、ある一言で心に傷を負ってしまったことがきっかけです。当時の友達にも事実を一切無視して『歌えない』ということだけで冷やかしやいじめにも逢いました。小学校、中学校でも、音楽の授業で合唱をする時間が苦痛でしかありませんでした。
今までの人生の中で歌った経験は3回だけしかありません。
とは言うものの、本気で歌ったのは高校の卒業パーティで同級生とカラオケに行ったときだけで、あとの2回はフォロワーとオフ会でカラオケしたときで、2回とも途中リタイア(最初は流したのはいいものの勇気が出ずにパニックになりかけて強制停止、2回目は歌い始めたものの自分の音域に合っていなかったため強制終了)しています。
でも、歌は駄目なのに、何故か楽器の演奏は大好きでした。
鍵盤ハーモニカや電子オルガンで適当に演奏したり、合奏でリコーダーのパートを本気でこなしたりもしました。中学に上がると、授業で作曲ソフトに触る機会が1ヶ月くらいあり、題材となる曲(版権)のマウス入力をしたことがありました。そして、それがDTMとの出会いでした。
その時はただ何となくやっていただけで何も感じませんでしたが、高校になってから、ふと中学のときのDTMを思い出して、有料ソフトの体験版を触り始めました。これがDTMに興味を持ち始めた頃の話です。
それからしばらく経ってから、フリーの作曲ソフトを見つけてDTMに明け暮れる日々が続きました。
高校を卒業し、短大に入学すると、本格的に作曲をするようになりましたが、音楽関係の短大ではなかったので、休憩時間や放課後、たまに授業中こっそりとやっていたこともありました。
短大を卒業し、本格的な就職活動もそっちのけで作曲を続けるくらいに時間を溶かしたかったのですが、結局近くの旅館にアルバイトで就職することに。
仕事は嫌いではなく、仕事によって好きなことをする時間が減ることの方が耐えられなかったくらいでした。結局そこから転職しましたが、正社員として入った所が完全なるブラックだったため、3ヶ月で鬱病寸前まで行ってしまい退職、その後2週間は全く自信も気力も無くし、ただ息をしているような状況だったと思います...その頃があまりにも酷かったため、記憶が曖昧になってしまって申し訳ないです。
そういうこともあり長時間労働が精神的に出来なくなってしまったので、半日パートタイマーとして別の場所に就職することになり、心にも余裕が出てきたためか、また創作活動を再開し、より高度なテクニックを身につけるために教材を購読し、深いDTM沼にどっぷりと浸かる日々を過ごしていました。
そんな中で、今はもう休刊となってしまっているDTMマガジンを買って読んだところ、後々になって運命的な出会いとなるVSTプラグインである、リリース間もない『AquesTone』を見つけました。
元々機械音声が大好きだったため、このプラグインに大きく引かれることになったのですが、この時使っていた環境と、作曲方針に大きな違いがあったため、しばらくPC内で眠りにつくことになってしまいました。
一時期はボーカロイドにも手を出しましたが、この時も作曲方針に合わずに断念しました。
それからしばらく経って、MIDI合作をしたり、より本格的なDAWを購入したり、作曲そのものが自分の中での最大級の趣味として、また、歌が歌えない自分にとって最大の神器(言い過ぎかもしれないですが本気でそう思っていました)だと感じ、最終的には自分の作った曲が収入になればいいなと、ささやかな目標をいつの間にか抱くようになりました。
あまりの熱の入れようで親からは反発を食らい、批判もされましたが、いつか見返してやるの精神で全く不快には思っていませんでした...その時は。
2011年から、少しずつ創作活動に闇が侵食しはじめてきました。
東日本大震災や、地元のサッカーのクラブチームの選手の訃報がありましたが、その事に関しては衝撃を受けたものの、ほとんど影響はありませんでした。しかし、それ以上にショックを受けたのは、応援していたレースドライバーのレース中での事故死で、2週間くらい体調不良(動悸と不眠)が続き、曲が作れないばかりか、生きることへの気力を失っていました。そこへ仲の良かったフォロワーの突然のアカウント消去など、悲しい経験があってからは、他人と距離を置くようになってしまいました。その時はまだ、適切な距離感を置くことが出来ていたので、人間関係の面では大した影響はありませんでしたが、創作活動という面においては、明らかにモチベーションが続かなくなっていました。
とは言うものの、ここから少しずつ転換期を迎えることにもなりました。
この頃から反動で深層的に女性寄りとなっていったと個人的に感じるようになり、かわいい物や癒しを求めるようになっていきました。
そんな中で、当時マイブームになっていた音ゲーのキャラクターである『ALT』という子を好きになり、あろうことか恋愛感情まで抱くようになってしまうという醜態を晒すことになってしまうとは、当時全く思っていませんでした。逆に、その子との出逢い、歪んだ感情を持たなければ、PCの奥深くで眠っていたAquesToneを発掘してキャラクターを付けて、自分の代わりに歌ってもらうということは無かっただろうと思います。
そして、新しい目標が生まれました。
「いつか大好きなALTちゃんと同じステージで、うちの子が活躍するのを見たい」と。
ここから公募のことを知るも勇気が出ずに応募断念、そもそもの点で実力不足を感じ始めました。
歌無しでは駄目だと感じ、本格的にボーカル曲を作り始めようと決心、それが2012年の8月21日、TILTが誕生するきっかけになりました。処女曲は1年近く待たなければいけませんでしたが、その初投稿での評価は上々だったのと同時に、自分では気づかなかったことを指摘して貰えるなど、自己承認欲求が満たされた瞬間でもありました。少なくとも創作活動においてはの話ですが。
仕事の方ではあまり期待通りの働き方とは遠く、年収が2桁万円という状況に疑問を抱くようになり転職することに。
作業時間が少なくなったことと、中抜け有りの12時間勤務ということもあって、精神的な余裕が無くなっていきましたが、それでもなんとか創作活動は疲れながらも続けました。そして、ある程度の自信が出来上がったため、実力を確かめるために公募への挑戦をすることになりました。
偶然にも、応募しようとしていたテーマと、もともと公開していた曲のテーマが合致していたため、急遽その曲を削除し、音ゲー収録用に再調整し応募した結果、審査が正式に通り、収録が決定した時には、ようやく今までの活動は無駄にはならなかったと同時に、強運を持ち合わせていたのだと思いました。
しかしそれでもバッシングを受け、何人かのフォロワーから切られたこともあり、嬉しさと悲しさが半分ずつではありました。でも、やっとここからが本当の始まりだと思うと仕方の無いことだとも思い、作曲を続けてきました。そして、その勢いのまま再び転職し、希望通りの勤務時間となったことで、少しだけではありますが、無理なく作曲活動を続けられるようになりました。でもある日突然、自分のやっていることは意味があるのか、本当にこれで良かったのかと自信が揺らぎ始めたあたりから、悪い方へ大きく変わり始めました。フォロワーの裏切りに逢い、それが完全に悪意のあるものであったため、人間不信にもなりかけました。それでも曲を作るのをやめることはありませんでしたが、公開し、評価が付くたび、そのことを疑問に思ってしまいます。『なぜ高評価しか付かないのか』と、本当は喜ぶべきことなのに、本当にそう思っているのかと疑心暗鬼に駆られてしまう状況に現在進行形でなっています。曲を作る度に自信を失うという程の本末転倒ぶりです。たった一人の行動で、ここまで変わってしまいました。でも、その人のことはもう何とも思っていません。どうなったかも興味ありません。ただ、その代償に、フォロワーやリスナーから投げられる好意にすら何の感情も無くなってしまいました。「なんで自分の曲を聴いてくれるのか、他にも良い曲を作る人は他にもいるのにどうしてか」とも思っていた時期がありました。
今でも定期的に、自分の作品が嫌いになるときがあるほどに落ち込んでしまいます。
一番あってはいけない『自分のアンチになる』という状況になりつつありました。
それでも転機は訪れるもので、今本格的に加入しているサークルはありませんが、初めて「曲を提供してほしい」と招待された時は久々に『本当に嬉しい』という感情で心が満たされ、幸せだった時もありました。今でも定期的に興味のあるサークルに楽曲を提供しています。そして、参加したことをしばらくして後悔し、書けない曲を無理矢理書いて、修正し、入稿し、収録されて、達成感を味わう、そんな小さな積み重ねが、こらから先の自分の自信になっていく、そう信じています。
本当になんの脈絡もテーマも無く、思ったことをただ殴り書きしただけですが、今自信を失いかけているDTMerがここにいるということを伝えたかっただけです。
何度も作曲活動をやめようかと考えたこともありました。しかし、どうしてもやめることが出来ません。

何故なら、『曲を書くのをやめる』ということは『自分の思いを伝えることを諦める』ことなのです。
そして何よりも、今メインで使っている『AquesTone』は、歌が歌えない自分にとって、自分の声の代わりとなるツールであり、自分の思いを伝えるためのかけがえのない『パートナー』でもあり、そのパートナーを裏切ってしまうことになってしまうのですから...

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