教皇ベネディクト十六世『聖パウロ』(ペトロ文庫、2009年)を読んで。

 パウロは様々に語られる。パウロなくしてキリスト教はあり得ないと言われるほど、パウロはその後の教会の歩みを方向付けた存在である。ただパウロの書簡を紐解く読者には、そこに現代にはそぐわないものを見出して嫌う人もいれば、パウロを絶対的な存在として目する人もいよう。しかしパウロの書簡の一つひとつを虚心坦懐に読み進めて行くと、彼の思想が迂遠で限定的なものではなく、むしろキリストとの出会いの神秘に突き動かされたものであったことが分かる。というよりもそれだけが、つまりパウロのキリストとの出会いの経験だけがパウロの伝えようとしたものだったのではなかろうか。
 本書『聖パウロ』は教皇ベネディクト16世が信仰の遺産を巡る連続講話を中断してパウロ年とともにはじめられた連続講話を纏めたものである。このパウロ年は『使徒的勧告 主のことば』の元となるシノドスが開催された重要な年でもある。信仰の遺産を確かめる連続講話『使徒』『教父』『中世の神学者』『教会博士・女性の神秘家』とともに、パウロの書簡の一つひとつに光を当て、彼の思想を確かめる連続講話は、教会の土台を確かめさせるものと言えよう。
 ベネディクト16世はその講話の一つひとつでパウロの生涯、パウロを特徴づける時代背景、パウロの神学的思想、パウロの書簡そのもの、そしてパウロの残したものを確認していく。一つ一つの講話を読み解くことを通して、パウロの思想が彼が直面しなければならなかった具体的な問題に端を発するものであること、そしてパウロを突き動かしたのがキリストとの出会いであったことが明らかにされる。もちろん教皇のパウロ論として読むこともできるであろうが、むしろ一つ一つの講話の問いかける事柄の内に信仰の豊かさを確かめさせる洞察が含まれているのである。しかし信仰者にとっての豊かさだけではなくパウロの具体的な関心を掬い上げていく教皇の話はパウロの言説を奇異に思うすべての読者に開かれている。
 教皇の話しの一つひとつはキリスト教神学を理解するうえで繰り返しパウロの思想に立ち返る必要があることを伝えている。それはパウロの思想の体系を参照するということではなくて、パウロの取り組まなければならなかった問題を通して今私たちの取り組むべき課題を見つめ直すためであり、よりよく聖書を読むことを促すものなのである。本書を通して救いの喜びに突き動かされたパウロの姿を確かめられるであろう。

本書は品切れが続いており、時々楽天市場や古書サイトで安く出品されることがあります。もともとの文章は現在も公開されているので内容にご興味のある方は以下のリンクをご確認ください。ページ内で「パウロ」と検索すると比較的すぐに見つけられます。一般謁見演説の144回から168回が当該箇所になります。

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