「人は悪魔に熱狂する」を読んで取り入れること!!!

■本レポートの抜粋

本書の著者はデータサイエンティストです。ビッグデータのような大量のデータの分析を専門とする職業です。その立場にありながらデータに対して疑問を呈していることに、最初は意外性を感じました。しかし読み進めていくと、データを過信するあまり見えなくなる人間の「悪」の側面を、行動経済学の理論を使って解きほぐそうとしていることがわかります。常にデータに接しているデータサイエンティストだからこそ、データそのものでは十分に露わにできない人間の本質に、自然と目を向けるようになったのでしょう。

行動経済学は、人間の心理に焦点をあてて経済的な事象を説明する学問分野です。従来の経済学では、「神の見えざる手」に代表されるように、人間は合理的に行動することを前提に置きます。行動経済学では逆に、理屈や損得勘定だけでは説明できないような誤った行動をとります、人間の非合理性を前提としています。人間がそうして様々なバイアスにさらされる原因を著者は「煩悩」に求めているが、説得力の高い説明によってその根拠を示しています。

新たな商品やサービスを世に送り出す際、「合理的な判断をする人間」を前提にしているようでは、熱狂は生まれません。それではヒット商品を送り出すことは難しいです。すでに、便利で豊かな生活を享受している私たちを熱狂させるためには、人間が持つ「悪」を刺激する必要があるのです。消費者行動が多様化しているうえに、変化が急速であるという困難な時代において、行動経済学の重要性は増しています。

ーーー書籍情報ーーーーーーーーーー

■著書名:松本健太郎

■著者名:人は悪魔に熱狂する

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■バイアスに気づけ

データは事実を示すが、必ずしも真実であるとは限りません。アンケート結果などに基づき消費者ニーズを汲んだつもりで商品開発を行なっても、期待に反して売れないことがあります。本質を鋭く見抜き、データでは欠落している部分を推論で埋めながら仮説を立てて検証し、正しい結論を導く洞察力が求められます。

そもそも、人間は合理的ではありません。健康を心がけている人が、空腹に耐えかねて肉厚なハンバーガーを食べることもあります。意思決定に歪み(バイアス)が生じることで、合理的に考えれば選ばないような選択肢を自ら拾ってしまうのだといいます。このようなバイアスまみれの人間心理の究明を目指しているのが行動経済学です。

人間の内面には良い意思決定としての「善」だけではなく、煩悩にまみれた「悪」の欲求も潜んでいます。この「悪」こそ人を熱狂に駆り立てるのであり、それに負けまいとするのが人間の本質だといいます。それを理解しないまま「善は悪に勝つ」といった単純な枠組みで世界を見ている限り、どれだけデータ処理の理論を学んでも「データの嘘」に気づけず、本質を見抜く洞察にもたどりつけません。

実際、世の中のヒット商品を分析してみると、必ずといっていいほど人間の「悪」、煩悩の部分を突いていることがわかる。膨大なデータを眺めてヒットの確率を予想するよりも、人間の悪の側面からヒットを予測する方が成功する可能性はずっと高いのだ。

■人間の欲求が生む「悪」

アメリカの心理学者アブラハム・マズローは人間の欲求を5段階に分け、その最下層に「生理的欲求」を位置付けました。食欲もその1つです。食べ放題は人間の最低ランクに位置するこの欲求を刺激するものであり、これが満たされることで自己実現などのさらに高レベルの欲求を追求できるとします。

その一方で、損をしたくないという強欲で悪魔的な側面が人間にはあるといいます。食べ放題に行けば原価が高そうなメニューばかり頼んだり、必要以上に食べ過ぎてします。たしかに、元をとろうとしても無意味なのに苦しくなるほど食べるのは、食事の楽しい雰囲気を台無しにするかもしれません。しかし、そんなキレイごとだけでは済まされないのが人間の心理です。

それから、マズローの欲求5段階説において、上から2番目に位置付けられるのが「承認欲求」になります。これは現代的には「意識高い系」と同義な欲求です。他者から認められたい、あるいは自分を価値ある存在として認めたい。それによって自己が確立した状態を目指します。特に他者承認欲求は厄介で、相手に認められるまで人間はとことん強欲になります。SNS上で「いいね」「フォロワー数」「再生回数」欲しさに奇抜な行動に走ります。

承認欲求は一種の煩悩だが、「他人に認められたい」と考えること自体は決して悪いものではありません。それをバネに努力を重ねて成功をつかむ人もいます。いずれにせよ、承認欲求を満たしてくれる悪魔的な商品・サービスの方が、多くの人に支持される可能性が高いのです。

■怒りは社会を変える

科学的なデータを見れば地球温暖化はたしかに進んでいます。しかし人間は、自分の知識にしがみついて「まだ大丈夫」だとリスクを過小評価する「正常性バイアス」によって、不安から逃れようとしてしまいます。地球に気候変動のような危機など迫っていないと考える人がいるのも、このようなバイアスが原因です。

地球温暖化が一向に解消されない状況に一石を投じたグレタ・トゥーンベリさんには、「実現不可能な正論にすぎない」という批判を向けられています。彼女の議論がデータに裏付けられた正論であるとわかっているからこそ、反発する大人が出てくるのです。しかし、地球温暖化対策の議論が明確化したのは、冷静さよりも彼女の「怒り」という「悪魔的感情」の力です。

男女差別への怒りの力も世の中を変えます。2018年8月、東京医科大学をはじめとする多くの大学で、性別を理由に不当に得点調整していたことが判明しました。驚くべきことに、当事者である医師の65%が医学部入試における女性への一律減点に理解を示しているという調査結果もあります。その最大の理由は女性医師の離職問題です。日本で深刻化する医師不足を解決するために、産休・育休が必要な女性医師を敬遠すべきだという「もっともらしい意見」だけで判断し、誤った結論に導かれてしまったのです。

こうした差別、「社会の悪」には「バイアスという悪魔」が関与しています。なし崩し的に容認されている「現状」を変えるために、私たちはもっと怒ってよいのだといいます。

■本音が説得力をもつには

建前と本音、つまり表の顔と裏の顔を使い分けるのが大人の世界に特徴的なコミュニケーションだといいます。

ただ、建前だけでは疲れてしまうのか、テレビやお笑いの世界でも「本音」トークが受けています。ビジネス記事やビジネス書の世界で「本音」「毒舌」で人気といえば、堀江貴文さんを思い浮かべる人も多いでしょう。実際に、堀江さんが著者名に入っている書籍のタイトル、帯文を分析すると3つの特徴が浮き彫りとなる。否定の意味でつかわれる「ない」という言葉が多いこと、「金持ち」「稼ぐ」などお金に関する単語が頻出すること、「バカ」「嫌う」といったネガティブな単語が登場することです。

こうした、キレイごとだけではない「本音」こそが、熱狂的に支持される理由です。ただし、堀江さんの成功の裏には超人的な努力もあります。それが自分の「権威」を高めることにもつながっているからです。悪魔的とも呼べる説得力の源泉は、努力して成功することにこそあるとも言えます。

■怠惰はイノベーションの源

日本では、手を抜ける場面で楽をすることが「悪」で、一生懸命努力することが「善」とされがちです。しかし、ブラック企業はそれを逆手にとって休まない人間を高く評価します。自分たちの中に「怠惰」という「悪魔」が潜んでいることを認め、適度に休むために効率の良い仕事の仕方を考える方が、よほど生産性の向上につながるのだといいます。

この怠惰は、むしろイノベーションの源となります。女性の社会進出が進み、共働き世帯が増えている中で、家事のアウトソーシングやデリバリーサービスは大きく注目を集めています。しかし日本人は、「楽しよう」という呼びかけを前面に出しすぎると拒絶反応を示します。ビジネスの「熱狂」を生むためには、受け入れやすい範囲内で「怠惰」を推奨する工夫が必要となるのだといいます。

■キレイごとでは熱狂は生まれない

「SDGs(持続可能な開発目標)」への関心は高まっており、率先して取り組みを強化している企業も多くあります。たとえば「脱プラスチック」の流れから、2020年7月には全国の小売店でビニール袋の有料化が始まっています。

しかし、世界経済フォーラムによれば、日本で「SDGs」という言葉を聞いたことがある人の割合は49%で、28カ国中最下位だったといいます。少なくとも日本の一般消費者は、SDGsはキレイごとだと冷笑的な態度をとってしまっているのではなかろうかと著者は言います。いかに合理的で良いテーマであっても、論理だけでは大衆は動きません。SDGsを盛り上げるためには、感情に訴えるストーリーが必要だといいます。

対象に感情移入し感情を強く揺さぶられると、人間は論理的な判断ができなくなります。共感が熱狂を巻き起こすのです。この仕掛けがないまま理想に接したとき、人は冷静で論理的な判断によって行動してしまいます。キレイごとではモノは売れません。

■イノベーションの本質とは

社会をよくしようと生み出したイノベーションが、必ず社会に受け入れられるわけではありません。新技術に対する期待が大きくなりすぎて過剰評価してしまう、「イノベーション推進バイアス」に陥っているケースも少なくないのです。

AIの可能性を示した「AI美空ひばり」が、NHK紅白歌合戦に登場後、その完成度の高さにもかかわらず視聴者から戸惑いや批判の声が数多く寄せられ、炎上することになったことは記憶に新しいかと思います。AIが仕事を奪うという論調も行き過ぎた考え方です。AIが普及することで個別の業務の中には自動化されるものもあるかもしれませんが、その分新たなタスクや職業が生まれる可能性もあることを忘れてはならないのです。

その一方で、AIに代表される新技術の活用や浸透によって既存の社会に変化が生まれ、デジタル化や自動化が進んでいくことは間違いなさそうです。欧米各国ではこれに対応するための再教育にリソースを割き始めているが、日本では新しいものに怯え、デジタル化に対応できない臆病な意思決定権者もいます。この「変わらない日本」への苛立ちが、イノベーションに対する極端な賛同につながっているのかもしれないといいます。

■確率が持つ魔力

人間は確率に弱い生き物です。1%の確率でレアアイテムが当たるガチャがあった場合、毎回99%の確率で外れることは変わらないのに、100回やれば当たるかもしれないと直感的に考えてしまいます。これを「ギャンブラーの誤謬」といいます。ほぼ完全なランダムなのに、「流れ」「運」などと傾向を見出そうとして判断を誤ってしまうのです。

大行列ができるほど多くの人が同じ宝くじ売り場で買えば、高額当選が続出するのは当然です。それでも思わず列に並んでしまうのです。人間は確率を無視して判断しがちなのだといいます。「ガチャ」が大流行しているのは、確率に弱いという人間の本質を洞察した結果だといいます。

また、ランキングを利用して熱狂を生み出す方法もあります。一見すると信頼性や妥当性がありそうで、実際は自分に都合の良いデータの集め方をして、人を騙せるランキングを簡単に作ることができます。「食べログ」に代表されるように、日本人の多くは周囲が「良い」とする意見に賛成する性質があり、事実を確認しないまま順位付けされた結果だけを受け入れがちです。こうしてランキングは、購買行動への躊躇を減らすのです。

■占いが持つ魔力

洋の東西を問わず、古くから様々な占いが知られています。科学がどれだけ進歩したとしても、占いを信じる人は決して少なくありません。占いは統計学だとも言われるが、人相や手相も過去の経験則を集めたものであり、科学的な再現性に欠けているともいいます。

とはいえ、気が楽になるなどの「効能」を占いに感じる人もいます。占いはその代表例で、やさしい言葉で自己肯定感を高めてくれます。それがよい結果につながる可能性を考えると、占いが当たるかどうかはもはや本質的な問題ではないでしょう。客観的なデータより主観的な幸せに寄り添って不満を解消してくれるサービスとして、占いは人気があるのです。

■正しそうなデータの魔力

『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(日経BP社)が世界的ベストセラーになっている。タイトルは「データや事実にもとづき世界を読み解く習慣」を指す言葉です。

しかし、この本で示される事柄は本当に「ファクト」に基づいているのでしょうか。たとえば、国家所得の参照元とした世界銀行の統計データは、政治的な妥協と多くの恣意性をはらんだデータです。数字の全てが実態を表わしているとは限らないのです。

人間は正しいデータに基づいて正しく判断できる、と私たちは無意識に思い込んでいるふしがあります。しかし、人間は時と場合によって非合理的な意思決定を行なうし、記憶も思考も歪んでいます。むしろ、データは間違っているとの前提に立つことが、正しい判断を下すために必要なこととなります。それは、大ヒットの実績がある本の収録データに対しても同じです。

人は、自分の判断の不確かさから、「正しいとされているもの」にすがろうとしてしまうのだといいます。

■今後取り入れること

1)人の心理の両面を見る

人が行動するときには未来に対する期待や、恐怖に対する解決策として行動に踏みきることがあります。また、わからないときには何かにすがろうとしたり、世間の言っていることに乗るみたいな安易な考えをするケースもあります。したがって、きっとこうだろうという一方向で考えるのではなく、その逆側から心理を読み解くことも意識してみるようにしセールス現場でいえば、仮にだめでも、他の提案が刺さる状態を作っていきます。

2)本音の説得力をもつ

スポーツの世界に出たら、歳や社歴など関係なくチームの勝利のために本音で話勝つためにウィークポイントになるところは、全員でカバーして強味に関しては、圧倒的に磨くはずです。

ビジネスも同じであり、勝つために何をするべきなのかを本音で言えるようになる必要があります。ホリエモンの例がありましたが、それを言うための努力は必須項目になるので、日々の努力を積み上げていきます。

3)なんでも信じない

世の中には多くの情報があふれています。何かしらの判断や結果をもとにその情報が正しいと判断することも多いですが、それが最適な答えとは限りません。仮に今の時代の一番いい方法だとしても、時代の変化によって最適ではなくなることも多くあります。したがって当たり前にやっていることを、最適と思わず、もっといい方法はないのか、もっと効率よくできるのではないかを考えて追及していきます。