引きこもり長者

 あるところに、村瀬健治という男がいました。この男は裕福な家庭に生まれたので、進学校と塾に通いながら己の学力を磨き、とうとう大学受験を迎えて、ついに合格発表の時がやってきました。
しかし、そこには非常に重く、認めたくない事実だけがありました。男に用意されていたのは、ただの空白でした。つまり、男は落ちたのです。
…と、ここまでならただの悲しいお話なんですが、この男は違いました。この男は失敗の事実を知るや否や、すぐさま大学構内に駆け込みました。そして階段を四つほど駆け上がり、空き教室に入って、そこから窓まで大きな助走をつけて、窓に体当たり。窓は割れて、男の体は五階から地上まで真っ逆さま。しかしながら、地上にいた生徒達のおかげで男はすぐに救急車で運ばれ、一命を取り留めました。
目を覚ました男を迎えたのは、閻魔様でもなくキリストでもなく助産師でもなく、やっぱり現実でした。男は辺りを見回し、痛む体を知り、全てを理解しました。
男の病室に、複雑な表情をしてお母さんが入ってきました。お母さんの顔を見た途端、男はこう言いました。
「俺の精神力はもう尽きた。俺は人生に絶望した。死なせてくれ。」
もちろん、お母さんは認めません。
「何言ってるの健ちゃん。あれは運が悪かっただけよ。後一年頑張ればきっと入れるわよ。」
「俺はもう疲れた。もう勉強する気力もない。もう俺はだめなんだ。」
「だったら休んだらいいわ。しばらくは、勉強も何もしなくてもいいわ。」
「俺は、人と付き合うのが怖くなった。道行く人全て…いや、実を言うと母さんですら俺を嘲っている様な気がするんだ。」
「そんな、そんなことないわよ。」
「そうだと思いたい。でも俺は疲れた。だから、もう世の中の全てから、一人になりたいんだ。」
「…そういうことなら、田舎に一軒家があるわ。必要なものは全部送ってあげるから、そこで一人になりなさい。」
「わかった。死ぬのは、やめるよ。」
こうしてしばらくの間、男はお母さん公認のニートとなりました。しかしながら捨てる神様がいれば拾う神様もいるもので、引きこもりの神は男を手放しませんでした。男は自堕落な生活で味をしめ、引きこもりになりました。お母さんの言っていた「しばらく」は、一ヶ月から三年にも五年にも伸びました。困ったのはお母さんです。そこで、男が二十五歳になる頃、お母さんは一つの手を打ちました。
ある日男は、インターホンで目を覚ましました。
 「うるさいなあ。」
男は眠い目をこすりつつ、ゆっくりと玄関まで歩き、ドアまでくると小さな声でこう言いいました。
「誰ですか。」
訪問者はこう答えました。
「こんにちは、牟田口スクールです。村瀬健治さんですよね。開けてもらえませんか。」
牟田口スクールは、この辺りで有名な大手の引きこもり更生施設です。男は素早くドアチェーンをかけました。
「村瀬健治さんですよね。今チェーンの音がしましたよ。開けてください。お願いします。」
男の顔は真っ青になりました。しかし同時に、ある可能性に気付きました。それは、訪問者が鍵を持っている可能性と、もう一人の訪問者が窓から押し入ってくる可能性でした。
「大丈夫です。怖くないですよ。私達に任せてください。」
男は、もう訪問者の声など聞いていませんでした。そして自分の部屋から、ちぎれた電気コードを持ってきて、プラグをコンセントに挿しこんで電極を作りました。
と、その時、庭の窓が割れる音がしました。そして、庭からどたどたと恐ろしい足音をさせながら、もう一人の訪問者が走ってきました。男は驚きましたが、それでも冷静でした。男はとっさにそばにあった消火器を拾い上げ、もう一人の侵入者に投げつけました。消火器は男の首とあごに命中し、もう一人の訪問者は倒れました。
男がもう一人の訪問者が意識を失ったか確かめようとすると、後ろでガチャガチャと音がしました。見ると、いつのまにかドアの鍵を開けていた訪問者が、ドアチェーンを工具で切ろうとしています。男は電気コードで作った電極を、ドアチェーンに押し当てました。ぎゃあ、という叫び声がして、ドアはゆっくりと閉まっていきました。
その直後、男の頭はドアに叩きつけられました。意識を失わなかったもう一人の訪問者が、男の頭を殴りつけたのです。男の頭には強い衝撃が走って、男の体勢は大きく崩れまし。しかし、引きこもりの神様は男を見捨てませんでした。男の両手は反動で後ろに跳ね上がり、そしてその両手と電極はそのまま、もう一人の訪問者のひじと胸に当たりました。もう一人の訪問者はたまったものではありません。あああ、という長い悲鳴を上げて、もう一人の訪問者はまた倒れました。男はもう一人の訪問者の意識を確かめましたが、もう一人の訪問者は意識を失っていました。そしてそれは訪問者も同じでした。
男はもう一人の訪問者を玄関の外まで運び、訪問者のそばに置きました。そして、バケツで水を汲んできて、訪問者二人に浴びせかけました。訪問者二人は目を覚まして、そのまま逃げ帰っていきました。三日後、お母さんから電話がありました。牟田口スクールから違約金二百万円が支払われたそうです。つまり、男は勝ったのです。
しかし、男の引きこもり生活はこれで安泰、というわけには行きませんでした。お母さんが更生施設を送ってきたということは、お母さんが男に愛想を尽かしたということです。一ヵ月後、男のもとに急に五百万円が送られ、お母さんからの送金が止められました。お母さんを脅して金をせびろうとしても、お母さんは遠くにいます。そして、男は家の中です。窮地に立たされた男は、その日から枕を立てて神棚に上げて、毎晩一日もかかさずに寝る前に神様に祈りました。
「神様神様、引きこもりの神様、どうか私めをお救い下さい。」
しかし、神様からのありがたい返事はありません。男は、お祈りの効果が無いのは祈る姿勢が悪いからだと考えて、正座して祈りました。
「引きこもりの神よ、我を救いたまえ。」
それでも返事はありません。男は、引きこもりの神様の方を向いていないから、お祈りの効果が無いのだと考えました。でも、引きこもりの神様がいる方角なんてわかるわけがないので、男は毎日祈る方角を東西南北に変えて、四回祈りました。
「西にまします引きこもりの神よ、我を救いたまえ。」
それでも返事はありません。男が他にできることは、もうありませんでした。困ったときの神頼みとはよく言ったものです。男のお祈りは八方角八回になりました。
「北東におはします引きこもりの神よ、我をすくいたまえ。」
それでも返事はありません。お祈りはどんどんエスカレートして、それぞれの方角に変わるたびに、両手を高くふりあげてお辞儀をしたり、そのお辞儀も、各祈りの前1回、後2回という具合に増えていきました。それでも返事が無かったので、細かいルールがどんどん増えていって、とうとうお祈りの時間は二十分を超え、祈り終わった時の男は汗まみれになるほどにまでなりました。
それでも返事はありません。とうとう精神に異常をきたした男は、三日三晩あらゆる方角に自分の頭を打ち付けだしました。男は、不眠不休でお祈りをしているつもりだったのです。
「神よ、神よ、神よ、神よ!」
とうとう男の体力は尽きました。男は眠ってしまいました。
男はノンレム睡眠のようなレム睡眠をしていました。なので男は夢を見たのですが、それは視覚の無い、ただ声だけが聞こえてくるだけの奇妙な夢でした。
「村瀬よ、お前もやはり社会で生きていけないのか。しかし、お前も社会で失敗したとなると、そろそろ我の立場も危うくなってくる。我は引きこもりの神である。我はお前の失敗を望んでいない。よってお前に御神託を授けよう。しっかり覚えておくように…」
 目を覚ました男はパソコンを立ち上げてインターネットで、神から授けられたビジネスの広告をしました。その広告を見たお客さんが、ぽつりぽつりと男の家にやって来ました。あるお客さんは携帯電話を、あるお客さんはダンボールの中に入れたCDやポスターを、男に預けていきました。しばらくするとお客さん達はまたやって来てお金と引き換えに、預けたものを引き取っていきました。時々怒り狂った人が男の家にやってきましたが、男は金属バットや爆弾で丁寧に追い返していきました。そうこうするうちに、男の収入は支出に追いつきだしました。
「…村瀬よ、お前には立派に自宅を警備する力がある。お前は立派な自宅警備員だ。しかし、そのままでは社会で生きていくことはできない。他の警備員は生きていけるのに、である。では、自宅警備員と他の警備員との違いは何なのか。それは、守っている物の価値だ。お前の家はお前だけに大切なものであるが、他の場合はそうではない。だから、お前の自宅の価値を上げればいいのだ。では、どうやって上げればいいのか。例えば、お前の家に徳川埋蔵金が眠っているとする。すると、お前の家の価値はぐんと上がる。なにもこれは埋蔵金に限った話ではない。これがイージス艦の機密情報でもいいわけだ。だから村瀬よ、他人の秘密を預かれ。預かるのだ。決して売ったりしてはいかんぞ。預かれ!預かるのだ!」
男は神様の言いつけをしっかりと守ったので、男のビジネスは軌道に乗ってとうとう外交官までもがこれを使いだしました。こうして男はたくさんのお金を手に入れてお母さんと仲直りすることができ、幸せに暮らしました。
しかし、男は決してお母さんを家に入れませんでした。他人の秘密を預かっているからです。なので、男にはお嫁さんもできませんでした。晩年の男は一人でさびしく暮らしたそうです。でも、絶体絶命の引きこもりがここまで生き延びたんだから、めでたいお話なんでしょう。

2007/04/24

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