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To Tiny Masterpieces, To Many Fêtes: 地下で、表通りで

これはただただ自分のための備忘録だ。書かれているのはレーベルのはじまりの頃の話とそこにつながる前後の物語やさらにその前後の状況など。なぜ書こうと思ったのか。それはある人との会話の中で、これらのことを自分が次第に忘れかけているということに気づかされた為。そして今、忘却と焦燥の中でこれを書く。おそらく今後も記憶の断片の浮き沈みとともに時々書き換えられる。往々にして過去は変わりやすい。( )による脚注の多さは許してほしい。思い出しながら書いていると本旨をそれていても言いたいことが出てきてしまうことがある。ただし表題はおそらくぶれない、To Tiny Masterpieces, To Many Fêtes、小さな傑作たちよ、多くの祝祭よ、諸々ありがとう、ということ。


Fête: 自分なりの物語について

はじめにFêteについて。子供の頃から音楽が好きだった。両親の影響を強く受けた。ある種のディスタンクシオンだろう。感謝しかない。が、ここではその話には文字数を割かない。さて、自分にとってFêteと言えば、初めて組んだバンドの初めてのリハスタの予約(リハスタというのは「リハーサルスタジオ」のこと。親愛をこめて。で、そのリハスタの予約を学校のロビーでみんなで恐る恐るやった。電話で)から始まって、やがて進学した学校の最後の1年くらいの所で三宿かどこかの地下で知り合って今でも時々やりとりをしているUさん(と、唐突にイニシャルを出してしまうけれど本当に感謝している)に誘われて参加したバンドの喧騒があり、それが徐々に終わりを告げる頃に茶沢通り近辺でやった小さなイベントがあり、そのあたりまで。その長いようで短い日々の出来事が自分にとってのFêteだ。今となっては幻のようだ。その間、毎日、あるいは週に一回とか、沢山の祝祭があった。が、Fêteの始まりと終わりは今の所はまだ明確に覚えている。

Memories of youth

で、Fêteが終わり、或いは実際のところ何もかも終わりにして、そもそも演奏することよりも歌うことよりも聴くのが好きだと思い直し、そしてオーディオセットを一新してその通りにした。すなわち大量に音楽を浴びた。そこそこ働きながら、許される限り朝から晩まで次々と音楽を聴き続けた。ところが案外そういう時期は短くて、程なくしてかつて知り合いの、といっても顔見知り程度、といいつつ一緒にコンピなんかに収録したりされたりして親しみを感じていたあるバンドに入る事になった。かつてFêteの真っ只中にあってバンドのプロデュースを引き受けて下さったSさん(と、2人目のイニシャル登場だけれども、Sさんにも感謝しかない)の紹介だった。またFêteが始まった。何のことはなくて、結局バンドの喧騒が好きなのだ。何度も何度も楽器を積んだバンで高速道路を駆け抜けたり、郵送されたチケットだけを持って表通りを走りパスポートと楽器を抱えてどんなところのどんなイベントなのかも知らず飛行機に乗ったり。そのうち色々あって北米で暮らすようになったり。何にせよ祝祭は続いた。古い言い回しでいうならバンドは転がり続ける、だ。

Tons of music

で、最近また浴びるように音楽を聴いている。今回はオーディオセットは一新していないし、特に何が終わった訳でもないけれどもほんの少し感覚が変わったのかどうか、スピーカーの位置を変えたりして心地よいバランスを探ったりもしながら再び音楽を浴びている。ちなみにまだバンドは転がり続けている。

そんな中で忘れていたアルバムを発掘。Morgan Fisher監修の「Miniatures - 51 Tiny Masterpieces」。1分の曲が51曲(の大半)。これは確か学校のサークルの先輩から譲り受けたアルバムじゃなかったっけ。このアルバムには好きな音楽家が大量に参加していて、それなのに当時このコンピのことは知らなかった。ロバートワイアットもレジデンツも参加してるから絶対好きでしょ、もっとノイズっぽいのかなと思ったけど違ったからあげるわ。とかそんな感じで居酒屋的なところで言われて、後日サークルの部室で受け取ったように記憶している。今、目の前にこのアルバムのジャケットはあるというのにその記憶は曖昧だ。さて、アルバムは実際、次々と気になる人たちの、しかし全く聴いたことのないトラックが間断なく収録されている。だからかつて呆れるほど聴いた。その後もずっとこのコンピのことは気にはなっていた。映画とノイズミュージックに詳しい先輩の思い出と共に。

Miniatures · 51 Tiny Masterpieces Edited By Morgan Fisher (PIPE2)

自分でささやかなレーベルをやるようになったのは、これもかつてのFêteの真っ只中にあったバンドの周辺の色々な出来事を手伝って、世の中というものを学び、そこからこれもまた色々あって引き継いだものがあってそのために、という回りくどい理由からだ。しかしそんな理由はエクスキューズに過ぎず、単に自分がやってみたかっただけなのかもしれない。そんなきっかけでスタートしたこれが果たしてレーベルと言えるものなのかは今もって分からない。ただ、色々な理由や事情を抱えた人たちの意志や大人の世界やラジオ番組のこともあって、そして思うところもありインディペンデントレーベルがはじまった。レーベルを名乗るのだから音源が必要。音源を出すならまずコンピ。それも身近な知り合いだけを集めた小さなコンピ、短い曲、曲にもならない断片、メモ、そういうもの小さな箱に押し込んだようなものを作ろう、と。そう決めた。自然にタイトルはA sequence of tiny masterpiecesしかないだろう、と決めた。蛇足ながら一応補足するとこのレーベルは「miniature」ではない。縮尺が違うのではなくてこれ以上の長さや大きさたり得ない単なる「minute」なのだから。というのはモーガンフィッシャーとの違いとアンディーウォーホルへの配慮と単なる言い訳。もちろんモーガンフィッシャーが悪いという訳ではない。

そんなこんなで、レーベルとしてアナログプレスなんかしたりする合間にこれまでに4作、このA sequence of tiny masterpiecesシリーズを発信した。トータル15分にもなればこのレーベル名を名乗っている身としてはこのシリーズはいったん終わりかなと思った。ような気がする。またやるかもしれないけど。振り返るとこのタイトルのもとに集まってくれた人たちの楽曲は結果として間違いなくtiny masterpieceなものばかりだった。もちろん最高に良い意味で。そしてこれは自分なりの教訓だけれども、嫌いをばら撒いて共鳴する人たちの集まりよりも、好きをばら撒いて共鳴する人たちの集まりの方がいい。好きに共鳴するというのはとても緩やかで解れがちかもしれないけれど、あらためてこの4作を聴いてみてそう感じた。どう「いい」か、は心の中にしまっておこう。そしてこれを教訓ということにしておこう。つまり好きをばら撒くということ。地下で、表通りで。多くの小さな祝祭のために。

To many fêtes

いつかもっと整理して言葉にしたいとは思うものの、このアルバムを聴いてる間に書き殴っておかないと忘れてしまいそうなのでハイコンテクストとローコンテクストの間で一気に書いた。そしてその後、少し修正加筆した。自分による自分のための前史。


It’s a sunny day: 仲間たちについて

レーベルやラジオやバンドやイベントを通じて知り合った様々な、全ての人たちと分かり合えた訳ではない。それは致し方のないことだ。例えば9割一致しても残り1割のためにその人と違えることもある。一方で少しの人たちとはだいぶ長い付き合いと言える境地にもたどり着いた。その境地に集う人たちについて仲間と言ってしまうことに差し支えはないだろう。仲間には知り合った当初と今では全く異なる活動をしている人もいる。すでにこの世から去ってしまった人もいる。かと思えば変わらず一つのことを追求する人もいる。その上で仲間とは、という切り口で言うならクリエイションそのものはきっかけに過ぎなかった、というのが今の心境だ。そしてそれぞれの道を歩む仲間たちの刺激を今も大いに受け続けている。

Now in progress, now in progress

あるイベントの控え室とその後の出来事。かつてFêteを一緒に駆け回った仲間と遭遇したことがあった。ごく簡単なあいさつと近況を伝え合っただけだったが、駅のホームで再び遭遇した。そこで近所に引っ越していたことを知る。10分くらい、つまり束の間、以前のように創るということについて話をした。今は絵を描いているという。この人の感性には常に驚かされるし刺激を受けてきた。このわずかの時間の対話も本当に刺激になった。

今はオンライン上でのやりとりが大半になってしまったが、かつては番組作りの現場やイベントを通じて多くを教わった尊敬すべき人もいる。こういう場合も仲間と言ってしまって差し支えないだろう。今でも毎月1回はやりとりがある。この人の静かなる情熱には敬意を表したい。

学校ではお互い顔見知りではあったけれどもほとんど会話した記憶のない人と卒業後に急速に親しくなったということもあった。お互いに好きな音楽が似ていた。当然同じ学校だったので共通の知り合いも多い。ところが二人で会話する時以外は、つまり集団の中にいる時は音楽の話はいっさい出てこない。オンライングループチャットでもそれは同じだ。再び二人の会話に戻ると今度は音楽以外の話はいっさい出てこない、或いは全ての話は音楽につながる。そういう関係だ。

あるダンサー、ある作家、あるバンドマン、ビジネスパーソン、海を見下ろす丘陵に眠る人、あるいは説明困難な何かに取り組んでいる人、様々な人たち。決して多くはないが豊かな仲間たちに囲まれて仲間たちの刺激を大いに受け続けている。そして永遠に未到達な仲間との会話が続いている。というのが今の状況だ。その観点からはようやくマイルスデイビスが言うところのソーシャルミュージックの入口に立ったということかもしれない。


How long will it lasts: 今という感覚について

ビートルズ名義の最後の新曲としてNow And Thenという曲が2023年に発表された。まさか2023年にビートルズの新曲を聴くことになるとは。

この曲について書く趣旨ではないので楽曲については触れない。しかしNow And Thenが円環のようにLove Me Doに続くことも含めて思うところはあった。それは何事においてもある出来事について、ある事象について「どう終わらせるか」「どう終わるか」ということ。ThenとNowはあるがその先はない。その上で、Nowは必ずしも終わりではないが、終わりを宣言することも一つのNowだと言える。何事もはじまりと終わりがある、という見方。祝祭にも始まりと終わりがあった。何事においてもそうなのかもしれない。質量が保存されるのが法則だったとしても、だ。

今のところ、レーベルは続いている。最初のFêteが終わろうとしていた頃よりもはるかに小さくささやかな世界に閉じこもりながら続いている。終わりとはどんなものなのか。Fêteの真っ只中にあってそれは自分には分からなかった。さらに言えば、分からなかったが分かったふりをしていた。その頃バンドで歌っていた曲の歌詞に「I mean how long will it lasts」というフレーズがあった。今の話との兼ね合いでいえば、いつまで続くか、いつ終わるかなんて分からないということを分かったように歌っていたということになる。しかし少しずつではあるけれど分かってきたような気がする。だから続いていると言う見方もできるかもしれない。慈しむという言葉はこう言う時に使うことも許されるように思う。

Thenの積み重ねがNowなのだとしたら、Nowはやがて来るいつかのThenになり得る。そう信じる開いた思いと、そもそも「もう来ない」かもしれないなという閉じた思いがある。終わらないと始まらないのか、終わればそれで終わりなのか。どちらにせよいつか何かが終わる。だから慈しむ。明鏡止水にも円環にも程遠いが、ビートルズ名義の最後の新曲を聴きながら、そしてたまたま自身の境遇もあり、Now And Thenを巡って、あるいは自身に照らし合わせてあらためて今という感覚に意識的になっているのかもしれないがそういうことを考えていた。ビートルズの2曲。約6分半のEPに込められた哲学だ。


Far away from everywhere: 今より先を想像することについて

再びかつてのバンドの歌詞からの引用になるが「Far away from everywhere」と歌っていたことがあった。何かを探していたのか、あるいは探しているという体が必要だったのだろうと思う。おそらく逃避ではない。何かその時なりの精一杯の求道的な側面があったのかもしれない。

To many fêtes

今はかつてそうであったような全方位的なストイックさというのは剥落しているように思う。鋭利さも薄れているかもしれない。一方で、受容という言葉や慈しみという言葉が連想するような景色には少し近づいたように思う。

最初の祝祭が終わり、次のバンドが転がり続け、レーベルがはじまり、どんどんエリアを拡げていく。しかしある時から軌道を描きつつ徐々にスピードを落としていく。少しずつ何かが振り落とされ、軌道は途切れがちになり、光は弱まっていく。何が残るのかはまだ分からない。かつてのことを次第に忘れかけていることと引き換えに、かつてのFêteの答え合わせがはじまったように思う。記憶が鮮明なうちは答え合わせなどとても出来なかった。一方で、この先のことはこの後に及んでまだ分からない。