人民の模範を示した朝鮮でもっとも輝く星

 金銀豊かな麗しい共和国では、燦爛たる文化で育った賢い人民が、真理で一つになって全世界に先立って進んでいます。自己の運命の主人は自分自身であり、革命と建設を推進する源は人民にある――この人間中心の哲学の創始者である偉大な金日成主席は、民族受難の悲運にとざされた亡国の初期に生まれ、激動する内外情勢の渦中で人生の第一歩を踏み出し、幼いころから祖国と運命をともにし、同胞たちと喜怒哀楽を分かちあう道を歩みつづけ、人類の生活に未曾有の大きな痕跡を印し、世界の政治地図に刮目すべき変化をもたらしました。このように偉大な首領を戴いた共和国は軍民一致で富強祖国建設のために力強く進んでいます。

富強祖国建設では軍が強力でなければなりません。白頭山で粘り強く抗日武装闘争を続けた不滅のパルチザンである偉大な金日成主席はチュチェ19(1930)年6月30日、歴史的な卡(カ)倫(リン)会議の報告で抗日武装闘争路線を反日民族解放闘争の基本路線として提示しました。平和的方法ではつま先まで武装した日帝を打ち倒し、国の独立を達成しえないということを明らかにし、そして武装で全面的な抗日対戦を展開する道のみが、日帝の植民地暴圧から国と民族の運命を救う唯一正当な道であるということを闡明したのです。 これは革命の銃の上に国と民族の自主独立も、富強繁栄もあるという革命の原理、革命の法則を明示した思想です。このような先軍思想はチュチェ思想の原理とその原則的要求にもとづき、先軍革命原理と原則を科学的に定立しました。
・チョンテ(銃)哲学と先軍の原理は、先軍思想の基礎となる先軍革命
原理である。
 ・チョンテ(銃)哲学は、革命は銃によって切り開かれ前進し、完成さ
れるということである。
 この革命原理は大きく二つの本質的内容をもっています。まず、帝国主義などのあらゆる反革命勢力との熾烈な力の対決で決定的勝利をもたらす基本要因は、銃であるということ。そして、社会主義建設においても銃が決定的役割を果たすということです。先軍の原理は、軍は党であり国家であり人民であるという原理です。この原理の本質的内容は、軍によって党と国家、人民の運命が決定されるということです。革命軍隊が強ければ、たとえ党が崩れても再建できますが、軍が弱ければ革命の獲得物を固守できないのはもとより、党も維持できず国が滅びるようになり、人民は奴隷の運命を免れません。こういう意味で軍はすなわち党であり国家であり人民なのです。軍事優先の原則と先軍後労の原則は、先軍革命においてじつに堅持すべき原則なのです。このような軍事優先の原則は、革命と建設において軍事をほかのすべての活動に優先させ、それに最大の力を入れる原則です。
今日、世界中で猛威を振るっているのはアメリカ帝国主義です。野蛮なアメリカ帝国主義は人道にかこつけて世界中を爆撃し、世界征服の野望を遂げようと躍起になっています。したがって防空体制の構築は重要な課題です。
吉ヨンジョ飛行士はその日、元山上空で哨戒任務に就いていました。米帝の偵察機が飛んできたら直ちに撃墜する――これが吉ヨンジョ飛行士に課せられた任務でした。航空機の燃料は貴重です。したがって普通は偵察機を撃ち落とす任務は対空砲に割り当てられているのですが、ここ元山では重要な軍事計画が進められているので、早く確実に偵察機を撃墜する必要があったのです。
チュチェ85(1996)年のこの日、共和国にとって重要だったのは核開発です。核兵器を手に入れれば、共和国は軍事強国としての威容を世界に示すことができ、侵略に明け狂う米帝の強圧的政策を放棄させることができます。そうすればアメリカや南朝鮮、日本との対話も可能になって東アジアに平和と友好の明るい世紀が訪れます。しかし世界征服の夢を捨てきれない米帝は共和国の核開発を阻止しようと躍起になって、あちこちに偵察機を飛ばしているのでした。
もちろん、共和国は核戦争を望んでいません。東アジアの平和を第一に考え、偉大な金日成主席はアメリカと対話をしました。そして共和国の核施設を平和的利用に限定した核施設、すなわち発電用の軽水炉に切り替える準備をしています。しかしながら、アメリカが共和国の揚げ足をとって核施設を空爆するおそれがあります。もちろんその場合には人民軍が一丸となってこれを阻止するのですが、万一核施設が空爆された場合に対して対策をとらなければなりません。
そのような事態に備えてここ元山で製造計画が進められているのが、大型特殊工作機「先軍」です。「先軍」は破壊された核施設を解体するために設計された工作兵器ですが、核施設の解体中に米軍が「先軍」を狙って攻撃してくることが想定されるため、対空兵器などの火器や装甲なども搭載されています。「先軍」にかけられた予算と資材が多かったので、ついでにと戦闘能力もつけられたのですが、「先軍」をもっとも特徴づけているのはその形でした。
「先軍」は共和国の軍民一致を体現するべく、卓越して革命的で政治的、そして文化的な形をしていました。非常に巨大な金日成主席像の形をした「先軍」は、完成の暁には朝鮮人民の誇りとして大いに士気を高めることとなっていました。これは、敬愛する金正日将軍様によってだされた、主席の永生を体現した非常にすぐれたアイデアで、軍はその完成に力を入れていました。
しかし「先軍」の製造には大量の資材と技術、そして時間が必要でした。そのあいだにアメリカが「先軍」を察知すれば、アメリカは必ずこれを破壊しようとするでしょう。民族の一心団結の象徴を破壊するのは反動勢力の常です。日帝が朝鮮の風水を乱して民族の精気を奪うために杭を打ってまわったことは有名ですが、ソ連崩壊の時にレーニン像が倒されたことも有名です。また、旧日本軍の戦艦長門は連合艦隊旗艦として曲がりなりにも日本人を勇気づけていましたが、戦後アメリカはこれを接収して核実験で沈めました。またアメリカは富士山を赤く塗って士気を下げる計画も立てていました。アメリカは必ず「先軍」を破壊しようとするでしょう。
したがってアメリカの情報網から「先軍」を守らなければなりません。「先軍」は開発・製造中はその存在を極秘にされ、ただ「別荘」と呼ばれていました。そして完成後は一銅像として扱われることになっていました。
そう、その「先軍」、いや「別荘」の開発がここ元山で行われていたのです。吉ヨンジョ飛行士は戦闘機に乗って祖国の空を飛び、侵入者がいないかどうか目を光らせていました。
吉ヨンジョ飛行士は哨戒任務をりっぱにやりとげ、アメリカの偵察機は今日共和国の領空を侵犯することはありませんでした。そして吉ヨンジョ飛行士がそろそろ飛行場に帰還する頃になった時です。

吉ヨンジョ飛行士の機体の着陸装置が故障していることがわかりました。

これは非常に重大なことです。吉ヨンジョ飛行士の機体は地上に着陸することが不可能であり、もはや墜落するのみだと判明しました。自らの運命を悟った吉ヨンジョ飛行士は飛行場に最後の連絡をとりました。飛行場は吉ヨンジョ飛行士に脱出命令を出しました。
「われわれの飛行士は千万金でも替えられない存在だ。ヨンジョ同志、君だけでも生き残ってくれ」
吉ヨンジョ飛行士は断わりました。
「元山には偉大な金日成主席の『別荘』がある。元山に墜落すればアメリカの目は元山に向けられてしまう。飛行士は千万金でも替えられないが、『別荘』は億万金を出しても手に入れられない。本機はこれより東(トン)海(ヘ)(日本海)に突入し、輝く星となる」
そして吉ヨンジョ飛行士の最期の言葉はこうでした。

「将軍様万歳!」

こうして吉ヨンジョ飛行士は東海に向かって飛んで行き、光栄の道の中に散って行きました。アメリカの目が元山に向くことはありませんでした。
吉ヨンジョ飛行士のとうとい犠牲によって、「先軍」の開発は順調に進みました。しかし日本極右勢力の策動によって経済封鎖が始まり、「先軍」は資材不足におちいって、軍の方針がミサイル製造に転換され、とうとう製造は中止となりました。
でも吉ヨンジョ飛行士の成果はりっぱに発揮されました。「先軍」から解体された兵器は陸軍の兵器として生かされましたし、「先軍」の製造計画は漏洩することなく守られました。後になって日本軍国主義者が「先軍」と似たような発想で「お台場」という兵器を作りましたが、「先軍」の情報が渡らなかったので、「お台場」は「先軍」とは似ても似つかない、まったく劣った張りぼてにしかなりませんでした。
しかしそれより何より、吉ヨンジョ飛行士は空軍のあるべき模範を示しました。革命の首脳部を命で死守する自爆勇士としての姿をりっぱに示した吉ヨンジョ英雄は、空軍のもっとも輝く星として将兵等に光を示しています。
我々も吉ヨンジョ飛行士に続かんと吉ヨンジョ飛行大隊ができ、自爆勇士らをりっぱに育てあげようと「飛行士の歌」が作られました。

出撃だ 出撃だ
 我が隼たちよ
 祖国の青空を 守って飛ぼう
 我らは将軍様の赤い飛行隊
 この空は我らの決戦場だ
 我らの翼の上には太陽があって
 我らの翼の下には平壌がある

 見守る 見守る
 澄んだ瞳
 愛する人民たちが 我らを信じる
 命よりも尊い我が祖国のため
 滅敵の強き翼を広げて行こう
 我らの翼の上には太陽があって
 我らの翼の下には平壌がある

 あまがけよう あまがけよう
 不死鳥となって
 将軍様に仕え 祖国を守ろう
 我が祖国に敵が襲いかかってくれば
 勝敗を分ける決戦に この身を捧げよう
 我らの翼の上には太陽があって
 我らの翼の下には平壌がある

 我らの翼の上には太陽があって
 我らの翼の下には平壌がある

この歌がつくられた時、敬愛する金正日将軍様は一番に喜ばれ。チュチェ85(1996)年8月のある日、敬愛する金正日将軍様は人民軍の構成員にこの歌を紹介しました。歌詞の中の「我らの翼の上には太陽があって 我らの翼の下には平壌がある」という一節を示して。ここには最高司令部を決死擁護しようとするわれわれ人民軍将兵等と人民等の鉄のように堅い信念と意志が集約的に反映されているとおっしゃって、誰でもこの歌を聞けば、最高司令部を命を捧げて保衛した吉ヨンジョ英雄の示した崇高な精神を今一度胸熱く確認することになるとおっしゃいました。そして敬愛する金正日将軍様は、「飛行士の歌」を軍の中に広く普及し、「飛行士の歌」の録音テープを吉ヨンジョ飛行大隊に送らなければならないとおっしゃいました。
 敬愛する金正日将軍様が送ってくださった「飛行士の歌」を受けとった吉ヨンジョ飛行大隊の飛行士は湧きたつ激情をこのように表しました。
 「敬愛する最高司令官同志は私たちに歌だけでなく信念もくださって、さらに勇猛までをもくださりました。私たちは敬愛する最高司令官同志が送ってくださったこの歌を心臓で歌い、吉ヨンジョ英雄のように革命の首脳部を決死擁護する空の決死隊、肉弾突撃隊の先鋒になります」
 この誓いは、吉ヨンジョ飛行大隊だけでなくこの歌を聴いたすべての人民軍将兵等の一貫した決意でした。
 一曲の歌で千万の心臓を打って全軍を首領決死擁護の銃爆弾隊列でりっぱに育つようにする敬愛する金正日将軍様の卓越した音楽政治のおかげで、吉ヨンジョ英雄のような数多くの自爆英雄が首領擁護の気高い人生を輝かせることができました。
敬愛する金正日将軍様の偉大な音楽政治とともに先軍時代が産んだ吉ヨンジョ英雄のような自爆英雄がいて、人民軍は首領擁護の無敵強軍としてその威厳を天下に鳴り響かせています。

 英雄的朝鮮人民軍将兵等に栄光あれ!

2011/09/25

参考
https://web.archive.org/web/20090324044353/http://www.uriminzokkiri.com/Newspaper/doso/books/htm/2009-03-12-music/htm/31.htm

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