『うっせぇわ』は別に反抗の歌ではないと思います

「『うっせぇわ』みたいな歌って、反抗のふりして逃げてるだけだよね。『殴ったりするのはノーセンキュー』とか寒くない?」(大意)みたいなツイートをみました(一応元ツイートを張っておきます)。

うっせぇわ好き……というか、その作り手たちが好きだったであろうボカロ文化好きとしてはちょっと悲しかったので、擁護の気持ちを書いてみた。

『うっせぇわ』みたいな歌って、反抗のふりして逃げてるだけだよね

まず、そもそも『うっせぇわ』は逃げの歌だと思います。
これはツイート主と曲の解釈が違うということですが、それだけじゃなくて、『うっせぇわ』の作り手が影響を受けたボカロ文化では、こういう歌を反抗というよりは逃げの歌としてみてたよな、ということです。

『脱法ロック』が良い例だと思います。

まさに「現実逃避に縋れ」とか言ってますね。ロックといいつつロックじゃないというか、実は反抗する気なんて更々ないわけです。サビで出てくる、真っ暗な部屋でテレビに向かってサイリウム振ってる少年とか、その感じが凄い出ていて私は好きです。

『うっせぇわ』がこういう、なんちゃってロックとでもいうのでしょうか、の流れを受け継いでいるのであれば、あの少女も別に反抗するつもりなんてないのでしょう。そう考えると、「殴ったりするのはノーセンキュー」という歌詞にも味が出てくる気がします。本当に反抗するのはごめんだけど、脳内ではイキり散らかしている感じがよく表れているというか。
なので「反抗のふりして逃げてるだけだよね」と言われたら、あの少女は「その通りですが、何か?」って言う(……のではなく、表面上は「仰る通りです! お恥ずかしい……」とか答えつつ、脳内でボロカスに言う)のでしょう。

ですので、『うっせぇわ』が好きな人に向かって「反抗のふりして逃げてるだけだよね」というのは、なんというか、川柳書いてる人に「俳句のくせに季語がないじゃないか」というようなもので、的を外している気がします。

ちなみに。ボカロ文化がそれまでのCD文化と違ったのは、こういう惨めな感情を肯定する作り手が多かった点にあると思います。というか、CDは出せないような作り手たちが、負の感情をニコニコ動画で吐き出していた、という方が順番としては正しいでしょうか。今でこそ『命に嫌われている。』とかが紅白で流れるようになりましたが、あれって2021年ですしね。

開き直るなよ、悪趣味なことに変わりはないだろ

ツイート主が言いたかったのは、『うっせぇわ』が反抗か逃避かなんてことではなくて、そもそも逃げてるだけの歌をありがたがる若者は悪趣味だよね、ということかもしれません。
たしかに、反抗するふりして逃げてるだけ、そのまま大人になって似たような社会を再生産する……というのではうんざりします。ジョセフ・ヒースみがありますね。
ただ、それでも『うっせぇわ』は趣味の良い曲な気がします。

ボカロ文化というと、初音ミクとかが速かったり高かったりする曲を歌ってる(?)イメージかもですが、そのサブジャンルとして、原曲を人間が歌って再投稿する、という〈歌い手文化〉を加えてもいいでしょう。『命に嫌われている。』を歌ったまふまふさんとかも歌い手ですよね。
で、どういう歌い手が優れているか、その指標は色々あったと思うのですが、その一つに、がなりだとか裏声だとか、ボカロには難しい表現によって曲の新しい解釈を提示してみせる、という観点があったと思います。

なんか良い例ないかな、と思って探してたら、ちょうどいいのがありました。

『神っぽいな』という曲で「とぅとぅる とぅとぅとぅる 風」という謎フレーズがあるのですが、たしかにラプラス・ダークネスさんの歌唱には私も衝撃を受けました。

何がいいたいかというと、ボカロ文化の発展を通じて、それまでだったら過剰と思われていたような表現技法が洗練されていったのでは? ということです。
そう考えると、Adoさんはそうした歌い手文化の極北といえるのではないでしょうか。
内容云々の前に、誰もが「はぁ?」というがなり、「うぇせぇわ」を交互に1オクターブずつ、しかも地声と裏声を切り換えながら飛ばすテクニックに驚嘆したはずです。さらに、syudouさんは当然、Adoさんのヤバさを世界に伝えるべくあのような音運びにしたのでしょうから、歌唱だけでなく作曲も評価されて然るべきでしょう。
このように考えると、『うっせぇわ』にハマる人は趣味が悪い、とはとてもいえないような気がしてきます。歌の内容が欺瞞的であることが、曲の評価において減点対象だと仮定しても、syudouさんとAdoさん、二人の作り手による作曲点と歌唱点は、この曲はヤバい、と人に感じさせるに十分ではないでしょうか。

ちなみに②。サビで1オクターブ飛ぶこのパターンは、最近の流行曲でよくみかける気がします。

『シャルル』とか(というか、これが元祖なイメージがあります)、

『PAKU』とか。

曲としては良いとしても、やっぱり現実逃避はダメじゃない?

曲としての評価もどうでもよくて、ツイート主はただ「逃げるな、抗え」と仰りたいのかもしれません。なんちゃってロックですっきりしてんじゃねーよ、と。
そして、この点に関しては正直、私も自信をもって『うっせぇわ』を擁護することはできません。

『砂の惑星』という曲があります。

ハチさんというボカロPが、米津玄師という名前で活動し始めてボカロを離れ、突然カムバックして投稿した曰く付きの歌です。
「もはやニコニコは『今後千年草も生えない砂の惑星』になっちゃったので、『早くここを出て行こうぜ』(でも少し寂しいね)」みたいな歌だと解釈しています。

たしかに、安全圏から好き勝手いうだけのボカロ曲はもはや行き詰まり感があり、2010年代半ばくらいまでの勢いはもうないように思われます。ニコニコで発信して界隈で盛り上がる、という形は廃れ、Adoさん、yamaさん、ikuraさんなど、表現力がカンストしている歌手の方々に楽曲を提供するクリエイターになるボカロPの方々が目立つようになってきました。

そう考えると、『うっせぇわ』はボカロ文化の極致だが、内容的にはニコニコで使い古されたパターンが世間には目新しくみえただけ、という評価を、私は否定しきれません(それでも高く評価されるべきだと思いますが)。

ちなみに③。『砂の惑星』の直後くらいに米津さんが作ったのが『Lemon』です。
死と正面から向き合う姿勢は、「人生のネタバレ『死ぬ』っぽいな」と茶化す『神っぽいな』とは対照的に思われます。私はどっちも好きですが。

ボカロ文化はオワコンか

結局、ボカロ文化は速かったり高かったりネガティブだったりする曲やピーキーな歌唱テクニックをもたらしたものの、もはやその役目を終えた、と評価するのが妥当なのでしょうか。正直、私には分かりません。

ところで、最近、ずっと真夜中でいいのに。 というアーティストにハマっています。おそらくボカロの影響を受けているであろう作風・歌唱なのですが、ボカロ曲には感じる閉塞感がありません。新しい音楽を届けてくれている感じがします。うまく言語化できませんが。
とにかく、こういうかっこいい曲が増えると私は嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?