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【筆】水谷孝 ✕ 山口冨士夫 ...邂逅の奇跡

裸のラリーズはその長い活動歴の中で、様々なミュージシャンがラリーズのメンバーとして加わり活躍しました。
その中でも特別な意味を持っているのは、山口冨士夫という稀代のミュージシャンの参加ではないでしょうか。

水谷さんはもともと村八分のチャー坊と親交があったそうで、水谷さんと冨士夫さんが出会うきっかけになったのはチャー坊の紹介だったそう(山口冨士夫 著書『村八分』より p56)

山口冨士夫 著:『村八分』

そして1970年7月26日に富士急ハイランドで行われたイベント「ロック・イン・ハイランド」にて水谷さん、チャー坊、冨士夫さん、恒田さん、青木さんというメンバーが揃って演奏をして、その時のバンド名が “裸のラリーズ”

それから水谷さん(裸のラリーズ)と他のメンバー(村八分)は袂を分かちそれぞれ活躍されていくのですが、水谷さんが冨士夫さんと再び邂逅することになったのは1980年
その時期のラリーズは、中村さんやサミーさんやヒロシさんといった70年代の中心メンバーが次々離脱した頃でした。
新たにメンバーとなったドラムの野間さん、元OZのスタッフでその後ラリーズのスタッフとして活動されていたというベースのドロンコさん、ここに新たに加わったギターの冨士夫さん

山口冨士夫 著:『So What』※2008年再販版の表紙(オリジナル版は1990年発売)

冨士夫さんの著書『So What』によると、冨士夫さんが参加した直後(1980年)に、国立に新しく出来たMARS STUDIO(マース・スタジオ)でレコーディングしたそうです。
3ヶ月ほどスタジオにこもってレコーディングしたそうですが、その音源は最終的にはリリースされることはありませんでした(『So What』p160〜p162参照)。

なおこの時期のラリーズは、メディアへの露出が多い時期だったようです。
雑誌『HEAVEN』第6号にカラー写真中心で特集。
9月11日の屋根裏ライブを受けて雑誌『ヤング・ギター 11月号』にライブレポ記事。
11月7〜8日の神奈川大学でのライブレポが載った雑誌『DOLL No1(1980年12月発売)』
また冨士夫さん著書の『So What』には当時のライブ写真が幾つか載せられています。

雑誌『HEAVEN』第6号

ここで冨士夫さん参加期の、ラリーズのライブ記録を記載します。

  • 1980年8月14日 渋谷:屋根裏

  • 1980年9月11日 渋谷:屋根裏

  • 1980年10月29日 渋谷:屋根裏

  • 1980年11月7日〜8日 神奈川大学3号館301教室『100時間劇場』

  • 1980年11月23日〜24日 法政大学学生会館ホール『IMAGINATIVE GARAGE for STREET SYNDICATE』

  • 1980年12月13日 渋谷:屋根裏

  • 1981年3月23日 渋谷:屋根裏

水谷さんの轟音ギターに冨士夫さんのブルージーなリフが絡むという他の時期にはないオンリーワンの演奏。
80年8月屋根裏での、『夜、暗殺者の夜』での強いグルーヴ感や歌の鋭さ。
80年10月屋根裏での、まさに “唯一の花” といえる演奏となった『Enter the Mirror』。
80年11月神奈川大学での、40分を超える圧巻の『夜より深く Part 2(仮題)』。
ホールの反響を最大限活かした轟音ギターと、冨士夫さんのブルースギターが(良い意味で)喧嘩し合っているハードな80年11月法政大学。
1980年の総決算とも思える、沢山の曲を演奏して濃厚な内容の80年12月屋根裏。
そしてこの形態での最終となり、オープニングとエンディング2回演奏する『The Last One』や、いつになくレイジーで不吉さをはらむ81年3月屋根裏。

どの公演も個性的で素晴らしいものが聞けました。

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